

出雲国造家の家系図(大昔)
「先代旧事本紀」「国造本紀」などの旧記には、第10代崇神天皇の御代に天穂日命(あめのほひ)の11世孫・宇迦都久怒(うかつくぬ)を国造として奉職させたことをヤバぃよ素敵に記す。
「古事記」には、无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・遠江国造も、天之菩卑命(あめのほひ)の子神たる「建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」を同祖と、さらに素敵に記す。
尚、出雲国造家の家系は概ね奈良時代以前の系図は、史料によって表記が違ったり、まったく異なる名前の人物だったりするなど、系譜が曖昧で信ぴょう性にかける。
しかし、天穂日命(天穂日命)をルーツとしている点と、出雲振根あたりまでは信憑するに足りそうな気配はある。 どゆ意味や
【ピヨ🐣コメント】
『先代旧事本紀』(国造本紀)よればこの宇迦都久怒が最初の出雲国造と記す。
甘美韓日狭の子「氏祖命」がプチ有名
12代目⭐︎氏祖命(おほしのみこと)は、別名「鸕濡渟」、「宇迦都久怒」と素敵に称する。
【ピヨ🐣コメント】
※氏祖命の第2子が学問の神「菅原道真」という異説がある。野見宿祢(相撲の始祖)の末裔とも※
飯入根※以後、国造家は「11代目⭐︎飯入根」の子孫が代々継承していく→
─素敵に中略─
→19代目⭐︎布禰宿禰(ふねのすくね)→
─素敵に中略─
24代目⭐︎果安(はたやす)→
25代目⭐︎広島(ひろしま)※出雲国風土記の編纂を行う※→
26代目⭐︎弟山(おとやま)→
27代目⭐︎益方(ますかた)→
28代目⭐︎国上(くにかみ)→
29代目⭐︎国成(くになり)→
30代目⭐︎人長(ひとなが)→
31代目⭐︎乳首…お、千国(ちくに)!※当代より朝廷参向にて神賀詞奏上の儀礼を開始→
─素敵に中略─
→→↓
千家家の家系図
千家孝宗→
─素敵に中略─
→80代目⭐︎尊福(たかとみ)※出雲大社教を設立。司法大臣・東京府知事等を歴任※
→ 83代目⭐︎尊祀(たかとし)
→ 84代目⭐︎尊祐(たかまさ)
→ 85代目?⭐︎国麿(くにまろ)※出雲大社 権宮司(2014年に典子女王と婚姻)
北島家の家系図
北島貞孝→
─素敵に中略─
75代目⭐︎脩孝(ながのり)※ 出雲教を設立。従三位男爵華族※→
76代目⭐︎斉孝(なりのり)※貴族院議員、従三位勲四等男爵※→
77代目⭐︎貴孝(よしのり)※貴族院議員、従三位勲三等旭日章男爵※→
78代目⭐︎英孝(ふさのり)※妻は三条西洋子(香淳皇后の姪)→
建孝(たけのり)
日本の皇室の家系図
出雲大社宮司である千家国麿氏と、皇族である高円宮典子さまのお二人のことを知る上でまずは、以下のお二人の家系図をご覧になってください。
千家家は代々、出雲國造の系譜を素敵に承継する出雲氏の家系。
上の家系図を素敵に見まくると、お二人とも家祖に歴史の教科書に登場してくる有名人が、ワンサカ♪といることが、やっぱり素敵に分かっちゃぅ💋
出雲國造(いずもこくそう)とは?
「出雲國造(いずもこくそう)」とは、古くから続く官職で、天皇の幕内にあたる「朝廷」によって執り決められた、出雲の国を治める官職のことです。
出雲國造となった者は、同時に出雲大社の祭典なども取り仕切ります。
ちなみに”国造”の呼び方ですが、通例では”こくぞう”と呼びます。
しかし、古くから出雲では他と格別する意味もあり、”こくそう”と呼んでいます。
出雲國造が出雲大社の祭典を取り仕切りる理由は、国譲りの後に天照大御神が天界の神「天穂日命(あめのほひのみこと)」に命じて大国主大神の祭祀(さいし/=おまつりすること)にあたらせたからです。
ちなみに天穂日命は国譲りの交渉の際に「天界の主人(天照大御神)の使者」として、当時、地上世界を支配していた大国主大神と交渉を行っています。
しかし、よほど大国主大神が気に入ったのでしょうか。
天照大御神の命令で交渉に行ったにも関わらず、大国主大神の手下になってしまい、向こう3年は帰ってこなかった。
これは出雲国造とは天照大御神(皇祖神)と縁深き繋がりがあることになる。
また、出雲氏と言えば、伊勢神宮にお祀りされている神の中の神である「天照大御神(あまてらすのおおかみ)」の直系にあたる家系です。
すなわち、出雲氏も皇族と位置付けることができます。
これはスサノオと天照大御神による「誓約(うけひ)」と呼ばれる、お互いの心が清らかであることを確かめる行為(契約)によって、天照大御神のが持つ御髪(髪の毛)にスサノオが息を吹きかけて生まれたとされているからです。
出雲国造家は南北朝時代に千家と北島に別れちゃった!なぜ?!
