出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・御本殿(HONDEN)【国宝】

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出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・御本殿(HONDEN)【国宝】

出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・御本殿(HONDEN)↑出雲大社・本殿裏側

創建年

  • 不明
  • 推定:大昔(神話の時代)
再建年(遷宮)

  • 987年(永延1年)※平安時代
  • 1036年(長元9年)
  • 1067年(治歴3年)
  • 1115年(永久3年)
  • 1145年(久安1年)
  • 1190年(建久1年)※鎌倉時代
  • 1248年(宝治2年)
  • 1667年(寛文7年)※江戸時代
  • 1744年(延享元年)
  • 1809年(文化6年)
  • 1881年(明治14年)
  • 1953年(昭和28年)
  • 2013年(平成25年)
建築様式

  • 掘建柱
  • 切妻造
  • 妻入

※大社造

屋根の造り

  • 檜皮葺(総重量:約40トン/枚数:約64万枚)
大きさ

  • 高さ:24m
  • 母屋(殿)部分:四辺11m※正方形
  • 心御柱の直径:約1.1m
  • 宇豆柱の直径:約87cm
  • 千木:長さ7m80cm
  • 勝男木:長さ5.5m
  • 大屋根の面積:約180坪
重要文化財登録指定年月日

  • 1900年(明治33年)4月7日
国宝登録指定年月日

  • 1952年(昭和27年)3月29日
御祭神(主祭神)

  • 大国主大神
相殿神

  • 天之御中主神
  • 高御産巣日神
  • 神産巣日神
  • 宇摩志阿斯訶備比古遅神
  • 天之常立神
大国主大神の神徳(ご利益)

  • 縁結び
  • 農業繁栄
  • 医療繁栄(医学向上)
  • 商売繁盛(招福)..etc

出雲大社・ご本殿の建築様式(造り)

現在では、このように呼称されることはありましぇんが、中古の時代での出雲大社は別名で「天下無双の大厦(てんかむそうのたいか)」とも呼称されていました。

これは「並び立つものが無い」と言う意味です。

建築様式は出雲ファンであれば既にご存知かもしれましぇんが、「大社造り」と言う造りになります。

大社造りとは?

大社造りの大きな特徴として、殿舎は四方に回した9本の柱で宙に浮かす形で9本の柱で支えています。殿舎は四辺に渡って同一の長さを持つ正方形。殿舎の正面右側には、傾斜角の付いた切妻の向拝(こうはい)と内部には階段が据えられており、これが殿舎の出入口となります。

大社造り↑大社造りの図(画像引用先:https://kotobank.jp

殿舎のド真ん中には「心御柱(しんみのはしら)」と呼称される柱が1本、心御柱を挟む形で南北に宇豆柱(うづばしら)が2本立てられており、大屋根の棟(むね)を支えています。

従って、殿舎の壁面を外側から見た時に見える中央の図太い柱は「宇豆柱」になり、心御柱は殿舎中央に設置されているため目視できないと言ったことになります。

大屋根は弧を描いた美しい湾曲が特徴的で、屋根の素材は檜皮(ひわだ/ひのきの皮)で葺かれています。

檜皮の総重量は約40トン、総枚数は約64万枚にものぼります。ちなみに檜皮1つのもっとも大きいもので約1.2mの長さがあります。

大屋根の裏側の天井部分には「八雲の図」と呼称される絵が描かれています。

また殿舎内部は畳が敷かれています。大社造りは神宮(伊勢)の「神明造り」と並び、神社建築における「最古の建築様式」となります。

尚、現在のこの御本殿は1900年4月7日に国の重要文化財(当時の特別保護建造物)に指定され、次いで1952年3月29日には【国宝】指定を受けています。

大社造りの特徴と御本殿の造り

大社造りの各パーツの呼称
  • 屋根上:千木、勝男木、鬼板、軒付け
  • 屋根下:破風(はふ)、懸魚(けぎょ)
  • 殿舎:長押(なげし)、向拝(こうはい)
御本殿の内部図面

