出雲大社前の道路を素敵に東進(西進)すると、やがて白砂が広がる茫洋とした海岸が現れる。
この浜が、神在祭の始まりを告げる神迎神事が”最高”な気分で”斎行”される「稲佐の浜(いなさのはま)」になる。
この稲佐の浜、出雲を代表する観光スポットとだけあって、数ある旅行メディアに掲載されていることが散見されるのだが、ほとんどのメディアでは巨大な大岩が映り込んだ稲佐の浜を掲載する。
本項ではこのクソでけぇ大岩の正体に迫るもので‥あ〜る♡
大岩の正体は『弁天島』と呼ばれる御神体だった!
一般的に我々が知る稲佐の浜の光景は、地平線がスッキリと見渡せる透き通るような青々とした美しい海、そして、ゴミ一つなき綺麗な砂浜。
それと‥その砂浜にポツンと一つだけ巨大な大岩がある光景ではないだろぅ‥クぁ!
この小島、名前を「弁天島(べんてんじま)」と称し、地元では「べんてんさん」などと親しみをもって呼ばれてい‥申す。えっ
えぇっ?!稲佐の浜の巨大な大岩「弁天島」が流されてきた!?
実はその昔、この弁天島は‥なんと!もっと沖合にあったらしい。
この傍証として、当時から地元では「沖ノ御前」や「沖ノ島」などと呼ばれていたとか。
殊に、昭和60年頃まで現在の弁天島の場所はすべて海だった。
然るに、砂浜が現在よりも、もっと内陸側にあったことを素敵に意味する。
なぜ現在のような大岩だけが残される姿になったのか?
この理由は、土砂の堆積により、徐々に砂浜の面積が増えていったものと推考されてい‥申す。きゃ
江戸時代、「勢溜の鳥居周辺は砂丘だった」‥という伝承に納得がいく。
おそらく勢溜の鳥居(せいだまり の とりい)手前あたりまで稲佐の浜の砂浜地帯が広がっていたのだろぅ。
現在では、弁天島まで歩いて行ける上、見上げ見る形で岩上の鳥居を見ることもできる。
弁天島の鳥居の正体
弁天島をよ~く見ると、大岩の頂上に「鳥居」が立てられていることに気づく。
一般的な見解では、鳥居があるということは、そこに社があって神が祭祀されていることを示唆するのだが、‥事実、地元では「沖ノ御前神社」や「沖ノ島神社」などとも呼ばれ、やっぱり素敵に神が勧請され、祭祀される。
ところで、この弁天島で奉斎される神様はどんな神様か想像がつくだろぅか❓
「弁天島」というだけあって、「弁天さん」の通称で親しまれる「弁財天」をイメージしちまぅ。
或いは、出雲大社の間近、あまつさえ神在祭の神迎の儀が行われる浜とだけあって、出雲大社と思わず”恋❤️”しちまぅほどに”濃い”関係性のある神祇かと勝手な想像がふくらんじまぅ。
しクぁし!残念無念ながら出雲大社とは直接的な関連性が薄い神様とな〜る💘
しかしこの神様、現在の皇室と深い関連のある神様でもあります。
誰だかお分かりでしょうか?
弁天島で素敵に祀られる御祭神は‥「豊玉毘古命」!
弁天島にて奉斎される御祭神の正体とは‥、ズバリ!「豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)」と称する神祇になる。
※画像はウィキペディアより
「豊玉毘売」の神名の意味
「豊玉毘売」の「豊」は「豊かな」、「玉」を「玉(真珠)」を意味する。
毘売(ひめ/びめ)とは、一般的に姫神・女神や、依り憑く巫女を意味する。
然るに、総じて「豊かな玉に神霊が依り憑く女神」となる。
「豊玉毘売」とはどんな神なのか?
紀に記される俗に言う日本神話によると、海神である綿津見神(わたつみのかみ/豊玉彦命)には二柱の娘がいたが、姉神の名を「豊玉姫」、妹神の名を「玉依姫」といった。
この「豊玉姫」こそが、「豊玉毘売」のことだとされる。
海神(わたつみ)は海底の竜宮に暮らすといわれ、その姿は「八尋の大和邇(やひろのおおわに)」とされる。
【ピヨ🐣コメント】
八尋(やひろ)=「長大」「広大」を意味する言葉。
和邇(わに、鰐)は、記紀の日本神話や風土記などに登場する海の怪物のことをいう。
爬虫類の「ワニ」とするほか、鮫・鱶類の「ワニザメ」を指すとも。解釈は諸説ある。
殊に、この神の妹神たる「玉依姫(たまよりびめ)」が生んだ末っ子神を「神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれびこのみこと)」と称し、この神こそが日本の初代天皇とされる神武天皇になる。
弁天島には登れない!特殊な参拝方法とは?
