出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・命主社(INOCHI-NO-NUSHI-NO-YASHIRO)【境外・摂社】

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出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・命主社(INOCHI-NO-NUSHI-NO-YASHIRO)【境外・摂社】

出雲大社・命主社

創建年

  • 不明
再建年

  • 1744年(延享元年)※江戸時代後期
  • 1809年(文化6年)※江戸時代後期
  • 1881年(明治14年)
  • 1958年(昭和33年)
  • 2015年(平成27年)
建築様式(造り)

  • 切妻造
  • 妻入
  • 前面切妻向拝付き
  • 高欄縁付き

※大社造

屋根の造り

  • 檜皮葺
御祭神

  • 神皇産霊神
社格

  • 出雲大社・境外摂社
重要文化財登録指定年月日

  • 1953年(昭和28)2月14日
    ※銅戈・硬玉勾玉
例祭日

  • 1月1日(元旦)
  • 11月7日

出雲大社・命主社の読み方

命主社は「いのちのぬしのやしろ」と読みます。

命主社には別名(正式名)がある?

正式には「神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)」と呼称するようです。




命主社の御祭神「神皇産霊神」

命主社で祭祀されている神様の名前を「神皇産霊神(かみむすびのかみ)」と呼称します。

神皇産霊神は古文書での書かれ方が3通りあり、以下のようにも書かれます。

  • 「古事記」では「神産巣日神」
  • 「日本書紀」では「神皇産霊尊」
  • 「出雲国風土記」では「神魂命」

そして、この神様の名前を聞いてピンっ!と、きた方は出雲通の方です。

この神様は出雲大社にご鎮座されている「大国主大神」のと非常に関係の深い神様です。

どんな神様かお分かりになりますか?

神皇産霊神は、2回も八十神(やそがみ)に殺された大国主大神を救った神様です。

八十神は大国主大神の兄神で、因幡国・八上郡(現在の鳥取県)で暮らしていた「八上比売(やがみひめ)」に恋をして求婚します。

ところが、なんと!八上比売は弟神・大国主大神と結婚したいといいます。

これに腹を立てた八十神は八上比売ではなく大国主大神へ八つ当たりして2回も罠にハメて殺害してしまいます。

しかしその都度、大国主大神の母神である「刺国若比売(さしくにわかひめ)」が現れて高天原に座する神皇産霊神のもとへ訪れます。

そして神皇産霊神の力をもってして息子を蘇生(そせい/生き返らせる)してもらいます。

後に大国主大神は八上比売と結ばれ出雲で共に暮らしますが、正妻には須佐之男命の娘である「須勢理毘売命(すせりびめ)」を迎えています(伝・古事記)。アララ?

ちなみに神皇産霊神の子神は大国主大神の葦原中つ国や出雲国を創る手伝いをした「少彦名神(すくなびこな)」です。

つまり親子そろって大国主大神と非常に関係の深い神様であり、大国主大神にとっては命の恩人とも言えるほどの神様です。

また天地が誕生した時(天地開闢/てんちかいびゃく)に、他4柱の神々(別天つ神)と共に出現し、高皇産霊神(たかむすひのかみ)と同時に誕生したと伝えられています。

高皇産霊神と言えば、皇室の祖先神とも云われている神様です。

一説によると高皇産霊神と神皇産霊神は同体であるとも考えられています。

命主社の名前の由来

既に上述していますが、大国主大神の命の恩人の主という解釈や、神皇産霊神の名前の「産霊神(むすひ)」は大国主大神を蘇生したことからも分かるように「生命力の根源」と言う意味合いを持つことから「命主」と命名されたと考えられています。