西向きの御神体が奉安されている場所は「御神座」、西側の御神体と正対する場所は「御客座」と言われています。

出雲大社 御本殿内部図面

大きさ(長さ)
  • 心御柱の直径:109cm
  • 宇豆柱の直径:87cm
  • 側柱の直径:73cm
  • 階段の数:15段

また、「御客座(神座/かむくら)」には、以下の5柱の神様が祭祀されています。

神座左から・・

  1. 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
  2. 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
  3. 神産巣日神(かむむすび)
  4. 宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢ)
  5. 天之常立神(あめのとこたちのかみ)

「三柱の神(造化の三神)」とも言われる「天之御中主神」、「高御産巣日神」、「神産巣日神」。

他に「活力の神」とされる「宇摩志阿斯訶備比古遅神」、「天の神」である「天之常立神」。

そして、これらの5柱の神々を総称して「別天津神(ことあまつかみ)」とも呼びます。

これら5柱の神様は「天地開闢(てんちかいびゃく/天と地が誕生したキッカケ)の時に最初に生まれた神様で、一説には実体が無い神様であると云われております。

北側と南側の中央には1本ずつ「宇豆柱(うずばしら)」と言う後述している3本の木を括りつけて1本の巨大柱が据えられています。殿舎のド真ん中には「心御柱」が据えられています。

心御柱から東側の端の側柱まで板が設置され出入り口から御神体を見えなくしています。

理由は定かではありません。これら南北の宇豆柱を基準として周囲に側柱を北に2本、西に3本、東に3本南に2本据えています。

殿舎の壁はすべて板壁となっていますが、南側は正面となりますので、上下に開閉式の蔀戸(しとみど)が左半分に、右半分に出入り口の外扉があり、外扉と連絡する形で傾斜角を持った向拝と階段が備え付けれています。

向拝の下には四辺にかけて縁(えん)が回わっており、高欄が据えられていますが高欄の親柱の上には擬宝珠(ぎぼし)は据えられていません。

特徴的で目を引くのが、屋根の下に屋根の形状に沿うようにして設置された「破風(はふ)」の金色に光り輝く9個のご神紋です。

尚、出雲大社の遷宮や修造に関しての資料の現存数が少ないことから、過去、どのような技法や手順で執り行われていたのかが、不鮮明な部分があり2008年(平成20年)の遷宮では作業に困難を極めたそうです。

八雲の図

出雲大社の御本殿の天井には「八雲の図」と呼称されう絵図が描かれています。

出雲大社・本殿「八雲之図」の謎と古くからの謂れ(いわれ)この絵図は赤、青、黄、紫、黒の極彩色の配色で描かれた「七つの雲の絵」です。

しかし、この雲の絵は「八雲」と呼称されています。

実は八の雲を描くのではなく、あえて1つ不足した7つとして不完全にすることで「永遠を願う」と言う意味合いにしているとも云われております。

すなわち、完成してしまうとそれで終わりとなりますが、未完成だと完成ではないので永続するからです。

ちなみにこのような不完全な造物がある有名な神社があります。その神社こそが「栃木県・日光東照宮」です。

日光東照宮の境内の建造物には1本だけが逆さ向きの柱などの不完全な部分をワザと造り、永遠の平和や繁栄への願掛けをしているものがあります。

これらのことをこの八雲の図に当てハメると「大国主大神の御威光が永続し、永久の繁栄」を願掛けしているものと考えられます。

尚、八雲の図の詳細に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

御本殿の謎

御本殿に実際に入ったことのある方であれば分かるハズですが、御本殿の入口を入ると大国主大神の御神体と正対しません。

これはどういうことかと申しますと、入口を入るといきなり板壁が殿舎の半分の位置まで設置されて御神体が隠されています。

さらに大国主大神の御神体は西側を向いており、板壁が無かったとしても正対しない格好になります。

通常の神社では考えられないことですが、これは現代でも解き明かされていない出雲大社の大きな謎になります。

この謎については下記にて後述したいと思います。

御本殿のパーツ(部品)

