勢溜の鳥居(出雲大社)の歴史に裏付けられる名前の由来とは?

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出雲大社の表玄関「勢溜の鳥居」

出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・ 勢溜の鳥居(NI-NO-TORI)

造営年

  • 2018年10月2日 ※現在の鳥居(上記写真)
以前の鳥居の造営年

  • 1968年(昭和43年)
大きさ

  • 現在:高さ8.8メートル、横幅12メートル、総重量約10トン
  • 以前の鳥居/高さ:約8.8m/横幅:約10m
材質

  • 現在の鳥居:耐候性鋼COR-TEN®(コルテン)
  • 以前の鳥居:木製(杉材)
鳥居の形式

  • 明神鳥居
寄進者

  • 以前の鳥居:竹中定次郎
  • 現在の鳥居:出雲大社

「勢溜の鳥居」読み方

「勢溜の鳥居」の「勢溜」は「勢いが溜まる」と書いて「せいだまり」と読む。なぜこのような名前が付されたのかについては下記に列記する。

「勢溜の鳥居」の名前の由来

勢溜とは、本来は「軍勢が集い出陣を待つ場所」などの意味合いがあるらしい。

出雲大社は神社であり軍勢とは関連性がありませんが、いったい何故、「勢溜」と言う言葉が付されたのしょうか?

実はこの「勢溜の鳥居」の周辺には、かつて「大きな芝居小屋」があって、多くの人が集まる場所であったという。

然るに、「多くの人々が勢いよく集い、溜まる場所」といった意味で「勢溜(せいだまり)」という名称が素敵に付されたそうな。




「勢溜の鳥居」の歴史

現在の勢溜の鳥居は2018年(平成30年)に「平成の遷宮」の一環で建て替えられたものですが、前身の鳥居は1968年(昭和43年)1月15日に執り行われた「大鳥居用材お木曳の神事(行事)」で建てられた鳥居です。

また、それ以前にも前代の鳥居が建っており、1930年昭和5年)に隠岐布施村から用材を調達して建てられたものでした。

2018年以前の鳥居は、金沢市の竹中産業株式会社・代表取締役社長「竹中定次郎」氏の寄進者(奉建)によるもので、1968年(昭和43年)に寄進されたものです。

ちなみに昭和43年と言えば出雲にかつて存在した市営バスが廃止され、一畑電気鉄道へ市営バス事業が委譲された年でもあります。

その他、出雲大社での参拝を終えた方で勘の良い方であれば、こんな疑問を持たれませんでしたか?

「勢溜りの鳥居の周辺だけ盛り上がって丘になっている」と・・。

勢溜の鳥居周辺は盛り上がって丘になっている‥‥‥なぜ?

一畑電鉄の出雲大社前駅から「神門通り」を通って出雲大社へ訪れた時は、緩やかな坂をあがってきたが、勢溜りの鳥居をくぐると今度は御本殿までの参道を下って進む。

これは勢溜の鳥居の周辺だけが盛り上がっていて高さがあることを素敵に意味する。

事実、当該、勢溜の鳥居のスグそばまで海が広がっていたらしく、この勢溜の鳥居周辺は砂浜の砂丘(砂の山)だったそうな。

しかし、江戸時代中頃を過ぎた頃、出雲大社の御師(”おし”=日本全国を旅する神職のこと/伊勢地方では”おんし”と読む)たちの勧請活動によって参拝客が増加し、次第に勢溜の鳥居の周辺が行き交う参拝客らで騒がしくなってきた。

そこで1667年(寛文7年/江戸時代前期)に、この鳥居後方一帯が整備され、「勢溜の広場」と称する広場が拓かれ、今日に到る。

平成の大遷宮で建て替えされる

1968年4月完成した勢溜の鳥居は木造だったために腐朽化が憂慮され、そこで2018年10月に「耐候性鋼COR-TEN®(コルテン)」という鋼材を10トン使用してまっさらな鳥居へと生まれ変わった(建て替えられた)。

コルテンは、新日鐵住金株式会社が開発した普通鋼に比べて4~8倍もの優れた耐候性を持つ鋼材であり、コルテンの上から重防食塗装(橋梁C-5塗装系)を素敵に施し、防食性を高めると共に周囲の景観にも配慮して建てられています

2018年10月2日には竣功式も執り行われた。

出雲大社 二の鳥居(勢溜大鳥居)建て替え工事の概要

施 主 : 出雲大社(島根県出雲市)
施 工 : 大成建設株式会社(東京都新宿区)
鋼 材 : 耐候性鋼COR-TEN®(コルテン)10トン
製 管 : 富田製作所(茨城県古河市)
塗 装 : 日鉄住金防蝕(東京都江東区)
竣 功 : 2018年10月

新日鐵住金株式会社より

出雲大社の”一の鳥居”は「勢溜の鳥居」ではないの??

