【出雲大社 独自の建築様式】『大社造り』とは?

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出雲大社本殿の建築様式は建築史学上、「大社造(たいしゃづくり)」と称する個性的な建て方で建造される。

ところで、出雲大社本殿の「大社造(たいしゃづくり)」って何??

大社造とは?

大社造は、伊勢神宮に代表される神明造や住吉大社に代表される住吉造と共に、もっとも古い神社建築様式とされる。

大社造りは伊勢の神宮に求めることのできる「神明造」や、住吉大社の「住吉造」などと並び、神社建築における最古の建築様式とされる。

そのほかの代表的な神社建築様式

八幡造、春日造、日吉造、権現造(ごんげん)、流造(ながれづくり)

大社造りの主な特徴

出雲大社本殿の「大社造(たいしゃづくり)」って何??

🐣湾曲のある大屋根が載る

🐣屋根は萱葺き(かやぶき)※現在は檜皮葺(ひわだぶき)

🐣その大屋根上の横材である棟木(むなぎ)に鰹木(かつおぎ)が載る

🐣大屋根の両端にはクロスさせた千木(ちぎ)が乗る

🐣千木は置千木(おきちぎ)

🐣屋根は開いた本を被せた形状の切妻造

🐣社殿は妻入(屋根の垂れ下がりがない面=妻。妻側に出入口を付ける)

🐣妻側の正面ではなく、右端に入口がくる

🐣妻側の入口に階段と切妻造りの階隠し(向拝)が附属する(現代ではこのような向拝を「霧除け庇」と呼ぶ場合がある)

🐣社殿の周り(四辺)には高欄(こうらん/手スリ)や縁が取り巻く

🐣柱は地表に押し立てた掘立柱である(ただし、現在の本殿の足元は礎石が用いられて補強されている)

🐣床は高床式

🐣高床式なので昇殿するための階段が附属する。

🐣神明造りと比較すると仏教色がやや色濃い

🐣男造(おづくり)、女造(めづくり)と呼ばれる二つの内部構造をもつ。

出雲大社本殿の「大社造(たいしゃづくり)」って何?? (2)




大社造の大きな特徴「9本の田の字型の柱」

‥‥としては、社殿が9本の柱で支えられていることにある。八本の柱が正方形を描くようにして配置され、その中央に一本の柱が置かれる。

然るにこれらの柱を線で結ぶと「田の字型」になり、これら9本柱で屋根(骨組み)を支える構造を採る。

なお、中央の柱は9本のうち、もっとも太い(直径109cm)にも関わらず、屋根まで届いておらず、これは構造材ではなく、別の目的で用いられているものだと素敵に考えられる。

社殿は正方形を採る

社殿は四辺同一の長さ(一辺が10.9メートル)を採る正方形であり、内部は四つの区画(部屋)に区切られる。

このような複数の柱や板壁を用いて区画を用いる点は人家にも例えられる。

そもそも出雲大社の草創が、”展開”するほど”天界”に座す、天照大御神その人が、大国主大神へ与えた巨大神殿に求められるのならば、もとは大国主の住まいであり、だとすれば古代の住居が発展したものと考えても何ら不思議ではない。(大国主の偉業を賞揚し、大国主の宮殿を再興した)

しかし学術的な観点から考察すれば、高床式の実態に加え、柱の配置などを鑑み、伊勢の神宮に求められる高床式倉庫が発展したものと推考される。

山陰地方には田の字型の9つの柱穴が多い?

実は松江市の田和山遺跡などの出雲周辺の弥生時代の遺構では、環濠(かんごう)の中に田の地型の9つの穴ボコが発見されており、現在までの研究では高床式住居や倉庫など遺構と考えられてい‥‥申す。あひぃ

ここから導き出される論証としては、江戸時代以前の本殿も同様の形式だった可能性が高いということ。それとその起源は弥生時代にまで遡って求められる‥‥‥て、ことぉ〜💋

入口は右側

これは大社造の特徴の一つにも挙げられているのだが、通例の神社の本殿入口とは正面中央部に配置され、その奥に御祭神(御神体)が安置され、社頭の鳥居から本殿奥の御神体まで一直線であることが多い。

