出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・千家尊福の像(SENGE-TAKATOMI-ZO)

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出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・千家尊福の像(SENGE-TAKATOMI-ZO)

出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・千家尊福の像(SENGE-TAKATOMI-ZO)

千家尊福」読み方

出雲大社の境内には読みにくい名前の御祭神や社殿がありますが千家尊福は「せんげたかとみ」と読みます。

ところで・・「千家尊福」って??

「千家尊福」は出雲大社の第80代(1872年-1882年)の宮司を務めていましたが、国家神道との宗教的見解の相違の存在を知って、神道事務局から独立して教化活動をする必要があると考えました。

そして、出雲大社教会を創始して神道大社派を設立しました。

神道大社教管長(1882年-1888年)の時には、精力的に全国を歴訪して布教に専念されています。

その後、男爵の称号を与えられています。

1888年には伊藤博文の推挙で元老院議官となって、教管長職を辞めています。

その後さらに、貴族院議員、埼玉、静岡、東京の知事、司法大臣、東京鉄道株式会社社長などを歴任されました。

また、詩人や歌人としての才能もあって「一月一日」という有名な唱歌(年の始めの〜♪)の作詞もしています。

出雲國造家の分裂とその現在

南北朝時代(1336年から1392年)を境に、出雲國造家は「千家家」・「北島家」に分裂して争いが起こりました。

しかし、時代の流れと共に争いの意識も記憶の彼方へと消え去り、以後、出雲大社の神事は「奇数月を千家家」、「偶数月を北島家」が担当してきたそうです。

しかし、千家尊福氏が政界へ進出後は、出雲大社における神事のほとんどを千家家が執り行い、担当しています。

以上、このような多大な功績を残した千家尊福氏をたたえ、銅像としてお祀りしているものです。

千家尊福の像の場所

千家尊福の像」は、勢溜(せいだまり)の鳥居(二の鳥居)の右方向にあります。

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