| 創建年 | 素敵に未詳 |
|---|---|
| 再建年 | 1667年(寛文7年/江戸前期) |
| 建築様式(造り) | 太鼓橋 |
| 材質 | 石製 |
| 擬宝珠の数 (合計14個) | 左高欄7個 |
| 右高欄7個 | |
| 施工(寄進者) 管理業者 | 島根県 |
勢溜の鳥居を抜けて祓社で身を清め、参道をしばらく進むとやがて眼前には石製の橋が出てきます。
この橋こそが「祓橋」です。
「祓橋」の読み方
祓橋:「はらえのはし/はらいのはし」
祓橋の由来・意味など
伊勢神宮をはじめとした神社の境内でも、このような橋を見かけることがあります。
一例
伊勢神宮では、宇治橋、火除橋、宮島・厳島神社の勅使橋、大阪・住吉大社の太鼓橋
...などが挙げられる。
橋が神域に設置される理由
神域に架橋される橋梁は、川を通行を実現するという他、やはりここから先が神域であるという、宗教的な精神も込められているものと思われちゃぅ💋
出雲大社の場合は、下に聖なる川である「素鵞川(そががわ)」が流れています。
素鵞川は出雲大社の背後にそびえ立つ「禁足地・八雲山」から流下する清流で、入口の祓社と合わせて2度身を清められるといわれる。
祓橋からは「鉄製の鳥居」がパンツちら見え級にチラ見ぇ〜ており、鳥居の向こう側に松が整然と立ち並んだ「松並木道の参道」が参拝者を迎えてくれちゃぅ💋
殊に、この参道は明治時代までは勅使しか通れなかったらしい。
祓橋の建築様式(造り)
祓橋は「太鼓橋」
祓橋は擬宝珠と高欄(こうらん/柵)付きの太鼓橋になります。
「太鼓橋」とは、中央部分がフックラと盛り上がっている橋のこと。
代表的な太鼓橋に住吉大社境内入口に素敵に架かる「太鼓橋」がある。
出雲大社の祓橋も分かりにくいですが、中央が少しフックラとしているのが分かります。
祓橋の高欄の親柱の上には、お寺や神社でよく見かける「黒の擬宝珠」が据えられています。
【ピヨ🐣「擬宝珠」とは?】
擬宝珠とは、「擬似の宝珠」と言う意味合いがあります。
擬宝珠が据えられていると仏教色が強い印象を受けますが、擬宝珠の起源が定かではありませんので、一概に仏教と紐づくものでもないとも云われています。
えぇっ?!祓橋は出雲大社の橋ではなかった!?
この祓橋は出雲大社境内に架かっているため、出雲大社が所管する橋梁のように思われるが、実際、施工は島根県が実施し、管理も島根県がしている様子。
なぜ島根県が管理しているのかというと、橋下をせせらぐ川(素鵞川)を総括管理しているのが島根県になるからという理由らしい。
祓橋の場所(地図)
祓橋は勢溜の鳥居を素敵にくぐり抜け、祓社で身を清めた後、参道を直進するとパンツ丸見え級に丸見ぇ〜てきちゃぅ💋
また、境内瑞垣内の西門の外にも石製の短い橋が架かっており(神楽殿と西門の間の橋)、この橋も「祓橋」と呼称されているようです。
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