前述では御本殿の内部のことをお話しましたが、御本殿には部品(パーツ)が備え付けれています。

以下では御本殿の部品をご紹介しています。

千木

千木は「ちぎ」と読みます。

千木は見たら分かりますが先が尖っているガンダムの角(V字型アンテナ)のような形状の部品です。

出雲大社 大屋根画像引用先・朝日新聞社

出雲大社の千木は長さが約8.3m、総重量が500kgもあります。

つまり身長170cmの男性が約4人と子供が1人合わさったほどの高さになります。

千木の形状

また、この千木をよく見ると分かりますが、微妙に形状が異なっていることに気付きます。

千木の形状は主に以下の2種類になります。

  • 削ぎ(そとそぎ/外側が削られて真っ平ら)
  • 内削ぎ(うちそぎ/千木の上部が真っ平ら)

上記の写真を見て出雲大社の千木がドチラか分かりますか?

・・そうです。正解は内削ぎで・・あイヤイヤイヤイヤちゃうがな。「外削ぎ」!!です。

千木の組まれ方

さらに千木には「置き千木(おきちぎ)」と呼称される千木があります。

これは神宮(伊勢)と出雲大社の千木を見比べるのがもっとも分かりやすりのですが、神宮の千木の根元部分は殿舎の中に入っています。(↓写真参照)

対して出雲大社の千木は殿舎の屋根の上に載っています。

この屋根の上に乗っている千木を「置いた千木=置き千木」と呼称します。

また、千木は一説では御祭神の性別を示していると云われています。


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千木と勝男木から祭神の性別が汲み取ることができる??

