2000年を経て謎が解けた?!出雲大社の御神体の正体とは?蛇や石という秘密にせまる!

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出雲大社の御神体ってどんな姿をしているのか?想像したことありますかぃ?

大国主大神=大国さん=大黒天などのモチーフとされる神であることから、人の姿をした神であることを想像しちまぃヤス。

しクぁし!しクぁしですよ!仮に人の姿で無かったとしたら‥‥‥どんな神を想像しますかぃ?

以下ではそんなお話をしています。うきゃ

出雲大社の御神体の正体は誰も知らない!

まず先にお伝えしておかなければならない事実として、出雲大社の御神体の姿は誰も見たことがないという事実です。

これは出雲大社の最高権力者である宮司ですら古代から現代に至るまで誰一人見たことがないと言われています。

ちなみに出雲大社の本殿は神職の中でも出雲国造しか立ち入ることが許されず、それゆえ、本殿の内部を知るものは宮司のみなのです。

天皇陛下でも立ち入りができないことから、極限まで外界との接点を少なくしているとすら思えます。

ただ、出雲大社は悠久の歴史を歩んできた古社であることから、いるでんす。こういう輩が。

秘密にしているものほど見てみたい!

つまり‥‥‥

過去に御神体を見た者がいた!!

なんでも1638年(江戸時代)に編纂された「雲陽秘事記(うんようひじき)」の内容によれば、当時、出雲大社の地域を支配していた松江藩主・松平直政が出雲大社宮司に迫り、一方的に「御神体を見せよ!」と告げたそうな。

当然、出雲大社には古より踏襲される重いシキタリがある故、宮司はこれを突っぱねます。

しかし、そんな言葉も聞く耳もたずに部下を差し向けて無理やり扉を開けさせ、強引に本殿へ押し入るのです。

それで直政が本殿で見た光景とは‥‥‥?




出雲大社の御神体の正体は「アワビ」?

強引に本殿へ押し入った直政が見た御神体とは‥‥‥、なんとぉぅ!巨大な9個もの穴のあるアワビだった!!‥‥ということが記されています。

雲陽秘事記に内容によれば大きさの単位を示すであろう「十尋(とひろ)」と書かれており、この大きさを現代風に訳せば15メートルほどになります。‥‥‥デカっ!!そんなアワビおったら‥当分晩飯代うく うきゃ

出雲大社の御神体は「蛇」?

上記、アワビの話にはまだ続きがあり、なんとぉぅっ!その巨大アワビには9つの穴ボコがあり、その穴ボコから巨大な蛇が9匹出てきたようで、その様子を見て腰を抜かした直政は慌てて本殿から這いずり逃げたとのこと。

もしくはこの巨大アワビが大蛇(ヤマタノオロチ)に変身したという話もありますが、どうやらこういったアワビにまつわる伝承は日本各地に残されているようです。

例えば、茨城県常陸太田市に鎮座する「西金砂神社(にしかなさ)」と「東金砂神社(ひがしかなさ)」では、奉斎する御祭神が巨大アワビに乗って海の向こう側からやってきたという途方もない話が伝えられているようです。

驚くことにこの御祭神!出雲大社にて奉斎される大国主大神とその国造りを助けた神「スクナビコナ」だというから驚き!

一説には大国主大神が国譲りした後、スクナビコナはその後を追って幽界(常世の国)へ行ったという説もあります。

その常世の国から還ってきたという発想です。

また、和歌山県熊野にある那智の滝(なちのたき)には、かつて龍神が授けたとされる九穴(9つの穴)のアワビが奉安されているとかで、その身は「不老不死の薬」として重宝されたという伝承があるようです。

出雲大社の御神体は「剣」?