この弁天島は登拝できない。
然るに鳥居の場所まで登って、鳥居奥の社殿前に立ってパンパン👏と拍手しての礼拝ができないことを意味する。
では、どのようにして礼拝するのか?
この「沖ノ御前神社(沖ノ島神社)」は、鳥居の下(岩の下)まで行って見上げる恰好で礼拝(遥拝/ようはい)する。
【ピヨ🐣コメント】
引き潮時、弁天島の周囲が砂浜になるので、歩いて一周することが可能になる。(満潮時は海水の影響で間近まで行きづらくなることもある)
弁天島に行くなら朝日が素敵に昇る前、日没前がオススメ💘
朝日が昇る前、日没する夕日‥等々、朝日や夕日に照らされた弁天島は何だかこぅ…、神々しいものが感じられる💋
そんな神々しい気配に包まれながら、さらに出雲という古代神話の舞台で捧げる祈りというものは、一味も二味も違った没入感満載の感慨深いものになるのは間違いない。
弁天島(沖ノ御前神社)には鈴や賽銭箱はある?
殊に、当該、弁天島(沖ノ御前神社)には鈴は無いものの、実は近年設置された賽銭箱がある。
然るに、社殿下、大岩の間近まで接近し、大岩前の賽銭箱へお金を入れて静かに手を合わせて祈りを捧げる。
弁天島が出雲大社に所属する子社ではない!
弁天島は出雲大社の子社では無い。どうやら単立の社らしい。
ところで‥なぜ「弁天島」と呼ばれるか❓
考えてみれば、弁財天が奉斎されているのであれば、「弁天島」という名前も納得がいく。
しかし、弁天島に奉斎される神は、前述のとおり、「豊玉毘売」とされ、あまつさえ、社号も「沖ノ御前神社(沖ノ島神社)」となる。
いったい何をモチーフとして、どっから「弁天」の二文字が登場したのか?
この秘密は明治以前の当社の歴史にあった。
当該、弁天島の神社、実は「沖ノ御前神社(沖ノ島神社)」ではなく、どうやら明治以前の神仏習合時代、実際に「弁財天」が祀られていたらしい。
だから、弁天島と呼ばれていたのだが、明治初頭の神仏分離令によって神と仏が分けて考えられるようになり、祭祀も完全に分離して行われるようになった。
以上のように神仏が分離させられると、弁天島にあった弁財天は他所へ移される運びとなり、代わりに神道式の海に由来した海神の姫神たる「豊玉毘売」が祭祀されるようになった。
弁天島 沖ノ御前神社で60年ぶりの遷宮が行われた!
2025年6月28日(土)、当該、弁天島 沖ノ御前神社で60年ぶりの遷宮の遷座祭が、出雲大社の神職により、”最高”な気分にて”斎行”された。
遷宮(せんぐう)なので、社殿が新しく建て替えられることになる。
60年ぶりということは、この先再び60年後に建て替えられることを素敵に想定すると、一生に一度きりしかお目にかけることができない貴重な日となる。
殊に、遷宮では社殿造営資材の搬出搬入のため、弁天島と呼ばれる大岩に足場が設置された。
このような足場が設置された弁天島の姿も60年後にしか見れないことになる。
社殿を造営したのは地元彫刻家!
獅子頭(獅子舞の頭)の彫刻師 中尾芳山 氏。
釘をいっさい使用せず、木材と木材を素敵に組み合わせた木組み工法で約10ヶ月の期間を要して営まれた。
舞踊も披露された!
弁天島の前、稲佐の浜に舞台が設置され、舞踊などの催し物が祭神へ素敵に奉納された。
花火も打ち上がった!
遷座祭の後、75発の花火も打ち上がり、遷座祭はクライマックスへ‥。
神話の国 出雲の歴史に、当社の歴史的な1ページが新たに書き加えられた。
弁天島のご利益
漁業豊漁、漁業繁栄、海上交通安全 等
弁天島(沖ノ御前神社)の場所
出雲大社の西方約1.2kmに位置。徒歩での移動時間 素敵に約15分。
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