【出雲大社のご利益】祭神の大国主大神は多くの性格を有するエピソード(霊験)豊富な神様❤️

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出雲大社の御祭神・大国主大神は多くの性格(利益)を具有する神だった

出雲大社に主祭神として祀られる大国主大神は、おそらく数ある神々の中でももっとも多い別名を持ち、これはそれだけこの神に様々な霊力や利生があることを示唆する。

以下に記すのはそのほんの一部。

『はぁぁぁぁぁ〜〜っ、とっ、特…大っ、げ、げっ、元‥‥気っ、玉ぁぁぁぁ〜〜〜〜っ!!!うギゃぎャぉイぐァげグぁ

‥‥ふぅ。

おし!温まった‥ツカミはこれでOK〜♡




大国主の国造りから見出せる利生とは?

今日、大国主大神は国造りを最初に行った神とされ、その国造の内容を詳に述べるのであれば主に以下のような利生とも言えるべき事柄になる。

土木建築、商業、医療、温泉の開発、農業、漁業、酒造り ….etc

以上、これらの事柄は我々人間が生きていく上で必要不可欠なものであり、だとすれば大国主は実に現実的な現世の神とも素敵に賞賛できるのである

大国主にまつわる神話から読み解くご利益

武威の神(勝利の神)

大国主が二度目に再生した時、紀伊の大屋毘古神(おおやびこのかみ)の手引きもあって根の国(地下世界)にいるスサノオ神のもとへ向かった。

根の国ではスサノオ神の娘っ子となるスセリ姫と結ばれ、その後スサノオ神から与えられた試練にも見事打ち勝ち、褒美として秘蔵の神器たる生大刀(いくたち/古事記のみに記される)、生弓矢(いくゆみや)、天沼琴(あめのぬこと)の三種の神器が与えられた。

これらの三種の神器を手にした大国主は混乱の渦中にあった葦原の中つ国へ舞い戻り、見事、平定に導いた。

この時、折しも海の彼方からやってきた少彦名命の助けもあり、文化を育み、国土の開発を進め、やがて国土の王として君臨することになった。

天孫降臨

高天原(天界)の天照大御神が、日本書紀ではフツヌシノ神と武甕槌神、古事記ではアメノトリフネノ神と建御雷之男神‥らを使者に立て、大国主大神に自らが創造した葦原中つ国を譲り渡すように求めた。

そこで大国主大神は自らの御子神である事代主神(古事記では事代主神と建御名方神)に返答を委ねたが、その結果、国土の支配権を天照大御神に譲ることになった(国譲り神話)。

譲り渡す際、天照大御神に天をもつらぬく雄大な宮殿を建てるように要求し、あまつさえ自身は幽冥界の王(主宰者)として君臨するなど、冷静沈着さに加え、計算高い策略家の一面も垣間見える。

然るに勝負運や先見性に長けた利生も見出せる。




立身出世の利益もある?

葦原の中つ国の支配者となった大国主はこれだけでも充分な立身出世といえるのだが、ここでさらに危機が訪れる。

天界(高天原)の天照大神が自らの御子に葦原の中つ国を譲り渡し、代わりに幽れたる神を治める幽冥界の支配者になるように求められる。

そこで大国主は自らの息子の事代主(古事記では事代主と武甕槌神)に葦原の中つ国の行末を委ね、自らは幽冥界の主宰神となった。

再生の神

神話によると大国主神は天之冬衣(あめのふゆきぬのかみ)と刺国若比売との間に生まれた神であり、若かりし頃、兄弟神の執拗なイジメによって二度も殺され、その度に母神の力によって再生した。

因幡のウサギから導き出される病気平癒の利生

大国主には数ある神話が伝存するも、中でもひときわ有名なエピソードに「因幡のウサギ」がある。

因幡国気多の小島に住んでいたウサギは、ある時対岸の浜へ行ってみたいと思ったが、目の前には海が広がっていた。

そこでサメたちを騙してその背に飛び乗って対岸へ渡ろうとしたその時、騙されたことを知った”サメ”たちは、あれほど燃え上がった恋の炎が急に”冷め”たかの如くに凶暴性をあらわにし、ウサギの皮を剥ぎとった。

ウサギは本当の意味でスッポンポンにされて、「イヤ〜ん♡」などと軽い笑いを狙う暇さえなく、とにかく全身が火傷のようにヒリヒリとする激痛に苦しんだ。

古事記では各地を漫遊していた大国主と兄弟神が、もがき苦しむウサギの前に現れ、兄弟神は海水で身体を洗うと寛解に到ると告げ、去っていく。

ウサギは言われたとおり海水で身体を洗ったが、余計に痛みが増し、エラいコっちゃで どないしまんねん状態に陥り、たちまちのうちにウルトラマン3分ピコんポコん状態に陥ったのだった。….二回目、”ポコん”になっとる