日本書紀第5巻によれば、出雲国造の祖先であり、当時の出雲大社の宮司であった出雲振根(いずものふるね)はある時、筑紫の国(九州)へ所用で出かけていたそうな。

そんな振根が留守の折、崇神天皇の使者が下向されこう告げたそうな。

『武夷鳥(たけひなとり)、あるいは天夷鳥(あめのひなどり)が天から持って来た神宝が出雲大神(いずもおおみかみ)の宮に収蔵してあるのそうだが、それを見たい』

と。

これを聞き快く承諾した弟の飯入根(いいいりね)。しかしこの後この使者は天皇がご所望されていることを告げます。

するとこれも兄にだまって快諾し、挙げ句、弟の甘美韓日狭(うましからひさ)と息子の鸕濡渟(うかずくぬ)を護送につける形で天皇へ神宝を献上します。

その後、戻った振根はこの話を耳にしたとたん怒り狂い、弟と殺してしまうのですが、このとき殺意があったことを伏せるために、わざと木刀を本物の刀に取り替えて修練を装ったとか。

つまり弟に木刀を握らせたのです。

これ以降、しばらくの間、出雲臣はしばらく出雲大神を祭らなかったそうな。

なお、この話には「剣」が出てきましたが、出雲国は玉祖命(たまのおやのみこと)の名前が代表されるように三種の神器・勾玉が造成された国として後世にまで名を轟かせていますが、荒神谷遺跡(出雲市斐川町神庭)からは大量の剣が350余本も出土しています。

一説にはこの剣の数も当時の出雲の神社と同数であったとされ、これすなわち御神体として奉斎していた可能性もあるということです。

他に、出雲国の有名な話にヤマタノオロチ伝承がありますが、これに登場するスサノオはオロチの体内から後に三種の神器となる草薙の神剣を発見しています。

この後、この剣は素戔嗚尊と天照大神の誓約(うけい)のに用いられ、この時にスサノオの剣から「宗像三女神」が生まれたとされています。その後、宗像三女神は筑紫の国に降ることになり、当地にて奉斎されることになります。

それと「振根」の名前。剣を”振”るったことから由来がきているという見解もあるようです。

実は出雲国は銅剣と銅鐸が日本でもっとも多く出土している場所でもあり、これらの事実をひっくるめて考察すると現在の出雲大社の神宝、すなわち御神体とは「剣」とされる可能性もあるということです。




出雲大社の御神体は伊勢神宮と同じ「鏡」?

実は上記の話には続きがあり、出雲臣がしばらく出雲大神を祀らなかったのに祀るようになったキッカケがあります。

なんでも当時の丹波国氷上郡(現在の兵庫県丹波市氷上町あたり)で暮らす氷香戸辺(ひかとべ)という女性が、皇太子(天皇の息子)に自らの幼子が歌っている歌を伝え聞かせたとあり、これを耳にした天皇は驚いて急ぎ鏡を作らせたとあります。

その歌の内容‥‥

『玉菨鎮石(たまものしづし) 出雲人(いづもひとの)祭(いのりまつ)る 真種(またね)の甘美鏡(うましかがみ) 押し羽振る 甘美御神(うましみかみ)、底宝(そこたから)御宝主(みたからぬし) 山河(やまがは)の水泳(みくく)る御魂(みたま) 静挂(しづか)かる甘美御神、底宝御宝主 (水草の中に沈んでいる玉のような石。
出雲の人の祈り祭る本物の見事な鏡。力強く活力を振るう立派な御神の鏡。水底の玉。宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡。水底の宝。宝の玉)』   
訳:宇治谷孟

ここで登場する「甘美鏡(うましかがみ)」がいわゆる鏡のことですが、天皇はこの鏡を神もしくは神霊の依り代として、これは祀るものだという気付きを得て、水底から拾い上げています。

すなわち、氷香戸辺の子の歌は神託とされたのです。

ところで‥‥この鏡の行方知りたくありませんかぃ?

この鏡、一時は都の磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや/奈良県桜井市金屋)にて奉安されるのですが、‥‥‥日本各地で災いが起こり、これを鏡の呪いだと受け取った天皇は宮外へ持ち出すように命じてしまいます。トホホ

その後この鏡は皇女の胸に奉戴され、各地を転々とすることに‥‥‥‥‥

あなたが通であればこの先は語るまでもなく‥‥オホっ

出雲大社の御神体は「石」?

出雲には古来、勾玉伝承が伝わるように「石」が御神体として奉斎されているという説もあります。

これについての根拠と成り得るものとして、上述、「氷香戸辺の子の神託」の中の一文があります。

底宝(そこたから)御宝主(みたからぬし) 山河(やまがは)の水泳(みくく)る御魂(みたま) 静挂(しづか)かる甘美御神、底宝御宝主 (水草の中に沈んでいる玉のような石)

この一文から察することができるように、大神を祭らなくなった後、石、つまり玉のような石=勾玉を本殿に奉斎したという説です。

御神体がソロモン第一神殿の黄金のメノラー?

