出雲大社に秘密&謎多き龍神と蛇神が祀られ続けるのはどうしてか?

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11月(旧暦では10月)は出雲大社の最大の行事であり、最大のイベントがあります。

その最大のイベントとは、何かお判りになりますでしょうか?

ちょっと考えてみてください。

神在祭(かみありさい)」です。

この出雲大社の神在祭では「龍蛇が礼拝の対象となる一大イベントとなります。

出雲大社に龍神と蛇神が祀られていた?!「龍と蛇の秘密・謎と由来・意味・歴史 」




出雲大社の「龍蛇」とは?「龍」と「蛇」をまつる??

出雲地方では神在祭の頃になると、強い風が吹いて大荒れになる時があります。実は、この強い風に乗って神々は出雲に集い、会議を行うと云われています。

このとき、強い風の影響からか、島根半島の海岸に「海蛇(うみへび)」が漂着することがあります。

この海蛇の特徴として「背中は黒く、腹部は黄色」をしており、「セグロウミヘビ」という呼称が付されています。

セグロウミヘビと出雲大社の龍と蛇の謎:「龍=龍神?」・「蛇=蛇神??」の秘密・由来・意味・歴史の情報

このセグロウミヘビは南海に生息すると言われ、激しい海流にながされて遥々、日本海(出雲)へやってきます。

「セグロウミヘビ」とは?

お〜ホっホっホっ。ここで久々に麻呂の登場でオジャルぞよ。待たせたのぅ。ホホっ
セグロウミヘビとは英訳で書くと「Hydrophis platurus」じゃ。様々な海流に便乗して年間で約3000㎞、1日換算で約10㎞もの距離を移動できるスタミナを持つのでおジャル。
また蛇の一種であることから毒牙を持っており、コブラの数十倍の毒を持つでの蛇(じゃ)。この毒の量は当然、人を充分に殺せる量であるじょヨ。
ただのぅ〜、セグロウミヘビを含めたウミヘビは頭部が小さく、比例して毒牙も小さいので1回ガブつかれただけでは余り毒は入らないそうじゃ。..ビール”ガブっ”飲み
しクぁし!、ボクシングのジャブのように後々で効いてくる毒なので、噛まれてから何も症状がないと安心して30分以上放置するのは危険でオジャル。
危険である理由は、日本にはウミヘビに噛まれた症例が少ないことから、毒を瞬時に中和できる血清がほぼないからであるゾよ。お〜ホっホっホっホっホゲぇ

出雲地方では海蛇が漂着すると神社に奉納される?!

出雲地方では、海蛇が漂着すると神社へ丁重に祀ります。

海蛇が丁重に祭祀される理由は後述しますが、何と!海岸ごとに漂着した海蛇が奉納される神社が定められています。

これは海蛇が島根半島全体の海岸に流れ着くためです。

各・神社が担当する海岸

  • 稲佐の浜→出雲大社
  • 日御崎海岸→日御埼神社
  • 北浦海岸→佐太神社(さだじんじゃ)




出雲大社の御神体は蛇だった?!

大国主大神が蛇神や龍神(水神)だと暗示させる故事や神話は多く、以下はあくまでも一例に過ぎない。

松平直政が直視した大蛇だった説

出雲大社の御神体は誰も見たことがないのは知る人ぞ知る事実。

しかしながら過去に一人だけ、江戸時代に出雲大社を支配していた松江藩主が覗き見たという逸話がある。

この藩主名前を松平直政といったが、神職の制止をふりきって藪から棒に本殿の扉をこじ開け、御神体と直面したらしいが、後日談として最初はアワビで、しばらくすると大蛇に変化したと話したそうな。

小さな蛇だった説

また日本書紀によると崇神天皇の叔母にあたる倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は大物主神(大国主の別名)に輿入れした。

しかし大物主神は夜にしか姿を見せなかったため、夫婦となっても姫は夫の姿を知らないままでいた。

ある日、姫は神に姿を見せてくれるように託け(ことづけ)すると、大物主神はこっそりと姫の櫛笥(櫛箱)に入って姫が箱を開けるのを待った。

明くる朝、姫はその櫛箱を開けると小さいながらも容姿端麗な蛇が入っていたが‥、姫は思わず”規制”されるほどの勢いにて”奇声”をあげると、蛇は自らを恥じて三輪山へ登り帰ってしまったのだった。

姫はその後、自らの過ちを猛省するあまり箸で陰部💋を突いて自害したとある。

大国主大神は水神だった?!

馬や牛はかつては水神の神使とされていたという説があり、水神への捧げ物とされた歴史もある。

無理やり結びつけるわけではないが、どうやら御祭神の大国主大神の御神体(実態)そのものが龍蛇神であるという説も素敵に存在し、龍といえば水神にも例えられる。

例えば出雲大社境内で見られる「神馬の像」と「神牛の像」は大国主大神への捧げ物という説も素敵にある。

セグロウミヘビが出雲に漂着する理由

セグロウミヘビが出雲に漂着する理由は、ちょうど11月頃(旧暦でいえば10月頃)が産卵の時期になるからです。

セングロウミヘビは「卵胎生(らんたいせい/=メスの腹で卵を孵化させて子供を産む)」ですが、この時期、産卵を控えて海流には乗らずに陸に近づきます。

このため、中には誤って浜辺に打ち上げられてしまうこともあるというわけです。




出雲地方では古くから海蛇を「龍」とも呼ぶ

出雲地方では、古くから海蛇を「龍」とも呼ぶ

実は、島根県・出雲地方に古くから伝わる言い伝えでは、蛇体と呼ばれる「蛇の姿をされた神様にまつわる伝記」が数多く存在しています。

この出雲地方で「海蛇(セグロウミヘビ)」は「神々の先導役」と古くから伝承されており、姿形が神の使いである「龍」とも似ていることから、敬う気持ちと併せて「龍蛇様(りゅうへびさま)」と呼ばれています。