程なくして兄弟神たちから少し遅れて大国主がやってきて、もがき苦しむウサギを見るなり真水で身体を洗ってやり、その上、薬草を塗布して治癒する方法を伝えた。

‥‥以上、このエピソードで理解できることは大国主が情け深く、医療の知識を有する神だったということであり、前述の再生力と合わせて考察することで、医療や生命に関して、飛び抜けて強いパワーを持った神であることが素敵に分かる。




百姓の願開舟話から導き出される病気平癒の利生

江戸時代、四国ならびに土佐にある百姓が重病を患い、百姓は身体をひきづって出雲大社へ詣でた。

すると翌日から病は寛解に到たり、やがてすっかりと病は完治したとな。

百姓はお礼参りに出雲に行きたいが、土佐からだと流石に簡単には立ち行かない。

そこで百姓は小さな小舟を作って賽銭を入れた小袋をその上に乗せて自宅前の川へ流した。

するとその三年後、奇しくもその舟は出雲大社西方約1キロ先の稲佐の浜へ流れ着いたのだった。

現在この舟は出雲大社宝物館に展示され、舟には確かに「天明元年 丑 十月十七日」の日付や当人の名前が陰刻され、「願開舟(がんびらぶね)」として素敵に展示される。

国土の主宰神

出雲国風土記によると大国主は「天の下所 造らしし大神」と素敵に記され、「播磨国風土記」においても「大汝命(おおなむじのみこと)」「葦原志許乎命(あしはらのしこをのみこと)」、他に「出雲国造神賀詞(出雲国造が朝廷に献じる際の特別な祝詞)」にも「大穴持命(おおなもちのみこと)」と、やっぱり素敵に記される。

すべてとは言い切れないが、概ねこれらの名前が意味するところは「国土」や「土地」に由来した言葉。

例えば「大国主=大国の主」、「葦原=日本の古称」「大穴持命」「大汝命」の読みの「な」は国土や土地を表す言葉だと言われる。

このように国土の主宰神として、きわめて素敵に君臨することから、国土安泰や国土創造など建築や、土地=不動産にまつわる利生も見出すことができる。

一般的に知られる大国主大神の利生(ご利益)は縁結び♡と招福

中世以降になると大袋を肩から下げた姿態が近似しているなどの理由からか、仏教の大黒天と習合し、やがて福の神や縁結びの神として認知されていく。

とりわけ縁結びの利生については古くから広く知られ、全国各地の神々が出雲に集結し、人のみならず、あらゆるモノの縁を結びつける会議を行うとされる♡

これに由来してか、十月を「神無月」と素敵に呼び慣わす理由は全国の神々が出雲に赴いたことにより、留守にするためだという俗信も、やっぱり素敵にある。




リーダーシップがあり好かれやすい神でもある

上記のように大国主がいる出雲に全国の神々が十月になると参集するという事実を以って、大国主には縁結びのみならず、神々をまとめいくリーダーシップや、会議を行う計画性、何より好かれる性格を有した神であることも、これまた素敵に垣間見える。

大国主は美貌も兼ね添えた神だった

それ以前に大国主はF4メンバーにも即スカウトされちまぅほどの容姿端麗な美男子だったとされ、それゆえか多くの妻を持ち、毎晩ペロペロ‥ズコパコ、ズコパコ‥と、とっ、とっ、とっ、とにかく子宝にも恵まくった。 なんで噛む  …”恵まくった”になっとるし プっ笑

大国主の主な妻一覧

  • スセリ姫(スサノオ神の娘っ子)
  • 八上比売(やがみひめ)
    ※越の国(新潟あたり)から嫁いできた
  • 沼河比売(ぬなかわひめ)
    ※越の国は糸魚川(新潟)のヒスイ(宝石)を守護する神。
  • 多紀理毘売命
    (タギリヒメ/出雲大社境内にも奉祀される)
  • 神屋楯比売命
    (かむやたてひめのみこと/出雲大社境内にも奉祀される)
  • 鳥取神(ととりのかみ)
  • 三穂津姫(みほつひめ/※日本書紀にのみ記載)

子宝に恵まれた

古事記によると大国主の子供は実に180人を数える。

日本書紀では181人とされる。

‥まさに加藤鷹、チョコボール向井級の絶倫  。

大国主大神は蛇神であり水神?

