日本一?出雲大社の”大しめ縄”いつから今の場所にあるのか?交換時期はいつ?逆向きの意味やお金を挟むジンクスの謎とは?

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神楽殿の最大の特徴となるのが、日本一?とも言われる「大しめなわ」が据えられていることで有名です。

以下では出雲大社が誇る神楽殿の大しめ縄についてご紹介してます。

出雲大社の日本最大の大しめ縄の場所はココ!間違えないで!

御本殿の前の拝殿にも大しめ縄が据えられていますが、世間が騒ぎ立てる通称「出雲大社の大しめ縄」はこの拝殿のものではゴザんせん!

出雲大社の大しめ縄とは、境内西端に建つ「神楽殿」に吊るされたしめ縄がこそがまさにソレです。




出雲大社の大しめ縄の大きさはどのくらい?

出雲大社の神楽殿の大しめ縄は、全長が約13.6メートル、しめ縄のもっとも太い部分の直径(太さ)が約8メートル、重さが約5.2トンもある日本最大級の大しめ縄です。

対して、拝殿の大しめ縄は神楽殿のしめ縄よりももう一回りかふた回りも小サイズのもので、長さ6.5m、重さ1tです。これは神楽殿の大しめ縄と比較すると、半分程の長さくらいです。

⬆️拝殿の大しめ縄

⬆️神楽殿の大しめ縄

なぜ出雲大社のしめ縄はなぜこうも大きいのか?

ここで疑問がよぎるのが、出雲大社のしめ縄は、なぜこうも大きのか?ということです。

すでにご存知の方も多いと思いますが、太古の出雲大社の社殿は雲を突き破るほどの高層神殿であったとされ、太古の当時からすれば途方もなく、とてつもない建造物だったハズです。

なぜこうも高さ、いわゆる大きさを求めたのか?

これは現在までの謎とされていますが、この大しめ縄もまさにその1つだと位置付けることができます。それ故、居並ぶ者がないほどに巨大でなければならなかったのでしょう。

それが現代にまで踏襲されていることになりまする。

大注連縄の部位の名前「下に飛び出ている三角の縄の正体とは?」

拝殿もそうですが、神楽殿の大注連縄を見ていてピラミッドのような三角形状の藁のカタマリが下に向けて飛び出ている(吊るされている)のが見えませんか?

口で言っても理解しにくいのでちょいと下掲、写真をご覧くださいな。

⬆️これ!

これ、名前をなんていうかご存知ですか?実は”これ”にも名前があるんです。

名前を‥‥‥「しめのこ」と言います。漢字で表記すると「〆の子」とも書かれます。

名前の由来は、タケノコの形状に似ていることから「しめのこ」とされたようです。

出雲大社の「しめのこ」は高さ1.8メートルもあり、これはなぜか高身長が多い大人のバスケットボールの選手やバレーの選手ぐらいの高さになります。

重さはなんとぉぅ!800キログラムもあり、これまたとてつもない重さとなります。これだけでも輸送するのは一苦労というものです。ふぅ〜‥‥




えっ?!日本一の大しめ縄は出雲大社じゃなく”あの神社”だった?

実は巨大な注連縄を飾り立てる神社が3つあり、いずれの地域でも地元の人々は特に「ウチの注連縄が日本一」と言います。

その3つの候補が下記、3社です。

  1. 島根県出雲大社
  2. 常陸国出雲大社(茨城県)
  3. 宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ

では、この3社を比較してみていずれの神社の注連縄がもっとも大きいのかを比較してみましょう。

島根県出雲大社

長さ約13.6メートル、重さ5.2トン、太さ(直径)約9メートル

常陸国出雲大社(茨城県)

長さ16メートル、重さ約6トン、太さ(直径)約2メートル

宮地嶽神社

長さ11メートル、重さ約3トン、太さ(直径)2.6メートル

 

ただ、どの部位の長さをもって日本一と定めるのは分かりませんので長さ(全長)、重量、太さ(直径)の日本一をそれぞれ下記に示してみましょう!

日本一の長さをもつ注連縄は‥‥‥「常陸国出雲大社」!

以上、日本一長さをもつ大注連縄は‥‥‥『常陸国出雲大社(茨城県)の大注連縄』ということになりまする!

日本一重い注連縄も‥‥‥「常陸国出雲大社」!