また、第八十二代・出雲国造の千家尊統 氏が著した「出雲大社」によると、大国主大神もは古くは海の彼方からやってきた神霊だと考えられていたらしい。

毎年のように稲佐の浜に打ち上がるセグロウミヘビの様相を鑑みれば、蛇は御祭神たる大国主大神の神使そのものであり、御祭神も蛇神の側面を具有すると考えることもできる。

なお、古代では神は常世の国からやってくるものだと考えられていたらしく、例えば少彦名命は大国主大神の国造りを助けた後、ふたたび海の彼方(常世の国)へ還っていたとする。

ところで‥「龍」とは?

「龍」はもともとインドで誕生しましたが、インドでは水の神である「ナーガ(蛇神)」でした。その後、インドから中国へ蛇信仰が伝来し、中国で蛇が→「龍信仰」として生まれ変わります。その龍信仰がおよそ紀元一世紀頃に日本へ伝来したと云われています。

日本に伝来した龍は、その当時もともと日本にあった蛇信仰と龍が結びついて「龍蛇信仰」が生まれたとされています。

日本の龍は中国で生まれた?!

インドでもそうですが、中国においても龍は川の化身(水神)と恐れられていますが、これは川の形を上空から俯瞰して見れば分かるように、まるで蛇や龍の形に見えたからだと言われています。

これと同じような発想で出雲地方で龍蛇信仰に火がついた理由の1つとして、2本の縄が絡み合う注連縄の形状も、まるで絡み合いながら交尾する蛇のように見えたという説もあるようです。

なお、日本においての「龍神信仰」というものが歴史上に見えはじめたのが平安時代の頃であり、この頃を境に日本に龍蛇信仰というものが広がりを見せています。

ただ、時代背景は異なりますが、スサノオが出雲で倒したとされるヤマタノオロチ伝承も、考えようによっては龍蛇信仰から派生したとも位置付けることができます。

以上のような経緯から、神在月に「海へ流れ着いた海蛇」や「捕獲された海蛇」は、「龍蛇様」として出雲大社を含めた出雲地方の各神社へ手厚く奉安されることになっています。

龍蛇様をお祀りすると、得られるご利益(効果)ってあるの?

龍蛇様は神々の先導役として崇められているだけでなく「火災予防」「水難予防」「商売繁盛」の神様としても信仰されています。

神在祭の参拝者は龍蛇に拝礼するだけではなく、龍蛇の姿を印刷した「龍蛇札」を授かり、それを家でお祀りします。




出雲大社のちょっと謎めいている「龍蛇様の神送りの儀式」とは?

神在祭で祀られた龍蛇様の「骸(遺骸)」は信仰の対象として保存されるそうです。

そして、龍蛇様の御霊は「依代(よりしろ/神霊が降臨する場所)」に移され、神送りの行列とともに葬儀の場に送られます。

葬儀の場では「船出の儀式」がヒッソリと行われ、その後に龍蛇様の御霊は、いずこともなく旅立って行くそうです。

これらの一連の神事は夜に行われています。

この神事は出雲大社の宮司はもとより、近くの神社の宮司たちも参加して執り行われ、これら一連の神事を「神送りの儀式(神事)」と呼称します。

では、いったい「龍蛇様」の信仰はいつごろから始まったのでしょうか?

龍蛇信仰の起源・神在祭の起源とその由来や歴史とは?

出雲大社の龍と蛇の謎:「龍=龍神?」・「蛇=蛇神??」の秘密・由来・意味・歴史の情報

平成の現在まで神在祭がいつごろから始まり「龍蛇様」の信仰がいつ頃始まったのかなどは、現在のところまで未詳とされる。

しかし現在までの研究では、室町時代(1336年-1573年)末期頃には、すでに龍蛇信仰があり、神在祭が行われていたことが明らかにされています。

室町時代の神道思想家の談話を記載したとされる「佐陀大社縁起では、神在祭の記述が開始された時には「龍蛇2匹を祭祀した」とあり、さらにこれは「異国からの献上物」と記述されています。

1512年(室町時代)の頃の断片的に残った書物等の記事によると、この異国とは「龍宮」のことで「2匹の龍蛇は夫婦」と解釈されています。




このように断片的な書き物の記述だけでは、信仰の対象になった時期は判りませんが、浜辺に漂着した海蛇は、出雲地方では上古の時代から尊崇されていたようです。

そして、現在の出雲大社に伝わる「龍蛇信仰」として、受け継がれてきたものと考えられます。

なお、「佐陀大社縁起」の”佐陀大社”とは現在の「佐太神社(さだじんじゃ)/出雲国二宮」のことであり、室町時代の神在祭は、なんと!島根県出雲大社ではなく、佐太神社で執り行われていたそうです。

かつての佐太神社の勢いは出雲大社を凌駕するものがあり、その境内も現在の数十倍もあったそうです。

この事実は、1256年(康元元年/鎌倉時代)の「社領注進状(出雲大社所蔵)」に”280丁”と記されており、さらに1706年(宝永3年)の「佐陀大社勘文」によれば、島根郡と秋鹿郡に7000石の社領を有し、224人もの神職が在籍していたことが明らかにされています。

なお、7000石を現代風に例えると、70万平方メートルとなり、これは明治神宮(東京)とほぼ同規模に相当する面積となります。

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