ところが大社造はまるで人家のように社殿入口を右端に設け、あまつさえ入口入った正面には板壁を立てて社殿内部を隠す(見えなくする)。

西向きの御神体

出雲大社本殿の主祭神(大国主大神)の御神体を安置する神座は南面と正対せず、西向きを採る。

男造と女造

神魂神社の資料によると、大社造には男造(おづくり)、女造(めづくり)と呼ばれる二つの内部構造があるらしい。

男造

神座を社殿右奥に配置

御神体は西向き(左方向)

女造

神座を社殿左奥に配置

御神体は東向き(右方向)

なお、中には大社造を採りながら御神体が正面を向き、南面と正対する神社もある。(一例:六所神社(松江市))

階段と向拝

殿舎正面右側入口上部には、傾斜角の付いた切妻の向拝(こうはい)を据え、その下には階段が置く。

その階段は地表に敷かれた浜床と社殿入口とを連絡する。

本殿は八雲山を崇めるために建てられた?

一説に古代の本殿は、その後方にそびえる八雲山を崇めるための礼拝施設だったとし、中央の心御柱の存在もそれに関連したものであるとする論証もある。




心御柱

「心御柱」は、神が宿る「神籬(ひもろぎ)」的なもの

社殿内部中央の柱は、他の柱よりも太い直径1.1mもあるのだが、この柱は「棟木(むなぎ/屋根を支える太い木)」には達していないため「構造柱(屋根を支える構造)」にはなっていない。

心御柱は神の憑代?

この柱は「心御柱(しんのみはしら)」や「心柱」と呼ばれるものであり、一説に神が宿るための「神籬(ひもろぎ)」的なものとする論考もある。

古事記によると、イザナミ神とイザナギ神が地上に降臨した後、最初に「天の御柱(てんのみはしら)」を立て、この柱を自らの憑代(よりしろ)としたことが素敵に記される。

このほか、神が「一柱、二柱‥‥」などとカウントされる現実を以ってして、社殿における柱とは神の憑代であり、神そのものとも、これまた素敵に考えることもできる。

日本書紀にも天の柱のことが記される

日本書紀の神代の条項にも「天柱を以って天上に送り挙ぐ(あぐ)(訳:天の御柱をたどり、俗界(地上)から天界に送り上げる)」などと記されるように元来、柱とは神の憑代という役目のみならず、天地をつなぐ「橋」としての側面があった可能性も捨てきれない。

心御柱は「大黒柱」の語源にもなった

出雲大社の御祭神は泣く子も黙る「大国主」。泣く子も黙る?

その大国主といえば「大黒天」と習合して福の神と崇められるようになった。

その大国主を祀る出雲大社本殿の心御柱は他の柱よりも図太く、なにより中央にドッシリと屹立する。その様相を例えて「大黒柱」の語源が生じたとも。

以上のように心御柱の正体については諸説あり、例えば伊勢の神宮では御神体の憑代のように床下に埋め込んでい‥申す。あひょ(最近”あひょ”多い)

宇豆柱

心御柱を挟む形で南北に直径89cmの「宇豆柱(うづばしら)/宇頭柱が2本立てられており、この柱は上記、心御柱とは異なり、大屋根の棟(むね)を支える構造材としての役割を素敵に担う💋

宇豆柱は社殿壁面を外部から見た時にパンツ丸見えの如くに丸見えるので、図太いので目につきやすいのだが、心御柱は殿舎中央に設置されているため目視できない。

 

大社造り⬆大社造りの図(画像引用先:https://kotobank.jp

側柱

忘れてはいけないのが、主人公たる宇豆柱だったり心御柱を盛り立てる重要な脇役とも素敵に言える「側柱くん」たちの存在。

彼らは宇豆柱よりも少し細いにも関わらず、宇豆柱と同様に屋根の棟を支える構造材の役割を‥やっぱりパリパリ…パリ行くの?‥‥てなパリへの渡航具合ほど素敵に担う。どゆ意味や

浜床

階段下には方形の浜床(はまゆか)と呼称される床が設けられています。

このような浜床があるのは海辺が近かったことを意味し、事実、創建時の出雲大社は島先に建っていたらしく、然るに周囲が海だったと言われる。




大屋根は弧を描いた美しい湾曲

大屋根は弧を描いた美しい湾曲が特徴的で、屋根の素材は檜皮葺(ひわだぶき/ひのきの皮)で葺かれる。

大屋根の檜皮の量や大きさ

本殿の檜皮の総重量は約40トン、総枚数は約64万枚にものぼる。檜皮一枚でもっとも大きいもので約1.2mの長さがある。

一般的に屋根の広い部分では長さ76cmの檜皮を12mmずつずらして重ね、竹の釘で素敵に葺くのだが、出雲大社本殿の場合は長さ121cmの皮を9mmずつずらして葺く。