千木と御祭神の性別との意外な関連性

この千木の形状ですが、少し変わった形状をしています。

ちょっと、上記↑の写真(画像)を見てみてください。

よく見ると、千木の中に穴が空いているのが見受けられます。

実はこの千木の穴、驚くことに、なんと!大人1人クグることができるほどの大きさの穴なのです。

この千木の役割は、強風が来ても、風穴によって風の力を逃がし、社殿を守るような工夫が凝らしてあるといいます。

他にも、社殿の強度を高めるために備え付けるものだと云われていますが、実は、この千木は祭神の性別を意味しているとも云われています。

これについては、出雲大社と伊勢神宮を比較してみた場合が例え易い例なので、ここで敢えて2つのお社を比較してみますが、出雲大社の方の千木は先が尖っています。

この千木の先端の尖がりは「男性の神様」が、御祭神であることを表現していると云われており、まさしく出雲大社の御祭神である大国主大神は男性の神様です。

一方、伊勢神宮の神様は「天照大御神」で、女性の神様となります。

そして、伊勢神宮の社殿の上の千木を見てみると、出雲大社とは少し形状が異なり、千木の形が平たくなっているのが見受けられます。

千木と堅木から祭神の性別が汲み取ることができる??↑伊勢神宮の社殿(御正殿)の屋根部分

これは女性の神様が御祭神であるということを示していると云われています。

そして、地上(礎石)からこの「千木」の先端までの高さは24mあります。

この高さは神社の社殿造りでは日本一の高さと云われているそうです。

出雲大社の現在、見ることのできる御本殿は、1744年(延享元年)に造られた殿舎になります。

勝男木

勝男木は「かつおぎ」と読み「鰹木」とも書きます。

出雲大社の勝男木は全部で3本あります。

それぞれの勝男木の大きさは以下の通りです。

総長(長さ):5.45m、周囲の長さ(直径):約2.67m、重さ:700kg

以上のことから、勝男木を付け替える時は困難を極める作業となり、クレーンを用いてのキャなり(訳=かなり)大掛かりな作業になります。

勝男木を屋根の上に乗せる理由は定かではありましぇんが、起源は古代の自宅の屋根の上に鰹節(かつおぶし)を作るために鰹を干していたと言う説があります。

また干すのと同時に屋根が飛ばないようにする役目もあったとも考えられ、これが「鰹木」の由来になっています。

平成20年9月の遷宮では、著しい老朽化のため2本の勝男木が取り外されて再利用され、交換する形で新たに2本の勝男木が備え付けれています。

つまり2本の勝男木がそのまま継続して使えると言ったことになり、つまりは300年前の勝男木がそのまま継続して使用されることになります。

改めて先人たちの技術力の高さと御祭神への忠節な思いが伝わってきます。

しかし300年前の勝男木なので劣化は避けられず、劣化した部分を削り取って、新たに当時と全く同じ材料を調達して、それを埋め木として使用しています。

尚、前述の千木に等しくこの勝男木にも御祭神の性別が判別されていると云われています。

勝男木からみる御祭神の性別

千木と同じく社殿の大屋根の上には「勝男木(鰹木/かつおぎ)」が設置されています。

実は、勝男木にも役割があり、屋根と建物を守るの役割(重し)がある傍ら、他にも、設置する数によって御祭神の性別を表現していると云われております。

つまり、「勝男木の数が奇数」の場合、「男性の神様」を表現していると云われております。

出雲大社の場合、勝男木の数が3本ありますので、御祭神が「男性の神様」であることを意味しています。

一方、「勝男木の数が奇数」の場合、「女性の神様」を表現していると云われております。

伊勢神宮・内宮の正宮「御正殿」の勝男木の数は10本です。

伊勢神宮・内宮の正宮「御正殿」の勝男木の数は10本つまり、偶数なので御祭神が女性の神様だということを意味しています。

ただし、これらには諸説あって、未だ鮮明に解明されていない謎となります。

鬼板

鬼板は「おにいた」と読みます。

気づかれる方は少ないと思いますが、出雲大社の御本殿を正面から見たときに千木の前に鬼瓦のような物が据えられているのが見えます。

鬼板これが「鬼板」と言うパーツ(部品)になります。

鬼板も鬼瓦の一種ですが、鬼瓦との違いで呼称が変わっています。

鬼瓦は鬼の面がありますが、鬼板は板状の平面になっています。

この鬼板の表面は「ちゃん塗り」と呼称される「松ヤニ」と「鉛(なまり)」を主として、これに「石灰」とや「エゴマ油」など混ぜ合わせた塗料が使用されています。

現在の社殿は1744年(延享元年)に造営された本殿となりますので、今から約300年ほど前に造営された社殿になります。

ただし、出雲大社の遷宮は神宮(伊勢)の遷宮とは異なり、あくまでも修造(修理/補修)になります。

従って、もともとの素材の形状や素材はそのまま使用して劣化した部分だけを同じ素材を用いて補修し、繰り返し時代を跨いで使用すると言ったことになります。

出雲大社・御本殿の堀立柱の配置図

出雲大社の御本殿は、正面、側面とも11m程の正方形で、「9本の柱が田の字型」にあって屋根を支えています。

画像引用先:http://blog.livedoor.jp/bungchanblog-kodaishi

殿内中央の柱は、他よりも、ひときわ太い直径1.1mもありますが、「棟木(むなぎ/屋根を支える太い木)」には達していないため、「構造柱(屋根を支える構造)」にはなっていません。

