【「玉造」の名前の由来】「玉造」と「玉作」の違いとは?

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ヤマト王権の「玉造部」が由来

実は「玉造」の名前の由来は現代に至っても未詳とされるも、古墳時代などに大和朝廷(ヤマト王権)の役職である「玉造部(たまつくりべ)」等の勾玉製作の朝廷機関が置かれていたことに由来しているといわれる。

他説としては、当地にある花仙山で良質の青瑪瑙(メノウ)が採取できたことから、やがて勾玉や玉の製作地として栄えたことを端緒とする…という説もある。

殊に、「玉造」と称する地名は他にもあるのだが、いったドコだかお分かりになるだろぅか?

おそらく関西であれば分かると思われるが‥

正解は……

「大阪の玉造」!

実は、大阪にも「玉造」なる地名が素敵に存在する。

当地には太古の昔、「玉造部(たまつくりべ)」というヤマト王権の役職が置かれていたらしく、地名はこの故事にちなむ。

勾玉づくりが盛んだった”玉つくり”が由来

当該、玉造では、かの三種の神器「八尺瓊勾玉(やさかにのまがた)」が制作されたという伝承もある。

八尺瓊勾玉を制作した人物を「櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)」と称し、日本書紀によると、当該、人物は玉造部の祖先になるとか。

また、この玉造の地にある「花仙山(かせんざん)」という山では、出雲特有の色合いをもつ「青瑪瑙(青めのう)」が採石でき、出雲特有であることから別名で「出雲石」の異名がある。

一説に、当該、花仙山で採石された石を使用して、かつて当地に存在した古代出雲の玉造部が三種の神器「八尺瓊勾玉」を制作したという説もある。

しかし、これまでの研究の考察から、実際は新潟県・糸魚川のヒスイが使用された説が定説とされる。

しかしながら、糸魚川で採石された後、出雲に運ばれ、当地(玉造)にて八尺瓊勾玉が制作された‥という説もある。

玉造と玉作の違いとは?

玉造温泉郷内には、「玉作湯神社」「玉作会館」「出雲玉作資料館」「出雲玉作史跡公園」‥など、「玉造」ではなく、「玉作」を冠した施設が、幾つか存在する。

辞書を引くと次のような解釈になる。

「玉作」の意味

「玉をみがき加工する」 という意味。特に「縄文時代の玉作」のことを指すらしい。ほかに「玉作を行う加工作業」のことをいう。

「玉造」の意味

「玉造(たまつくり)」とは、勾玉などの「玉」を製作・加工する技術や職人を指す。

大阪市や島根県の地名にもなっているのだが、これは前述のように古代出雲において当地にて勾玉が数多に製作されたことや、大阪の玉造には大和朝廷の職業部「玉作部」があったことに因む。

元来、「玉作」だったらしい

地元民によると、元来、「玉作」の方で記されていたらしいが、江戸時代以降に「玉造」の字があてられるようになったとか。

その名残りが「玉作湯神社」で、「出雲国風土記」には「玉作湯社」と記されることから、当初から「玉作」が用いられていた。

ところが、江戸時代の享和3年(1803年)になると、7代藩主の松平治郷から「湖南玉造薬泉神社」銘の扁額が奉納され、然るにこのあたりで「玉造」とも書かれるようになったという。

これは大阪の玉造に倣い、「作」よりヤマト王権の機関に由来した「玉造」を用いる方が、由緒ある系譜を誇示することができるとしたため、玉造を用いたという説もある。

しかしながら、明治になって神社局から従前の「玉作」に戻すように命じられたらしく、現状の「玉作湯神社」へと改号されたらしい。

殊に、地名だけはどうやら地元民が、江戸時代を通じて長らく「玉造」を使用していたことが影響してか、「玉造」が踏襲される恰好となったとか。

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