ユダヤのソロモン第一神殿に奉安される黄金のメノラー、つまり「燭台(しょくだい)」が御神体の正体とされる説もあるようです。

この燭台の姿形は8枝(7枝とも)に分かれたメノラーの一種である「ハヌッキーヤー」や「八枝の燭台」とも呼ばれるものであり、ユダヤ教のシンボルともなるものでイスラエルの国章にも採用されるほどのものです。

これがなぜ出雲大社にあるのは謎ですが、なんでも紀元前587年、新バビロニアによって破壊されたソロモン第一神殿の中にこの黄金のメノラーがあったそうで、それが密かに日本へ持ち込まれ、海に面した出雲大社の本殿に御神体として奉安されるようになったという説です。

ただ、この話これで終わらず、なんとぉぅぉぅぉぅっ!!‥‥これが後に8枝(8本)の頭を持つヤマタノオロチ伝承につながったとも言うから驚きです!!




出雲大社の御神体は「御衾に包まれた”ウツボ”」?

一説には出雲大社の御神体は「御衾(おぶすま)」と呼ばれる分厚い布に包まれていて安置されているそうな。

「衾」とは、主に平安貴族が用いた古典的な寝具の1つで、就寝時に身体にかけたことから、現在の掛け布団のような分厚さの布とみれます。

⬆️御衾(画像引用先:https://ja.wikipedia.org/)

第82代宮司「千家尊統」著した「出雲大社」の中にこのような一文がみえます。

『御本殿の御神体には御衾で丁重にくるまれていて、その中身はうかがい知れない』

実は古代では、”うつぼ(空穂/)”と呼ばれる中身が空っぽの植物の穂の形をした入れ物から神霊が生まれ出るという俗信があったようです。

つまり、御神体はアワビではなく、実は『御衾に包まれた”うつぼ”』だという説もあり得るということです。

だとすれば直政が発した大蛇が出てきたという話が気にかかってきまするな‥‥。

御神体が「七宝の筥」?

1031年(平安時代)に編纂された「左経記(さけいき)」という古書物の内容には、下記のようなちょ〜っとばかし、仮想じみた面白いことが書き記されています。

『風がないのに御本殿が倒壊した時、中から七宝の筥(はこ)が転がり落ちてきた』

ここでの「七宝」とは仏教的な解釈をすれば「「金、銀、瑠璃るり)玻璃はり)硨磲しゃこ)珊瑚さんご)瑪瑙めのう)」。

法華経典においては「金、銀、瑪瑙、瑠璃、硨磲、真珠、玫瑰まいかい)」とされています。

筥(はこ)とは、竹で編んだ丸い箱のことを言いますが、七宝が入った筥が転がり落ちてきたことになります。

しかしなぜ筥に七宝が入っていることが分かったのでしょう?

これ転がり落ちてきた時に中身が見えたので「七宝」だと分かったんでしょうか。

風がないのに倒壊したという事実をあえて持ち出してくるあたりも気になります。

それで結論!出雲大社の御神体の正体とはいったいどんな姿形をしている??

‥‥‥と、まぁ、最後に結論を申し伝えれば、出雲大社の御本殿に奉安される御神体の正体とはいっさい不明!‥‥ということになりまする。

そもそも見た者がほぼ皆無であるという事実をもってしても、いかに出雲大社が尊ばれてきたのかが窺い知れます。

足利義満や太閤秀吉、魔王と呼ばれた織田信長、そして徳川家康などなど、日本全土に権勢を誇った歴代の支配者たちでも、御神体を覗きみることだけは避けていた一端が垣間見えます。

出雲大社の注連縄にも言えることですが、それほどまでに出雲大社の御神体は強力な霊力を帯び、逆の発想でその霊力を極限までに接点をなくして、封じているとさえ考えることもできます。

注連縄はまさにその最後の砦とも受け取れます。

だとすれば上述、松平直政の話にあったように「大蛇が飛び出てきた」というのも、マンザラではないのかもしれませんゼ。

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