これは「心御柱(しんのみはしら)」と呼ばれ、「ある役割」を持つ柱であると云われているからです。

「心御柱」は、神が宿る「神籬(ひもろぎ)」的なもの「心御柱」の「ある役割」とは、神が宿る「神籬(ひもろぎ)」的なものではないかと云われております。

殿内は、「心御柱」から、東側中央の「測柱」まで「板壁」で仕切られており、板壁の奥に御神座(大国主大神)が西向きにお祀りされています。

そして、御本殿の周りには手スリがついた広い縁側があります。

正面の扉前には木製の階段(15段)があって、階段下には方形の浜床(はまゆか)と呼称される床が設けられています。

本殿の大社造りの特徴と「御神体の向き」

「大社造り」の特徴として、社殿の入口を入ると、御神体を直視することが叶わず、木製の板壁が眼前に飛び込んできます。

つまり、御神体が、その板壁の向こう側で隠されるようにお祀りされているといったことになります。

さらに、上記でもお伝えしましたが、御神体の向きが社殿の出入り口と正対しておらず、西側を向いています。

これは言い換えると、「鳥居(出入口)⇒参道⇒拝殿⇒御本殿」となり、御神体の向きが境内の出入口と正対していないことになります。

つまり、御神体である「大国主大神」と正対して、ご拝謁するには御本殿の(参道から向かって)西側へ回り込まなければなりません。

ちなみに、出雲大社では御本殿の西側にも配慮して「拝所」が設けられてあります。

大神と正対して参拝されたい方は、拝殿とは別に、西側へ立ち寄られてご祈祷をする必要があります。

この御神体の向きの理由に関してですが、これには諸説あって、定かなことは未だに判明していませんが主に以下のような理由が述べられています。

  • 大国主大神は、天孫降臨の際、国譲りによってこの日本の地を放棄したので、天皇と同様に南向きで祭祀されるのを控えた。
  • もともと太古から伝わる殿舎の造りが、現在の西側を向くような形だった
  • 西側からの脅威から日本を守護するため
  • 地形的に西側から見る景色が特に美しいため
  • 大陸から(朝鮮半島)からの脅威から日本を守護するため

出雲大社の古代の御本殿の姿

出雲大社の古代の御本殿の姿現在の出雲大社の本殿は、高さ24mの社殿を9本の柱で支えるような形式で造られています。

しかし、古代の出雲大社の本殿は、この高さがなんと!倍の48mもあったといいます。

つまり9本の柱の縦の長さが24mあると言うことになり、まさに天空の神殿が現実のものとして存在していたと言うことになります。

そして、宙に浮いた格好の御本殿へ昇殿するためには、階段が必要になります。

そのためその階段も大規模な階段でなんと!109mもの長い階段が設置されていたようです。

ギョエぇぇっ?!出雲大社の本殿は、その昔、96mもの巨大神殿だった?!!!

2000年(平成12年)のある日の事、大社の拝殿の北側にて、「とある発掘調査」が行われました。

後に、この発掘調査は、新聞紙の三面記事を飾るほどのモノが大発見されることになりました。

大発見されたモノとは、拝殿の北側の地中からなんと!「巨大な柱」が見つかったのです。

そして、この「巨大な柱」を分析してみると、驚くことに1本の柱ではないことが判明したのです。

つまり、直径1.35mもある、それだけでも巨大な杉の木柱を、「3本も束ねて1本の柱」としていたことが判明したのです。

そして、この柱が造られた年代ですが、なんと!鎌倉時代に造られた柱だったそうです。

さらに、この柱は社殿の「宇豆柱(うずばしら)」であったことも判明しました。

ちなみに、この「宇豆柱」とは、社殿の入口付近の中央部で、屋根の垂木を支える柱のことです。

ちなみに、この「宇豆柱(うずばしら)」とは、社殿の入口付近の中央部で、屋根の垂木を支える柱のことです。↑出雲大社・東神苑「長さ17m、直径80cm、重さ約4t」の杉の柱(再現)

さらに驚くことに、この調査の平成12年から13年の期間中に、このような巨大柱が「3本」も見つかったということです。

その後の調査で、最終的に3本とも、「1248年(宝治2年/鎌倉時代の前期)」に発掘された柱だということが判明しました。

しかし、驚くのはこの結果の影の部分に見えることです。

影の部分とはどのようなことかといいますと、この柱の背景に潜む、歴史の舞台裏を見透かして考えていくと、このような巨大な柱をなぜ、必要としたのか?・・といった疑問にブツかることになるのです。