日本一重量のある注連縄も重さ約6トン!‥‥という常陸国出雲大社(茨城県)ということになりまする。

日本一太い注連縄は‥‥‥「島根県出雲大社」!

太さ(直径)日本一の大注連縄は太さ(直径)約9メートル、我らが「島根県出雲大社」!!です。

大しめ縄は取り替えられるの?取り替えるなら何年ごと??

見ての通り、神楽殿の大しめ縄は日本一のしめ縄と言われるだけあり、重さ5トン、長さ約13メートル、太さ(直径)が一番太い部分で約9メートルもあります。

たかがしめ縄といえど、このような巨大になると取り替えるのは至難の技であり、人間の力では到底無理です。機械が必要になります。

そのため1度設置されると、約5年〜6年間はそのままになります。

現在みることのできる大しめ縄は2018年(平成30年)7月17日に取り替えられた大しめ縄であり、1981年(昭和56年)に神楽殿が創建された時から7度目の取り替えになります。

神楽殿の大注連縄を作っているの制作会社とは?

この大注連縄をみていると、「いったい誰が作っているのか?」などの疑問が湧き出てきますが、なんと!この大注連縄は島根県飯南町の「大しめ縄創作館」で作られています。”なんと!”必要か?

奉納されるようになった理由、もしくは経緯としては、昭和30年頃、実は飯南町に出雲大社の分院が存在し、その頃から地元住民や信者たちが分院にしめ縄を奉納していたようです。やがてその縁で神楽殿にも奉納されるようになったとのことです。

現在もこの伝統が脈々と受け継がれ、地元住民が結成する「飯南町しめ縄クラブ」や「飯南町注連縄企業組合」が主体となって大しめ縄づくり&奉納が行われています。

話は逸れますが、この大しめ縄創作館では一般の方を対象とした「しめ縄づくり体験」や「しめ縄の販売」もできますので、時間のある方はぜひ!お立ち寄りください。

大注連縄をネジるのが一苦労!その想定外な作業方法とは?

大注連縄をより合わせる(巻く)作業も一苦労で、長さ約17メートル、重さ約1.7トンもある大なしめ縄を1本だけ重機で吊り上げて、残りの1本を地元の大人20人がかりで持ち上げて少しずつ捻っていきます。

なんでも1.5ヘクタール(約サッカーこと一面分)の稲ワラを使用し、800人がかりで、およそ半年で作り上げるそうです。

その後、クレーン付きのトラックの荷台に乗せられて神楽殿まで輸送されて取り付けられます。

大しめなわ創作館の問い合わせ先

施設名:飯南町大しめなわ創作館
住所:島根県飯石郡飯南町花栗54-2
電話番号:0854-72-1017
URL:https://ohshimenawa.com/

大しめなわ創作館の場所(地図)

出雲大社から車で約1時間10分、距離53㎞

出雲大社の神楽殿のしめ縄の向きについて

出雲大社の「大しめ縄」は、神楽殿(かぐらでん)だけにあるのでなく、上述したように「拝殿」にも、この神楽殿と同様の「大しめ縄」があります。

この大しめ縄ですが、よく見ると縄をしめる向きが、通常の神社の「大しめ縄」と比較して、逆になっています。

⬆️出雲大社・神楽殿の大しめ縄

⬆️福岡「宮地嶽神社」の大しめ縄

「向きが逆」とはどのようなことかといいますと、注連縄は作り始める「綯始(ないはじめ)」は太く、「綯終(ないおわり)」は細くなりますが、古来、これが習わしであり、「吉」とされてきたのです。

つまりのところ、向かって右側が太く、左側が細い向きにされるのでますが、出雲大社ではこれが逆向きになっています。

ご興味のある方は、ぜひ1度、よくご覧になってみてください。




出雲大社の大しめ縄が逆向きになっている理由

大しめ縄が逆向きになっている理由は、神社神道では神様に向かって右方を上位としていますが、出雲大社では左方を上位としているためと言われます。

出雲大社が左方を上位としている理由は、次のような理由が述べられています。

  • 御本殿内の客座五神が祀られている場所における上位の神様が左側に祀られているから。
  • 御本殿の御祭神「大国主大神」と関係性のより強い神様が本殿を向かい見た左脇「筑紫社」に祀られているから。
  • 上記、2つの理由から古式に倣い、神饌がお供えされるときも左側の神座から供進されるから。

なお、ここでの上位の位置付けとは「格が上」という解釈であり、すなわち、神饌(しんせん/=お供え物)を供進する際も上位の神様が最初になります。

つまり、「上位の神様=左方」となり、この御本殿の様式に倣い、注連縄の縒りあわせ方も逆になったと考えられています。

大しめ縄にお金を挟んでどんなご利益があるのか?

