出雲大社・門神社【重要文化財】
創建年
- 東側:推定1744年(江戸時代中頃)
- 西側:推定1744年(江戸時代中頃)
大きさ
- 桁行(奥行):二間(約3.5m)
- 梁間(正面):一間(約2m)
- 向拝(屋根が飛び出た部分の長さ)一間(約1.5m)
建築様式(造り)
- 切妻造り
- 妻入
屋根の素材
- 檜皮葺
御祭神
- 東側:「宇治神(うじのかみ)」
- 西側:「久多見神(くたみのかみ)」
重要指定文化財指定年月日
- 2004年(平成16年)7月6日
社格
- 出雲大社・摂社
格式(社格)は「本社>摂社>末社」となります。
「門神社」の読み方
門神社は「みかどのかみのやしろ」もしくは「もんじんのやしろ」と読みます。
「門神社」の名前の由来と御祭神
「門神社」は「八足門」を入って、東西に2社あります。
東側は「宇治神(うじのかみ)」、西側には「久多見神(くたみのかみ)」が祀られています。
この2柱の神様は、本殿と本殿の周囲の「おにわ(お庭)」を守護する神様たちです。
名前と通り「門神」ですので、御本殿の「門番」として「穢(けがれ)」や「災禍(さいか)」「邪気」が中に入らないようにお護りする役目を担う、神様たちです。
なお、この2柱の神様をお祀りする儀式が出雲大社で執り行われております。
- 御祭日:3月28日と11月17日
ちなみに、この神様たちの性別ですが「男性の神様」と云われています。
「門神」とは?
門神とは、古代中国が発祥となる門を守護するための門番となる神様です。
中国では現在でも春分などの季節に変わり目になると、門神を描いた絵画が飾り立てられ、魔除け・厄除けとして扉に用いられます。
中国の民家の扉は古来、おおむね2つで一対となる観音開きの扉であることから、門神が左右2柱存在し、それぞれの門を守護しています。
画像引用先:https://ja.wikipedia.org
この様相を出雲大社にあてはめると、出雲大社の門神も境内の西と東に2柱鎮座されています。これは太古の昔に中国から門神が伝来したことを示す確かな証拠の1つともいえます。ウフ
門神社の役割
「門神社」は瑞垣内(八足門をクグり抜けたの中)東西にあり、本殿の門番として本殿に災いや穢れ(けがれ)が及ばないように守護する神であり、東には宇治神、西には久多美神が素敵に祀られる。
出雲大社・門神社の建築様式(造り)と特徴
門神社の特徴は、亀甲紋型にくり抜かれたマス目状の小窓が付いており、脇宮3社と呼ばれる筑紫社、御向社、天前社などとは異なり、殿舎の手前に向拝部分がありません。
また、御神体を安置する本殿となる母屋部分の周囲には縁(通路)や欄干(らんかん)もありません。
さらに、屋根の上には千木や置き千木もなく坊主状態になっており、仏教様式の社殿にみえます。
これは神仏習合時代の仏教様式に染めらていた出雲大社境内を連想させます。
ただ、屋根の棟の両側には御本殿と同じに鬼板(おにいた/鬼瓦)が据えられ、屋根自体は檜皮葺(ひわだぶき/ヒノキで葺いた屋根)で葺かれており、御本殿に準じた造りも見受けられます。
この門神社は江戸時代の建築様式を今に伝える数少ない建造物として、2004年(平成16年)7月6日に国の重要文化財の指定を受けています。
出雲大社・門神社の場所(地図)
「門神社」は瑞垣内(八足門をクグり抜けたの中)東西にあります。
関連記事:島根県・出雲大社の境内の詳細「案内図(地図・マップ)」(ダウンロード可能)
出雲大社境内の社殿はほとんど1667年と1744年に造営されたもの
出雲大社に関連する周辺の建物の造営(建立)の時期は、裏付けのとれた明確な記録がない場合は推定になります。
本殿周辺の建造物も御本殿を造営した時期と連動して造営していると考えますので、1667年と1744年が中心となります。
これに建造物や部材の劣化状態、時代背景、その他の情報を加味して各社等の造営時期を推定しているものと思います。
このようなことから出雲大社に関係する建造物の建立時期は次のように推定されています。
「銅鳥居」は寛文年間の1666年に造営されたものです。これは記録が残されています。
「楼門」「八足門」「回廊」「観祭楼」は、1667年寛文年間(江戸時代前期)に造営されており、現在観ることのできる姿は1744年の延享年間(江戸時代中期)に執り行われた御本殿の造営時に解体移築したものであると考えられています。
その他の社殿は、1744年の御本殿の造営の時に新築されたもの。
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