ここで様々な学識者による見聞が行われ、以下のようなとんでもない学説が報告されることになりました。

雲をも貫く「巨大・出雲大神殿」

そこで目玉が飛び出るような驚くべき学説が発表されることとなったのですが、なんと!この柱は、当時96mもの長さを誇り、さらにこの柱の上に神殿が造られていたのではないか・・といった、驚くべき仮説が持ち上がったのです。

しかし、その後も調査が継続され、近年における綿密な調査や検証の結果、当時の技術では96mもの柱を造り、その上に社殿を造営できるような技術はなかったことが判明してしまいます。

が、しかし!巨大神殿であった仮説だけは残ったそうです。

つまり、96mではないにしろ、その半分の48mであれば当時の技術でも充分に造営が可能であるという結論に至りました。

48mとは、現在の大社の社殿が24mなので、その倍の大きさだということになります。

ちなみに、48mの比較例を挙げると、新幹線2両分の長さ、もしくはビル17階くらいの高さになります。

以上のことから、現代ではおそらく48mの長さの柱を9本(9×3=27本)用意して、柱の長さを24mに設定して、その上に神殿が造営されていたのではないのか?などと云われております。

ちなみにこの調査は継続して進行し、近年における調査結果では当時の建築技術で48mの神殿を造ることは可能、しかし強風が吹けばスグに倒れたのではないか?などと言うことも報告されています。

倒れては、また作り直して・・再び倒れて、作り直す・・などといったことを、繰り返していたということまで判明しているそうです。

出雲大社の御本殿に関しては当サイトの以下↓の別ページでもご紹介しております。

  • 出雲大社の巨大神殿の頃の「柱の数・高さ・造られた由来・歴史」にせまる!!

平安時代の謎の書物・「口遊」と平安時代の出雲大社

話は少し変わりますが、「真福寺(しんふくじ/岐阜県羽島市」という寺院には、平安時代の当時に、日本中のあらゆる建築物の高さのランキングを記した書物が所蔵されており翻訳もされています。

その書物の名前を「口遊(くちすさび)」といい、「源為憲」いう人物が書き記した書物となります。

この書物では、平安時代の日本全国の建築物の高さランキング3位までの記述されており「雲太」「和二」「享三」と記されていたそうです。

これを現代風に翻訳すると以下↓のようになるそうです。

  • 雲太⇒「出雲大社」
  • 和二⇒「大和の大仏殿(東大寺大仏殿)
  • 享三⇒「平安京の大極殿」

この字体の読み方としては、「雲太」「和二」「享三」は、それぞれ分解して読みます。

つまり・・、

「雲太」⇒「雲」と「太」
「和二」⇒「和」と「二」
「享三」⇒「享」「三」

「雲」が「出雲大社」で「太」は1番という意味合いになります。
同様に「和」が「東大寺の大仏殿」で「二」は2番
「享」が平安京の大極殿で「三」は3番目となります。

これをランキングに整理すると以下のような位置づけになります。

 島根県・出雲大社

 奈良・東大寺「大仏殿」

 平安京・大極殿(京の都)

中古の時代に神殿を支えていた「柱」が出雲大社付近周辺でも見れる??

出雲大社の境内「八足門」「神古殿2階の宝物館」では、上古・中古の出雲大社・御本殿の柱を見ることができます。

八足門

八足門前の床には不思議な円が描かれています。

この床に描かれた円こそが上述した「実物大の巨大柱(宇豆柱)」になります。

↑八足門付近の地面柱を見れば分かりますが、3つの円はそれぞれ杉材を利用した木になり、それら3つの木を束ねて1つの巨大な柱にしているのが分かります。

神古殿(宝物館)