命主社と命名された時期

命主社と呼ばれるようになったのは、残念ながら不明とされています。

しかし古くから当地において「命主社」と呼称されていたようです。

出雲大社・命主社の見どころ

命主社にはわずかですが境内の敷地があり、この境内にはいくつか見どころがあります。

磐座

命主社 磐座磐座は「いわくら」と呼称します。

磐座とは、神様の依り代となる「神聖で清浄な岩」になります。

命主社の本殿後方にもこの磐座があり、巨大な岩が磐座になっています。

現在は神社として殿舎が建てられていますが、古代では岩が神社の代わりに磐座として祭祀されていた可能性が示唆されています。

なお、当時はもっと大きな岩が殿舎の裏側にあったそうですが、1667年(寛文年間/江戸時代)の出雲大社境内で執り行われた大規模な再建工事によって、この命主社境内大岩が砕かれて使用されたとのことです。

御神木・ムクの木【島根県指定名樹100選/新・日本名木100選】

命主社ムクの木01

  • 樹齢:約1000年
  • 高さ:約20m
  • 幹の太さ:約6m
  • 枝張り総長:約19m

命主社へ訪れれば分かりますが、殿舎の前方には殿舎を守護するかのように巨大なムクの木が自生しています。

なんと!推定樹齢約1000年、高さ約20m、幹の太さは約6m、枝張り総長19mもあるムクの木です。

このムクの木の最大の特徴は地中から根っコが約1.5mほど地上へ出てきて、その根っコにコケが生えて独特の雰囲気を醸し出しています。

例えるなら、白雪姫に毒リンゴを持って行きそうなメルヘン国在住のクソ小悪的オバ魔女の自宅の隣に生えていそうな木に似ています。

夜には少し立ち寄ちよりがたい、少し不気味な風貌しています。

実はムクの木は漢字で書くことができます。

どんな漢字かお分かりになりますか?

「ムク」は漢字で「」と書きます。筋肉..ムクっ…。…。

またムクの木は実は日本の至る場所に自生している木で、中には以下のように「天然記念物」に指定されているムクの木もあります。

国の天然記念物指定のムクの木

三重県津市・椋本の「大ムク」-国指定天然記念物(樹齢1500年)
奈良県五條市・二見の「大ムク」-【国指定天然記念物】
大阪府大阪市平野区・旭神社のムク-【大阪府指定天然記念物】
兵庫県佐用郡佐用町三日月の大椋-【兵庫県指定天然記念物(樹齢800年)】
香川県東かがわ市・与田寺のムク-【香川指定天然記念物】
香川県さぬき市・蛭子神社のムク-【香川県指定天然記念物】
熊本県南関町・大津山椋の木-【熊本県指定天然記念物(樹齢500年)】

そして実はなんと!この命主社のムクの木は1976年(昭和51年)に「島根県指定の名樹百選」に指定されています。

その他、1990年(平成2年)には大阪市と読売新聞社が企画する「新・日本名木100選」にも選出されています。

えぇっ?!命主社のムクの木がパワースポットだった?!

実はこのムクの木が出雲における「隠れたパワースポット」だと囁かれています。

その理由というのが、このムクの木の根っこにあります。

上の写真(画像)のムクの木の根っこを、ちょっとよく見てください。

物凄い根張りしているのが見えませんか?

実はこの「根張り」は「粘り」と読むことができ、つまりこれは「勝負根性」に通じるものだと云われています。

そんなことから、ムクの木に祈願することで「強い勝負運」や「病魔退散」などの粘りのパワーを授かることができると言われています。

また、ムクの木は神社によく自生している木でもありますので、あなたの自宅周辺付近の神社へ参拝してみてジックリと境内を見回してみてください。

以外な発見があったりするかも・・。オホ

真名井遺跡

真名井遺跡もう1つ命主社の殿舎の裏側には、忘れてはいけない見どころがあります。

その見どころと言うのが「真名井遺跡」と言う遺跡で「まないいせき」と読みます。

一見すると山奥に建っているツブれかけマンションのゴミ置き場のように見えますが、以下でご紹介するような歴史的な大発見が報告されています。

尚、「真名井」の名前の由来とは、この場所が「真名井」という地名であることに由来して付されています。

”真名井”の地名の由来の詳細に関しては当サイトの以下の別ページにてご紹介しております。

 出雲大社・真名井の清水

銅戈・硬玉製勾玉【重要文化財】

1665年(寛文5年/江戸時代前期)に執り行われた出雲大社の大造営の際に、上述した境内裏(真名井遺跡/まないいせき)の巨大岩を切り出して石材として使用する際に石を持ち上げたところ・・ぬぅあんと!石の裏側の地面から以下のような2つの宝物が出土しています。

