【出雲大社の神在月】八百万の神様の会議中は伊勢神宮にも神様はいないのか?

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旧暦10月は出雲大社が1年でもっとも騒がしくなる月

島根県・出雲大社の神在月の「八百万の神様の会議中」は、伊勢神宮に神様はいない?

出雲大社の11月〜12月(旧暦10月)は、1年を通してもっとも騒がしくなる月です。

そぅ、なんといっても旧暦10月には日本全国の各土地の神々が「神謀り(かむはかり)」と呼ばれる「縁結びの会議」をしに出雲の地に参集されるからです。ウフ

この”縁結び”とは、男女や人間の縁だけではなく、あらゆるモノの縁を結ぶことであり、すなわち向こう1年間のあらゆるモノの縁結びについて会議されます。

旧暦10月といえば一般的には「神無月」で認知されていますが、出雲では日本全国から神々が参集される「神が有る月」として「神在月(かみありづき)」と呼ばれています。

そして神在月を迎えた出雲大社では、はるばる出雲までお越しになられた八百万の神々を盛大にもてなすために「神在祭(かみありさい/かみありまつり)」と呼ばれる、もっとも大きな祭典(神事)が執り行われます。

しかし日本全国の神々が出雲に集うということは、日本国民の総氏神とされ、伊勢神宮内宮で祭祀されるもっとも尊き神である「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」をはじめ、外宮の豊受大御神(とようけおおみかみ)も出雲に集われるのか?

と、いう疑問も出てきます。

そこで以下ではこの疑問を解き明かす回答を述べています。

また、会議を行う理由や旧暦10月に神々が集う理由、神無月の語源についても述べています。




伊勢神宮の神様も「八百万(やおよろず)の神様の会議(神謀り)」の最中は出雲大社に出張しているのか?

では、「伊勢神宮の神様」も、「八百万(やおよろず)の神様の会議」の最中は、出雲大社に出張しているか?

ご存知の方も多いと思われますが、伊勢神宮は三重県伊勢市にある神社です。

伊勢神宮は、出雲大社と同様かそれ以上に古い歴史を持つ神社であり、日本の法律でも出雲大社と同じように独自の参拝方法を公式的に認められた神社です。

そして、この日本の国では出雲大社と伊勢神宮を合わせて「二大聖地」とも呼ばれています。

その伊勢神宮の一番えらい方(宮司さん)のお話ではこう言っておられました。

伊勢神宮の神様は、どこへも行きません。いつでも伊勢神宮にご鎮座されております

とのことです。..アッサリ〜

さらにこうも言っておられました。

基本的にその神社にはちゃんと神様がいつでもいて、あなたを含めた地域全体の幸福をいつも見守っておられます。

とのことです。ウフ

11月(旧暦10月)に神様が出雲大社に集まると言われている理由

島根県・出雲大社の神在月の「八百万の神様の会議中」は、伊勢神宮に神様はいない?

その1.『伊耶那美神(イザナミ)を弔うため』

日本神話では、神々の母である「イザナミ」が旧暦10月に亡くなっており、出雲の国境にある山(現在の島根県安来市)に埋葬されました。そのイザナミを弔うため(法要のため)に10月に出雲国に神々が集まるという説です。

その2.『幽冥主宰大神』

出雲大社にまつられている大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は、葦原中つ国(現在の日本)を創造した神であり、つまりは「国つ神」の頂点に君臨する大神です。

後に葦原中つ国を天孫ニニギ(天照大御神の孫)に譲ることになりますが、この時に地上を譲る代わりに”幽れたる神(かくれたる)”を治めることを約束しています。

「幽れたる神」とは「八百万の神々」のことであり、すなわち「八百万の神々を統べる」と言うことになります。

なお、大国主大神には別名があって「幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)」とも呼ばれますが、これは「幽冥世界(ゆうめい)」のことであり、神道における幽冥とは目には見えない世界=神々の世界と解釈されます。

幽冥主宰大神とは、その名前のとおり、幽冥世界を主宰する大神であることから、毎年11月(旧暦10月)になると八百万の神々が大国主大神へもとへ集まり、世の中のことを決めるために会議をするというわけです。

しかし実際のところは民間に広く知れ渡っていた「田の神が秋になると山へ帰る」と言った信仰があり、この信仰を巧みに利用した「出雲の御師(おし)」たちが、別の形で広めたものが上述したような神在月・神無月の信仰であるとも云われています。

【補足】そもそも”神無月”と呼ばれるようになった5つの理由とは?

島根県・出雲大社の神在月の「八百万の神様の会議中」は、伊勢神宮に神様はいない? (2)

その1.『伊耶那美神(イザナミ)が亡くなった月』

1つ目は出雲大社の神無月は、神々の母である「イザナミ」が亡くなった月でもあります。したがって、神々の母である「イザナミ」のいない(神無し)月として「神無月」と呼ばれる説です。

その2.『数字の9より上は無い』

2つ目の理由は、数字は「1から10」まで続きますが、これを暦(カレンダー)に当てハメた場合、9よりケタが増えて「10」になります。そして10からケタ数が増えた状態で新たにカウントがはじまります。

すなわち「数字の9より上の数字が無いよ」という意味で「上無月」が→「神無月」に転じたという説です。

その3.『神嘗月』

3つ目は、「神無月(かんなづき)の」語源を「神嘗月(かんなめづき)」とするものです。神嘗(かんなめ)は神様に、その年に初めて実った米の穂を捧げることであり、神嘗を執り行う「神嘗月」が、ナマって「神無月」になったという説です。




その4.『祭りが少ない時期』

4つ目は、日本全国の神社で祭典(神事)が少なくなる時期がちょうど旧暦10月頃であることに由来して「祭(神)が無い月」→「神無月」としたという説。

その5.『田の神送り』

かつて日本全国の人々は新嘗祭(にいなめさい)が終わると、来年の五穀豊穣を祈願して「田の神送り」と呼ばれる祭りを盛大に執り行いました。

田の神送りは、今年の豊作のありがたみを噛みしめて田の神を盛大にもてなす祭です。餅や団子、酒、赤飯などをお供えして田の神をもてなしたのち、山へお返しするという儀式です。

なお、長野や秋田、愛知県などでは「霜月祭(しもつきまつり)」と呼びならわし、夜通し釜にお湯を沸かして「霜月神楽(しもつきかぐら)」と呼ばれるお神楽を奉奏します。

その6.『1年を半分に割った時の呼び方』

現代でもそうですが、上半期下半期という呼び方があるように古来、1年を2つに分ける見方があります。そこで1年の折り返し月である「6月」つまり水無月(みなづき/=旧暦6月)に対して、新嘗祭が行われる年の瀬(12月)が近くなった月ということで、「上の水無月」→「神無月」と呼ばれはじめたという説。

以上をまとめると‥‥‥

  • 伊勢神宮の神様は伊勢神宮にいる。
  • 日本全国の神社の神様は自らの鎮座地にちゃんと居る。
  • 神々は自らの鎮座地にて地域の人々の暮らし見守っている。

ということ。

しかし、神という存在が本当に実在するのであれば、我々の知らない知りようもない別の次元の世界で、本当に出雲大社に集まっているのかもしれない。

そんな空想を描きながら出雲大社に参拝するというのも、出雲観光の楽しみ方の1つと言えのではないだろうか。

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