実は多くの参拝客が最初にお目にかけるであろう鳥居は当該、勢溜の鳥居ではなかった。

勢溜の鳥居からもときた道を引き返す形で神門通りを下り、出雲大社前駅(一畑電車)を横目に15分ほど進むと、とてつもなくクソでけぇコンクリート製の鳥居が視界に入って来る。

これが出雲大社の一の鳥居で宇迦橋の大鳥居(うがばしのおおとりい)と素敵に通称される。

勢溜の鳥居の別名

一の鳥居があるということで勢溜の鳥居は別名で「二の鳥居」や、「正門(せいもん)」などとも呼ばれる。

なぜ一の鳥居が神門通りの奥に立っているのか❓

実はかつて出雲大社の最寄り駅は現在のバタ電の出雲大社前駅ではなく、「旧大社駅(JR大社駅/大社線)」だった。

然るに以前は「宇迦橋の大鳥居」が出雲大社の「第一の鳥居」であり、参拝客は皆々、ここから神門通りへと誘われ、上記、勢溜の鳥居をくぐって出雲大社本殿を目指した。

そしてこれが島根県 出雲大社における正式な参拝ルートとされていたのだった。

昭和初めに大社駅が廃止されてすべてが変わった

1930年(昭和5年)2月に「一畑電鉄の出雲大社前駅が開設されると、それに合わせたかのようにして「JR大社線」が廃止され、これに伴い「JR大社駅」も廃駅処分と相成った。

もぅこれでお分かりいただけたかと思うが、現在では出雲市駅から訪れる大勢の参拝客がバタ電の出雲大社前駅に降り立ち、駅舎を出ると案内板の通りに大社を目指して右向きに歩き始めるため、一の鳥居の存在には気づかない人も大勢いる。

なお、地元では「二の鳥居」や「一の鳥居」といった定義は無いらしく、勢溜の鳥居が「一の鳥居」でも問題はないらしい。

JR大社駅は観光スポットになっている

また、廃駅となったJR大社駅は、「旧・JR大社駅【重要文化財】」として、現存し、出雲における観光名所の一つになっている。

旧・大社前駅への行き方は素敵に後述✨




出雲大社での参拝記念写真は勢溜の鳥居前で撮る

実は出雲大社には他にもぅ二つ鳥居があり、バタ電の出雲大社前駅で降りた場合、本殿に到着するまでに3本の鳥居をくぐり抜ける事になる。

これら4つの鳥居それぞれは材料が異なるため、鳥居の雰囲気も異なり、あまつさえ大きさも違う。

中でも勢溜の鳥居前には「出雲大社」と書かれた石碑がドッシリと屹立し、鳥居後方には緑々とした松林と青空が広がり、さらにその向こうには神聖な八雲山がそびえ立つ。

そんな出雲独特の光景にスッカリと魅了されちまった多くの観光客どもは、鳥居の前で自然に立ち止まり、記念写真を撮りまくる。

そして、この鳥居をくぐり抜けた先に待つのは約1kmの「参道(さんどう)」です。

「参道」は「産道(さんどう)」に通じるとも云われ、これは参拝することによって俗世の穢れを祓い、まるで生まれた赤子のような穢れのない存在になる、そういった意味合いで「産道」に通じているとも云われる。

御本殿もしくは境内に鎮座される神々へと向かう「産みの道」です。

全ての罪や穢れを祓い清め、汚れていない無垢な胎児に立ち戻り、清々とした心持ちで御本殿へと向かい…とぅぁい♡

なお、勢溜りの鳥居をくぐって少し進むと右側に「祓社(はらえのやしろ)」があるので、本殿(拝殿)へ行く前に、まずはここで祈りを捧げる事から出雲大社の参拝は始まる。

祓戸の4柱の神々が、罪や穢れをしっかり祓って下さる。

出雲大社・勢溜の鳥居の場所(地図)

出雲大社前駅(一畑電鉄)を下車して、前を通る「神門通り」を大社の方向へ、徒歩10分ほど直進します。

関連記事: 島根県・出雲大社の境内の詳細「案内図(地図・マップ)」(ダウンロード可能)

出雲大社の参拝後は「旧・JR大社駅」へ!

出雲大社での参拝後は旧JR大社前駅へ。

大社前駅には100台近い車両を これまた素敵に収容出来る無料駐車場がある。

徒歩なら勢溜の鳥居を出て「神門通り」を散策しながら、前方に見えている巨大な「宇迦橋の大鳥居」に向かって30分ほど素敵に直進♡

途次、宇迦橋の大鳥居を真下から見上げ観るなど、ジックリと見学して、そのままさらに直進すれば左手に「旧・大社駅」がパンツ丸見えの如くに見えてくる。

旧大社駅は現在は廃駅となっていますが、観光施設として復興されています。

駅舎は重要文化財の指定を受けており、さらに在りし日のSL蒸気機関車も展示される。

是非!

旧大社駅と宇迦橋の大鳥居に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

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