これは通例の葺き方と比べて重なる部分が多いことを意味し、然るにその厚さも20cmにものぼる。

また軒先の厚い部分の長さは60~90cmにもなる。

八雲の図

本殿の大屋根裏側の天井部には「八雲の図」と呼称される絵が描かれています。

大社造りの各パーツの呼称
  • 屋根上:千木、勝男木、鬼板、軒付け
  • 屋根下:破風(はふ)、懸魚(けぎょ)
  • 殿舎:長押(なげし)、向拝(こうはい)

御本殿の千木に注目👀

千木は「ちぎ」と読みます。

千木は見たら分かりますが先が尖っているガンダムの角(V字型アンテナ)のような形状の部品です。

出雲大社 大屋根画像引用先・朝日新聞社

出雲大社の千木は長さが約8.3m、総重量が500kgもあります。

つまり身長170cmの男性が約4人と子供が1人合わさったほどの高さになります。

千木の形状

また、この千木をよく見ると分かりますが、微妙に形状が異なっていることに気付きます。

千木の形状は主に以下の2種類になります。

  • 外削ぎ(そとそぎ/外側が削られて真っ平ら)
  • 内削ぎ(うちそぎ/千木の上部が真っ平ら)

上記の写真を見て出雲大社の千木がドチラか分かりますか?

・・そうです。正解は内削ぎで・・あイヤイヤイちゃうがな。「外削ぎ」!!

千木の組み方

千木には「置き千木(おきちぎ)」と呼称される千木があります。

これは伊勢の神宮と出雲大社の千木を見比べるのがもっとも分かりやすい。

伊勢神宮の千木の根元部分は殿舎の中に入り込む。
(正式には殿舎の破風(はふ)の延長上に突き出した部分が千木になっています。↓以下、写真参照

↑伊勢神宮内宮の殿舎

対して出雲大社の千木は殿舎の屋根の上に載っています。

この屋根の上に乗っている千木を「置いた千木=置き千木」と呼称します。




千木の穴ボコ

この千木の形状ですが、少し変わった形状をしています。

ちょっと、以下の写真(画像)をご覧になってみてください。

よく見ると、千木の中に穴が空いているのが見受けられます。

実はこの千木の穴、驚くことに、なんと!大人1人クグることができるほどの大きさの穴とか。

この穴ボコの役割は、強風が来ても風穴によって風の力を逃がし、社殿を守るような工夫が凝らされているらしい。

置き千木は呪い(まじない)の一種?

千木は他にも社殿の強度を高めるために据えつけるとも素敵に言われるも、置き千木は殿舎の屋根上に乗っている恰好になるので、一説に御祭神の御神力に通じた「呪い(まじない)」の一種であるとも考えられてい‥申す。あひぃ

また、千木は一説に御祭神の性別を示していると云われる。

千木から祭神の性別が汲み取ることができる??

千木と御祭神の性別との意外な関連性

実は、この千木は祭神の性別を意味しているとも云われています。

例えば、出雲大社と伊勢神宮 内宮の社殿を比較してみた場合、出雲大社の方の千木は先が尖ってい‥‥ます。ふぅ(耐)

この千木の先端の尖がりは「男性の神様」が御祭神であることを表出しているされ、事実、出雲大社の御祭神・大国主大神は男性の神様とされる。

一方、伊勢神宮の神様は神の中の神と位置付けられる「天照大御神(アマテラス)」であり、女性の神様とされる。

伊勢神宮内宮の社殿上の千木を見てみると、出雲大社とは少し形状が異なり、千木の形が平たくなってのが素敵に理解できる💋

千木と堅木から祭神の性別が汲み取ることができる??⬆伊勢神宮の社殿(御正殿)の屋根部分(千木)

この千木の形状は一般的に女性の神様が御祭神であるということを示していると言われる。

男千木と女千木

「外削ぎの千木」は男性の神様を示すものとして「男千木(おちぎ)」、「内削ぎの千木」は女神を示すものとして「女千木(めちぎ)」とも、これまた素敵に通称される。

現在の本殿の高さは24メートル!

