出雲大社と伊勢神宮の秘められた関係と違いを暴露!「謎だらけの過去」

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出雲大社と三重県・伊勢神宮の秘められた関係と違いを暴露!「謎だらけの過去」島根県の出雲大社と三重県の伊勢神宮は、神社界だけでなく日本人の誰もが知っている心のよりどころと言える神社です。

日本には数えきれない程の神社がありますが、その中でも、この2つの神社は特別な存在です。

伊勢神宮とは?

伊勢神宮とは?

伊勢神宮は、天界と地上界の主で、天界の最上級神である「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」を、主として、お祀りしている神社です。

日本に古来から伝わるとされる「三種の神器」の内の一つであり、天照大御神の依り代である「八咫の鏡(やたのかがみ)」が祀られています。

又、「天照大御神」は、皇祖神(天皇家の祖先神=国民の総氏神)と言われています。

このため、神社を代表する神社と言われています。

出雲大社とは?

出雲大社とは?

出雲大社は、毎年・旧暦の10月(11月)には全国から「八百万の神(やおよろずのかみ)」が集まって、会議を行い、世の中のあらゆる事を決める重要な神社です。

主の神様として祀られているのは国つ神(地上の神)のリーダーである「大国主大神」です。

このように、天界と地上界のトップを祀る伊勢神宮と出雲大社は、対象的な側面を持った優劣つけがたい、日本を代表する神社です。

そして以下では、この2大神社を比較しながら、そこから浮かび上がる、秘められた関係について、ひも解いていくことにします。




神様の家系図からみた「伊勢神宮」と「出雲大社」の秘められた関係

伊勢神宮は天界のリーダーを、出雲大社は地上界のリーダーを主の神様として祀っているため、全くつながりはないように見えます。

 神様の家系図からみた「伊勢神宮」と「出雲大社」の秘められた関係 (2) 神様の家系図からみた「伊勢神宮」と「出雲大社」の秘められた関係

しかし日本最古の歴史書である「古事記(こじき)」によれば以下のような記述があります。

「天照大御神」は「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」から生まれた。

また、「大国主大神」の直系の祖先である「須佐之男(すさのおのみこと)も「伊邪那岐命」から生まれた

 つまり、伊勢神宮も出雲大社も祀られている神の祖先は、どちらも同じ「伊邪那岐命」ということです。

又、古事記では「天照大御神」の子孫が、「大国主大神」を、祀る「出雲国造(いずものくにのみやつこ/いずもこくそう)」になったと記されています。

伊勢神宮と出雲大社の間には、このように遠い過去から、不思議な結びつきがあったのです。

 「大和王権」から見た「伊勢神宮」と「出雲大社」の秘められた関係

上古の時代、日本では畿内地方(きない ちほう=奈良県、京都府南部、大阪府、兵庫県南東部)を支配していた大国が存在しました。

その名前を「大和王権(やまとおうけん/ヤマト朝廷)」と言います。

大和王権」から見た「伊勢神宮」と「出雲大社」の秘められた関係

歴史の教科書に毎度のごとく登場してくるアレです。

そして、大和王権の本拠地である「大和」は、この「出雲」と「伊勢」とを一本のラインで、とらえる事ができるそうです。

「大和王権」から見た伊勢と出雲の位置この地図で見ていくと、「大和」から見た、伊勢は「東方」の位置にあたります。

東は日の登る方向であり、当時では「生」を象徴する方位だと言われていました。

一方、出雲は大和から見れば、西方の位置にあたります。

西は日の没する方向です。

当時では、西は「死者の国のある方位」と言われており、出雲は、死者の国への入り口であると考えられていました。




まったくの対局の位置にある「伊勢神宮」と「出雲大社」

まったくの対局の位置にある「伊勢神宮」と「出雲大社」

以上のことから、伊勢神宮と出雲大社は以下のように、常に対局軸にある関係であるという説明ができます。

  • 「天(伊勢)と地(出雲)」
  • 「生(伊勢)と死(出雲)」
  • 「日昇(伊勢)と日没(出雲)」
  • 「清いもの(伊勢)とけがれ(出雲)」

「伊勢神宮」と「出雲大社」の秘められた関係

しかし、おかしいことに両社でお祀りしている神様は、祖先が同じ神様なのです。

しかも当時では、不思議なことに以下のようにも考えられていました。

生と死は、一つであり、切っても切り離せない関係にある

つまり、当時の大和王権にとっては、国を支配して行く上で、伊勢神宮と出雲大社2つの社が、重要な役割をはたしていたと考えることができるのです。

つまり、この2大神社は、実は、2つで1つとしても考えられるのです。

これらのことから、「伊勢神宮」と「出雲大社」の秘められた関係とは、以下のように、まとめることもできます。

伊勢神宮と出雲大社は、もともとは一つの神社であった

しかし、

伊勢神宮と出雲大社とは、あくまでも対極の位置関係にある

とも言えるワケです。

「伊勢津彦神」と伊勢神宮の創建

他にも、まだこんな話もあります。

現在、伊勢神宮が建立されている「伊勢」と呼ばれる地名は、太古の昔「伊勢津彦神(いせつひこのかみ)」と呼ばれる「国津神(くにつかみ)」が伊勢の地を治めていたことから「伊勢」と言う地名になったそうです。

ここでの「国津神」とは「地上の神様のこと」で、逆に「天津神(あまつかみ)」とは「天界の神様と言うこと」です。

そして実は、この「伊勢津彦神」ですが、別名を「出雲建子命(いずもたけこのみこと)」と呼び、出雲族の出身の神様と云われております。

つまり、現在の出雲国造家の祖先と言うことになります。

そして、この「伊勢津彦神」が伊勢の地を去る時、伊勢湾の幾重にも折り重なる美しい波が出来たそうです。

美しい波が出来たその時、倭姫命が天照大御神(八咫鏡)をお連れした巡幸の旅路の最中であったと言います。

その美しいさざ波を見た大御神は「伊勢国の波は、なんと美しきことかな」と発せられ、伊勢の国に鎮まるキッカケになったとも云われております。

これらのことから、伊勢神宮が「神宮」とだけで呼称されることに固執する理由として、「伊勢」を付加するのを忌み嫌うためだと一説では云われております。

ただし、現在の伊勢神宮の見方としては、伊勢神宮は「日本の神宮」である故に「神宮」や「伊勢の神宮」と呼ぶ。「出雲は関係ない」と言ったことになります。

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