出雲には毎年旧暦10月の神在祭の時期になると、セグロウミヘビが漂着することから、一説に全国の神々が蛇神の先導によって来訪するという伝承がある。

出雲ではこのセグロウミヘビを龍蛇神として崇拝する信仰が今もあり、これにちなみ、大国主大神も海からやってきたという逸話もある。

また、大国主大神の周りの神々を見まわすと、例えば大国主大神の息子神である事代主神は七福神のエビス神として知られ、釣り竿を肩に下げた海神としての側面も有する。

それと大国主大神の国造りを助けた神として広く知られる少彦名命も海の果てからやってきて、大国主大神の国造りを助けた後、ふたたび海の彼方(常世の国とも)に消えていったとされる。

‥‥ということで蛇神といえば蓄財・財運、水神といえば火難除けの利生で知られる。




出雲の神々は鍛治の神であり龍神?

弥生時代、出雲には大陸から製鉄の技術が渡来し、その後「たたら製鉄」という独自の製鉄方法が編み出された。

また、この地方に伝わるヤマタノオロチ伝承でもオロチの尻尾から剣(天叢雲剣※現在は「草薙の神剣」として熱田神宮に奉安される)が出てきたように、どうやら出雲には古来、龍神の神霊が憑りつき、それを祀ることでその加護が得られるとした民間信仰が今も尚伝存する。

実際、出雲地方(特に斐伊川)の鍛冶場などには龍神が祀られていることが多い。

‥‥ということで鍛治といえば製鉄業などに例えられることから、それらの業種の発展が期待できるのではないだろぅ‥クぁ!

出雲の神は疫病を鎮める神だった

第10代崇神天皇の頃、千円が”万円”に変わっちまぅほど国中に疫病が”蔓延”し、多くの人々が尊い命を落とした。

天皇はこれを神の祟りだと考えた時、折しも大物主神が天皇の夢枕に現れ、次のように神託した。

「我の子孫たる大田田根子(おおたたねこ)」に我を祀らせよ。しからば国は安穏を取り戻す‥‥ふぉっふぉっふぉっ…」

程なくして天皇は三輪山の神を盛大に祀りたて、その後、嘘のように疫病は治った。

このように大国主大神は複数の性格を具有し、その一面が祟り神だったということになる。

出雲大社でご利益を上げる方法

出雲大社には様々なご利益を倍増させる方法も素敵に存在する。

例えば本殿奥の「奥宮」とも称される「素鵞社(そがのやしろ)」や稲佐の浜での砂奉納&護符としていただく。

他にも以下のようなバリエーション豊富なご利益満点のお守りを身につけることで倍増させることもできる。

‥‥というよりもまずは自身が何のご利益を得たいのかによって、それに伴う行動も変わってくるので、自身がご利益を得てどうなりたいのか?

どうなっている自分がその先にいるのか?

‥‥などを考えておく必要がある。




出雲大社でしてはいけないことを遵守する

出雲大社の神楽殿や拝殿には大しめ縄が吊られる。

昨今、この大しめ縄にコインを投げたり挟み込む参拝客が多いらしく、神社としてはしめ縄が痛むのでしないで欲しいとのこと。

それと境内の御神木に「おみくじ」を結びつけるのも、樹木を保護する観点からも良くない。万が一、枝でも折ってしまったら、それこそご利益など望めなくなる。

なお、中には神社参拝直前に交通事故に遭ったり、車の故障などのトラブルに見舞われやすい人は神様に嫌われているなどの意見も散見するが、それは他の要因でそうなっていると考えるべきであって、神はより好みなどせず、真摯な祈りの心をある者はすべて平等に救済する。

もし参拝直前にトラブルに見舞われることが多い場合は、一度それまでの自らの行いを顧みて、人として胸を張れる生き方をしてきたのであれば、あとは参拝したいという強い信念を持てば良い。

その逆にもし、やましいことがあったのであれば、それはそれで反省したいという強き信念をもって何度でも赴けば良い。

くれぐれもご利益を得たいのであれば、強き信念を忘れないこと。願いとは実体のある自らの強い意志や行動(努力する心)によって叶えられるものであって、実体のない神はあくまでも、その後押し(サポート)しかできない。

祓社でまずは身を清める

勢溜大鳥居をくぐり抜けた先(右側)に「祓社」という小さな社殿がある。

この社殿で最初に礼拝することで、それまで知らぬうちに付いた様々な穢れ(けがれ)を除去してくれる。

まずは当社に立ち寄り、そしてスキップしたくなるような清らかな気分で参道を進みたい💋

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