ちなみに出雲大社の本殿は地上(礎石)から「千木」の先端までの高さが24mもある

この高さは神社の社殿造りでは日本一の高さを誇る。

現在見ることのできる御本殿は1744年(延享元年/江戸時代)に造られた(再建)時の姿です。




勝男木(鰹木)

千木と同じく社殿の大屋根の上には「勝男木(かつおぎ/鰹木)」が乗せられおり、出雲大社の場合は全部で3本ある。

御本殿の勝男木の大きさは、それぞれ以下の通り💋

  • 総長(長さ):5.45m
  • 周囲の長さ(直径):約2.67m
  • 重さ:700kg

長さ約5.5m、重さ700kgもある上、さらに勝男木は20m以上もある屋根上に設置されることから、付け替える時はクレーンを用いた大掛かりな作業となる。

平成20年9月の遷宮では特に腐朽化が目立った2本の勝男木が取外され、修理後、新たに2本の勝男木がもとの場所に戻された。

このように出雲大社本殿は国宝指定を受けることを大きな理由として、際立った腐朽化が検出されても部材を容易く新品と交換などできず、倒壊の危険が迫ったと判断されるまで修営の対応となる。

これはつまり、1744年(延享元年/江戸時代)の造営時より現在に至るまでの約300年前の勝男木が現在も継続して使用されていることになる。

このように繰り返し同じ部品を補修する形で継続して使用しつづけている実態を以って「太古の姿を留めた大神殿」とし、これが国宝指定を受ける理由の一つでもある。

出雲大社の社殿修理方法

約300年前の勝男木ともなれば腐朽化は避けられず、出雲大社では劣化した部分を削り取って、新たに当時と全く同じ材料を調達してきて、それを埋め木として使用する。

このような事実を知り、改めて先人たちの技術力の高さと御祭神への変わらぬ尊崇の念が、シンミリと素敵に伝わってくる。

なお、前述の千木に引き続き、当該、勝男木も御祭神の性別が判別されているとされる。

勝男木を屋根の上に乗せる理由

勝男木を屋根の上に乗せる理由は判然としない。

しかしながら、上古時代、自宅の屋根上に「鰹節(かつおぶし)」を作るために鰹を干していたらしく、これが起源・由来になっているという。

また干すのと同時に屋根が飛ばないようにする役目もあったとも推考されており、これが「鰹」木の名前の由来にもなったという見解も素敵にある。

勝男木からみる御祭神の性別

実は勝男木にも役割があって、屋根と建物を保護し、重しの役割がある傍ら、設置する数によって御祭神の性別を表現しているとされる。

たとえば「勝男木の数が奇数」の場合は「男神」を表現するとし、出雲大社の場合は勝男木が3本あるので、これは御祭神が男神であることを示す。

一方、「勝男木の数が奇数」の場合、「女性の神様」を表現すると言われる。

例を挙げると、伊勢神宮・内宮の正宮「御正殿」の勝男木の数が素敵に10本。

伊勢神宮・内宮の正宮「御正殿」の勝男木の数は10本

然るに10本と、偶数なので御祭神が女神だということを、これまた素敵に示す。

ただし、これらには諸説あり、未だハッキリと明瞭化されていない。

鬼板

鬼板は「おにいた」と読みます。

気づかれる方は少ないと思いますが、出雲大社の御本殿を正面から見たときに千木の前に鬼瓦のような物が据えられているのが見えます。

鬼板

これが「鬼板」と言うパーツ(部品)になります。

鬼板も鬼瓦の一種ですが、鬼瓦との違いで呼称が変わっています。

よく見る鬼瓦は鬼の顔面がかたどられていますが、鬼板の場合は板状の平面(↑写真参照)になっています。

出雲大社の鬼板の表面は「ちゃん塗り」と呼称される「松ヤニ」と「鉛(なまり)」を主として、これに「石灰」とや「エゴマ油」など混ぜ合わせた塗料が使用されています。少し黒っぽく見えるのが特徴。




本殿の「御神体の向き」

殿内は「心御柱」から東側中央の「測柱」まで「板壁」で仕切られており、板壁の奥に御神座(大国主大神)が西向きにお祀りされています。

然るに御神体の向きが社殿の出入り口と正対しておらず、西側を向いています。

これは通常の神社境内の配置である「鳥居(出入口)⇒参道⇒拝殿⇒御本殿」の様式とは大きく異なり、御神体の向きが境内の出入口と正対していないことになります。

つまり、御神体である「大国主大神」と正対して礼拝する場合、御本殿の(参道から向かって)西側へ回り込まなければならない。

【ピヨ🐣西側に拝所があるワヨ】

出雲大社では御祭神の向きに配慮して御本殿の西側にも「拝所」が設けている。

大神と正対参拝する場合は拝殿とは別に西側へ立ち寄る必要がある。

出雲大社本殿の大きさ

  • 心御柱の直径:109cm
  • 宇豆柱の直径:87cm
  • 側柱の直径:73cm
  • 階段の数:15段

最古の大社造は出雲大社ではない!