神楽殿(かぐらでん)の「大しめ縄の”しめの子”」には無数のお金(硬貨)が挟まっています。

これらのコイン(硬貨)は参拝者たちが願掛けの一種で挟み込んだものです。なんでも”しめの子”に挟んだ硬貨が落ちないと願いが叶うというものらしいのですが、これはあくまで俗信のようです。

むしろ、出雲大社の神職の方に言わせると、しめ縄が硬貨によって痛むらしいので、やめてほしいとのことです。(現在、注連縄の一部にはお金を挟む人が多いためか金網が張られています)

もし、あなたが参拝された時は、くれぐれも硬貨を挟まないようにしてください。

注連縄を付ける理由や意義(意味)

神様が降臨される場を清浄に保つ

注連縄は「七五三縄(しめなわ)」とも記し、「しめくり縄」の略です。”閉める”という意味合いで、神様が降臨される場を清浄に保つ意味合いがあります。

神霊の霊力を封じ込めるため

こと、この出雲大社に限っては主祭神である大国主大神の神霊の霊力があまりにも強く、本殿(神界)から俗世にまで及ばないようにわざわざ巨大な注連縄を用いて封じ込めているともされるようです。

一度訪れた神様を出ていかせないようにするため

上記と少しニュアンスの異なる発想で、なんでも一度降臨した神を出て行かせないようにするためのものだという説もあるようです。

ただ、この由来は特に正月に飾る「しめ縄飾り(しめ飾り)」のことを指し、幸運の神とされる歳神を家内に閉じ込めるという意味合いが濃いようです。

伊勢神宮には注連縄がない?その代わりに‥‥

伊勢神宮ではしめ縄が無い代わりにお榊が鳥居の両柱に飾られていますが、これも意味合い的には注連縄と似たようなものがあり、神界・神域との現世とを隔てる役目を担うものです。

神社の境内には注連縄が四角形状に張られている場所がありますが、これらは神事を行うために邪気や不浄なものが入らないよう清めている場所(斎場)となりますので、くれぐれも手を入れないようにしてください。

注連縄の起源や歴史!注連縄はいったい誰がいつどこでなんのために作った?

注連縄の起源は日本書紀や古事記に記される天岩戸伝承にまで遡ります。

天照大御神が天の岩戸に閉じこもる話は有名ですが、大御神が太陽神であるが故、世界は暗闇に覆われ大変な事態を迎えます。

この後、神々が岩戸の前に参集し、知恵をふりしぼり、最終的に天照大神は天之手力男神(あめのたぢからおのかみ)に手を引かれて岩戸を出ることになります。

さらにこの後、天照大御神が再び岩戸に入らないようにするため、注連縄を巻いて岩戸の入口を封じたという話が残されています。

これより後、注連縄が俗世と神界(神域)とを隔てる霊力を帯びるものとなってゆくのですが、現今、神社や神棚に注連縄が見られるのはこのような経緯があったからです。

大注連縄が出雲大社に付けられた?

出雲大社に大注連縄が付けられた確たる理由は定かではありませんが、1つはやはり上述した神界(神域)と俗世を隔てるための垣根の役割を果たすものとして捉えられる一方で、2本の縄が絡み合う様子は2匹の蛇が絡み合いながら交尾するようにも見えます。

出雲では現在でも龍蛇信仰が息づいているように、上古の時代から蛇が敬われてきた歴史があることから、この注連縄もこうした蛇にまつわるものが具現化したものではないか?‥‥などとも考えることができます。

出雲大社の大注連縄はいつから付けられた?

上述したように現在、神楽殿に見れれる大注連縄は1981年に神楽殿が完成を迎えた記念として、飯南町に出雲大社の分院があった縁から飯南町の有志団体から贈られたものです。すなわち、1981年から取り付けられたことになりまする。

過去の神楽殿に現在のような大注連縄があったのかは定かではありません。

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