出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・観祭楼(KANSAIRO)【重要文化財】

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出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・観祭楼(KANSAIRO)【重要文化財】

出雲大社・観祭楼(かんさいろう)【重要文化財】

創建年

  • 1667年(寛文7年/江時代前期)
大きさ

  • 桁行(奥行)/六間(約11m)
  • 梁間(横幅)/三間(約5.5m)
建築様式(造り)

  • 楼造(ろうづくり)
  • 入母屋造(いりもやづくり)
【重要文化財】指定年月日

  • 2004年(平成16年)7月6日
楼造とは?
楼造(ろうづくり)、入母屋造(いりもやづくり)の説明に関しては、楼門のページをご覧ください。

「観祭楼」読み方

読み方は「かんさいろう」です。

観祭楼の歴史・由来

観祭楼は、楼門と同じく1667年に建てられ、1744年の造営の時に解体移築したものといれています。

この建物は、途中から2階建てになっていて、その2階には2つの畳敷きの部屋があります。

ここを朝廷や幕府の要人、または藩の重臣などが訪れた際、南側の境内を観ることができるようになっています。




観祭楼の建築様式(造り)

この観祭楼は、要人を迎えるために良質な材料を使って造られていますが、1階部分が回廊という特殊な造りをしていることから、出雲大社の境内社殿の中でもひときわ特徴的にみえます。

なお、出雲大社の境内には彩色がない質素な「白木造り(しらきつくり)」の社殿が多いのですが、これは仏教伝来以前の古神道の社殿ならでわの典型例です。古神道の代名詞ともいえる出雲大社ならではの造りといえます。

1階

1階部分は廻廊(かいろう)となっており、楼門と玉垣と連絡して御本殿を取り巻く、塀(へい)を形成しています。

ちなみに「観祭楼」の前(南側)の敷地には、四角く石で囲まれた場所があります。

2階

かつては、ここで様々な芸能が行われており、「観祭楼」の2階の大部屋から舞楽などの芸能を観覧していたようです。

それを証明するかのように、正面の蔀戸(しとみど)は、上下に開閉する様式であり、その手前には欄干(らんかん/手すり)が設けられていることから、ここから要人たちが出雲大社で執り行われる様々な祭礼を見学していた姿が想像につきます。

すなわち、『祭礼を観覧する楼閣』ということで、これが”観祭楼”の名前の由来にもつながっています。

蔀戸は主に平安貴族の邸宅の寝殿造りの建物に用いられていた様式であることから、大切な要人を迎えるための施設であることも分かります。

屋根は、格式の高い「入母屋造(いりおもやづくり)」で、出雲大社境内の他の殿舎同様に檜皮(ひわだ)で葺かれており、軒下は飛燕(ひえん)と地垂木(じたるき)から構成される二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)で組まれています。

名前に”楼”が付いて楼閣造りを印象づけるように、軒先にはわずかな軒反りがうかがえる。

その昔、観祭楼の前で祭典や芸能が催された際、この蔀戸がいっせいに上部へ開けられ、2階から大勢の方々が歓喜喝采に包まれながら、祭典や芸能を観覧していた光景が想像につきます。

出雲大社・観祭楼の場所(地図)

出雲大社の観祭楼は、境内の拝殿の奥、御本殿手前の「瑞垣内(みずかき/荒垣のさらに内側の垣根)」にある「八足門(やつあしもん)」の「東側の廻廊(かいろう)」と繋がっています。

関連記事: 島根県・出雲大社の境内の詳細「案内図(地図・マップ)」(ダウンロード可能)

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