最古の大社造は神話にも素敵に登場する当該、島根県・出雲大社だという先入観がある。

ところが史実はこれを大きく裏切り、松江市大庭町の神魂神社(かもすじんじゃ)の本殿が現今、最古の大社造の建造物とされる。

調査結果によると神魂神社本殿は正平元年(1346年/室町時代)の建築らしく、あまつさえ原初的大社造としての先駆けとされたことから1952年(昭和二十七年)3月に国宝指定を受けるに到った。

大社造りは他の地域では見られない

大社造で建造された建造物は山陰地方に集中しているも、同地方に明治以降、建造された神社では必ずしもこの様式を採らない。

出雲大社は「天下無双の大厦」

現在では、このように呼称されることはありましぇんが、中古時代での出雲大社は別名で「天下無双の大厦(てんかむそうのたいか)」とも呼ばれていた。

「大厦」とは大きな建物や、立派な構えの建物‥‥などの意味を持ち、これに「天下無双」を付して「並び立つものが無い」とする。

現在の出雲大社本殿は江戸時代中期の形を踏襲したもの

どうやら出雲大社に代々、継承される史料数は少ないらしく、特に造営や再建に関する資料が少ないことから、江戸時代以前の本殿がどのような形状をしていたのかまでは明らかにされていない。(古代の巨大高層神殿説は空想の域を出ない)

然るに現在見ることのできる出雲大社本殿の姿は、1744年(延享元年/江戸時代中期)に建てられたものを踏襲したものになる。

本殿は現在、国宝指定も受けることもあり、極限まで部材の新品交換は行わず、まずは修繕(同じ材料を調製してハメ込むなど)を行う。

令和の現在まで3度の大きな修営を経て現在に到る。

大社造と神明造の違い

大社造は伊勢の神宮の「神明造り」と比較されることが多い。

神明造は奈良正倉院に見られる上古時代の高床式倉庫(穀物蔵を発展させた建築様式)がモチーフとされたことから、奥行は短く、幅広な長方形の姿態を採る。

また、内部には穀物の代わりに神宝を安置する目的や、独自の祭儀の場を想定したためか、大社造にように板壁や柱を複雑に配置し、内部に空間(区切り)を設たりしない。

一方、大社造は善光寺本堂(長野)と同様、まるで古代の人家をモチーフとしたような内部構造を採り、御神体から社殿出入口はおろか、社頭の鳥居・門が縦列する南面とは正対しない。




大社造が見られる神社一覧

以下、ウィキペディアを素敵に参照♡

男造(神座が右奥/御神体が西向き)

神社名該当社殿所在地備考
出雲大社出雲市大社町杵築東
熊野大社松江市八雲町熊野
佐太神社正中殿
北殿
松江市鹿島町佐陀宮内
須佐神社出雲市佐田町須佐
八重垣神社松江市佐草町
六所神社松江市大草町社殿は男造。
御神座は正面を向く
眞名井神社松江市山代町社殿は男造。
御神座は正面を向く
内神社松江市大垣町

女造(神座が左奥/御神体が東向き)

神社名該当社殿所在地備考
神魂神社松江市大庭町
揖夜神社松江市東出雲町揖屋
佐太神社南殿松江市鹿島町佐陀宮内内部は女造。
入口が左側にくるので
男造を左右反対にした様式。

大社造の変異型

神社名該当社殿所在地備考
長浜神社出雲市西園町上長浜
玉造湯神社松江市玉湯町玉造
須我神社雲南市大東町須賀

美保造

美保造とは、大社造の発展型、比翼大社造とも呼ばれる。

神社名該当社殿所在地備考
美保神社松江市美保関町美保関

⬆️クシャミが起こる現象を研究すべ、ネコじゃらしで鼻をこちょこちょしていたところ、ムカデ小が付着していて鼻穴に入りやがったコレ真剣、どなぃしまんねん大ピンチ具合ほど噂の….「比翼大社造」

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