銅戈

命主社・銅戈画像引用先:http://www.izumooyashiro.or.jp/keidai/homotsu/

大きさ:長さ33.7ミリ、幅10.3ミリ
材質:青銅

所蔵

出雲大社・宝物館

展示(レプリカ)

島根県立古代出雲歴史博物館

 

銅戈とは「どうか」と読み、つまりは矛(ほこ)のことであり武器になります。

ただし現在の調査で判明していることは上古の時代に中国から日本へ伝来し、日本では祭儀用として用いられた可能性が高いことが示唆されています。

命主社(真名井遺跡)から出土した銅戈の形状は「剣のような形状」をしており、九州の北部地方で制作されたことが明らかにされています。

現在は出雲大社の宝物殿にて展示されています。(レプリカが古代出雲歴史博物館に展示されています)

硬玉製勾玉

硬玉製勾玉画像引用先:http://www.izumooyashiro.or.jp/keidai/homotsu/

長さ:3.6ミリ
厚さ:9.9ミリ
材質:糸魚川ヒスイ

所蔵

出雲大社・宝物館

展示(レプリカ)

島根県立古代出雲歴史博物館

命主社から出土した勾玉は、極めて純度の高いヒスイ(翡翠)で制作された勾玉「硬玉製勾玉(こうぎょくまがたま)」になります。

調査によると産地は新潟県の糸魚川で採れた純度の高い勾玉であることが判明しており、これはつまり皇室に伝わる三種の神器「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」と同じ材質であることが明らかにされています。

ここまでのことで理解できることは、上古・中古において北陸地方と出雲地方、そして北九州地方に何らかの繋がりがあった可能性が示唆されています。

そして、これらの宝物が岩の下から出土した事よって、上述した殿舎裏の巨大な岩が「磐座=神の依り代」として祭祀されていた説が浮上するに至っています。

まさに驚くべき大発見です。

尚、これらの宝物はいずれも1953年(昭和28年)に国指定の重要文化財に指定され、現在は出雲大社・宝物館に展示されています。

古代出雲歴史博物館でもレプリカが展示されていますので、出雲大社へ参拝された際は是非!立ち寄ってみてください。




命主社の場所と「出雲大社(銅鳥居)から命主社へアクセス(行き方)」

命主社は出雲大社の「松の並木道」を抜けた先に位置する「銅鳥居」を正面に見て、右手方向に進んだ先の「小道」の先に位置します。

出雲大社(銅鳥居)から命主社までの地図

出雲大社東門↑境内銅鳥居から境内を出た所の写真(東門)

小道は整然とした石畳で舗装された道で、両脇には石が積み上げられています。左側には北島国造館があり、国造館の壁沿いに歩いていきます。

出雲大社 石畳しばらく進むと石畳からよく見る普通の地面に変わりますがさらに進みます。

さらにしばらくすると左手側に「命主社」と書かれた案内板が出てきます。(目立つので分かります)

命主社の看板↑命主社の看板が左側に見える(左奥ゴミ箱の後方)

案内板の通りに左折すると、命主社の殿舎が目視できます。

ただし殿舎までは少し距離があり、細い道を1、2分ほどさらに歩くことになります。

命主社への道↑命主社の看板と正面に殿舎がわずかに見える↑御社殿を背にして見た通路

出雲大社・命主社のお問い合わせ先

出雲大社社務所

住所:島根県出雲市大社町杵築東195
電話番号:0853-53-3100

出雲観光協会

住所:島根県出雲市大社町修理免735-5
電話番号:0853-53-2112
FAX番号:0853-53-5856
E-mail:taisha@kankou-taisha.jp

【補足】おすすめ観光ルート

北島国造館命主社真名井の清水古代出雲歴史博物館

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