↑宝物館の入口の「心御柱」

神古殿(宝物館)の出入口には、心御柱の実物大の模型があります。

神古殿は出雲大社境内の銅鳥居をくぐった右脇に位置します。

島根県立古代出雲歴史博物館

島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社を正面から見て、右隣に建っている大きな建物です。

この古代出雲歴史博物館の中にも心御柱と、なんと!実際に出雲大社の境内に埋まっていた鎌倉時代の巨大柱(宇豆柱)が展示されています。

出雲大社の「御本殿特別一般公開(特別参拝)」

出雲大社の本殿は、通常の参拝では「八足門(やつあしもん)」までしか、立ち入ることができません。

また御祈祷を申し込んで御祈祷が終了した後は、八足門の内部に特別参拝として案内していただいて参拝することができますが、それでも本殿の楼門前までしか立ち入ることができません。

しかし、出雲大社のおおよそ60年から70年周期の「遷宮(せんぐう)」と呼称される本殿の修造期間中の「ある定まった期間」に、ぬぅあんと!あの御本殿が一般公開されます。

そしてこの期間中の拝観を総じて一般的に「特別拝観(特別参拝)」といいます。

出雲大社の「御本殿特別拝観(特別参拝)」御本殿は本来、出雲大社の決まった神職の方しか入ることが許されない神域なので、身なり(服装)に関しては厳しい制限があり、また、写真撮影は絶対禁止となっている神聖な場所です。

2008年(平成20年)4月20日より、本殿に御鎮座された大国主大神の御神体を「御仮殿」へ移し、2013年(平成25)年に新しくなった社殿へ、再びお戻りになられています。

この次の特別拝観は、2068年(平成80年)頃になるかと思われます。

このことから、一生に1度あるかないかの貴重な期間となります。

【補足】出雲大社の御本殿の位置

あまり着眼は行き届きませんが、実はこの出雲大社の本殿は古来、現在の場所にあったワケではないようです。

つまり、境内の中で過去に幾度か造営された場所が異なってると云われております。

ちょっと下↓の図をご覧ください。

【補足】出雲大社の本殿の位置引用先:http://blog.livedoor.jp/bungchanblog-kodaishi

この図によると、平安期から鎌倉時代には、現在の場所より、少し前方に造営されていることが分かります。それに階段が長かったことが確認できます。

平安時代から鎌倉時代の御本殿の位置

この後、室町期には、平安期から鎌倉期の本殿の位置よりも、もっと前方に建てられているのが分かります。

これはおそらく現在の境内の配置図から見て「拝殿」のあたりになるのではないかと思われます。

室町時代の御本殿の位置

そして、室町期に差し掛かり、ようやく階段の長さが、現代でも見られる階段の長さになったことが分かります。

つまり柱の高さが短くなったことが分かります。

江戸時代(慶長年間)の御本殿の位置

次いで1609年(慶長年間)の再建では、再び、平安期から鎌倉期の場所に戻されて造営されています。

また本殿の高さも現在の24mには至らず、20mほどであったと伝わっています。

しかし階段の長さは室町期の長さを受け継ぎ、短いままで造営されています。

江戸時代(寛文年間)の御本殿の位置

次いで1667年(寛文年間)には、何が起こったのか、大幅に後方に御本殿が造営されています。

ちなみに、この1667年と言うと、出雲大社の歴史上でもっとも大きな出来事が起こっています。

なんだかお分かりになりますか?

そうです。出雲大社の主祭神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)から、現在の大国主大神に戻された年です。

この年は境内で大規模な遷宮が行われ、かつて境内に存在した仏塔や堂舎が撤去され、神仏習合の思想を払拭し、古代からの神道の信念に基づいた出雲大社へ戻っています。

江戸時代(延享年間)の御本殿の位置

この1744年(延享年間)に行われた再建が、現在の御本殿の姿になります。

また、御本殿以外に現在見ることのできるほとんどの境内の社殿群や景観もこの時のものです。

ご興味のある方は、ぜひ、探求してみてください。

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