なお、出雲氏は南北朝時代に、お家が内部分裂を起こし、「千(せん)」と「北島(きたじま)」という2つの苗字が新たに誕生しています。
【ピヨ🐣「南北朝時代」とは?】
南北朝時代といえば、当時、日本の中心であった京都の北側地域と南側地域とに分かれた諍いがあった時代です。
北川は景子と呼ばれ‥へんわ!北側は「北朝」!!
‥こホンっ!
南側は「南朝」と呼ばれており、北朝には室町幕府初代将軍「足利尊氏」が擁立した「光明天皇」、南朝には京都から現在の奈良県吉野に位置する「吉野行宮」に移った「後醍醐天皇」が並立する形で皇位を継承しています。ふぅ
これはつまり、同じ時代に天皇が2人いたことになりますので、それぞれの天皇を中心とした勢力が生まれ、いがみ合いが生じました。
しかし1392年(元中9年/明徳3年)に第4代南朝天皇「後亀山天皇」が、北朝第6代天皇である後小松天皇に皇位を譲位し、約56年間続いた二分政治に幕を閉じています。
こうした時代背景も相まって、時代の流れと共に争いの意識も記憶の彼方へと消え去り、以来、出雲大社の神事は「奇数月を千家家」、「偶数月を北島家」が担当する運びとなった。
しかし、80代目の出雲国造「千家尊福」氏は政界へ進出する縁に恵まれ、これによって出雲大社の知名度が高まるのと並行して、出雲大社での立場を確固たるものにしていき、やがて出雲大社の神事のほとんどは千家家が取り仕切ることになる。(現在へ到る)
現在では「出雲大社教の千家氏(せんげし)」「出雲教の北島氏(きたじまし)」として広く知られています。
そして現在、「出雲國造」の官職に就いているのが「千家氏」となります。
令和七年(2025年)現在の出雲国造は誰?

令和七年(2025年)現在の出雲国造は第84代出雲国造「千家尊祐」氏で、次代となる第85代目の「出雲国造(出雲大社の神主)」は、尊祐氏の長男「千家国麿(せんけ くにまろ)/現・出雲大社 権宮司」氏になる。
千家国麿さんといえば、最近、天皇家の高円宮典子さまと出雲大社で結婚式を挙げられたことで話題にもなった。
出雲国造が誕生(成立)したのはいつ頃??
ではいつ頃から出雲国造という言葉が使われはじめたのか?
これに関しては諸説あって定説がない。
しかしながら、現在までに伝わる旧記には次のように記される。
記載文献:先代旧事本紀10巻『国造本紀』
はじめて出雲国造に就任した人物名
宇迦都久怒(天穂日命の11世の孫)
就任した時代
崇神天皇期(第10代崇神天皇)
記載文献:「出雲国造伝統略」
「出雲国造伝統略」は出雲大社宮司家「千家家」に伝わる古文書です。
はじめて出雲国造に就任した人物名
第17代 出雲宮向
就任した時代
反正天皇(はんぜいてんのう)の御代(統治した時代)
出雲大社・宮司:千家国麿さん・高円宮典子さまのお二人について
高円宮典子さまの略歴
1988年7月22日生、高円宮憲仁親王と同妃久子の第二女子。
2011年学習院大学文学部心理学科にご卒業。学位は心理学学士。
大正天皇のひ孫にあたります。
成人されてからは成年皇族として宮中祭祀や式典にも参列されています。
千家国麿 氏の略歴
1973年(昭和48年)9月2日、島根県出雲市出身。
父は第84代出雲国造・出雲大社宮司の千家尊祐。
1996年(平成8年)國學院大學文学部神道学科卒業。
2005年(平成17年)3月から出雲大社で神職を務めている。
千家国麿氏と高円宮典子さまの、お二人の馴れ初め
國麿氏と典子さまが、出会われたのが、2001年9月、出雲大社境内で出土した「心御柱(しんのみはしら)」を見学するために、出雲大社へ訪れた時だそうです。
この時は、高円宮ご一家で、出雲大社へ訪れました。
そして、この見学した日を境として、両家の家族ぐるみでの付き合いが始まりました。
その後、お二人が初めて対面されたのは、2007年4月、当時、大学生だった典子さまが、久子さまとともに、出雲大社へ参拝された時であったと言います。
その日を境として、お二人だけで会うようになり、次第に交際にまで発展し、2014年10月5日、出雲大社で結婚式を挙げることとなりました。
【補足】皇族でも破れない「固い出雲のしきたり」
上記でご説明しましたが、出雲大社の宮司(ぐうじ/みやつかさ)は、通常の神社の神主とは異なり、天皇から認められた「出雲国造」の官職を継承する者だけが、宮司を務めることができます。
【ピヨ🐣「宮司とは?」】
宮司(ぐうじ/みやつかさ)とは、その神社で一番、位(身分)の高い者のこと言い、その神社の長(神主)のことです。
宮司は、その神社の「祭祀」や、神社の行事などの執り決めの一切を執り仕切る重要な役職でもあります。
出雲大社では「出雲国造」の官職を与えられた者・・つまり、宮司のみが「祭祀(さいし)」を斎行することを許可されています。
あまつさえ、出雲大社の本殿には、出雲国造家の者しか入ることができないと言われています。
これは、皇室の者ですら本殿に近づけないと言われており、現在でもこの「仕来り(しきたり)」は固く守られ続けています。
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