まず、神紋とは?
「神紋(しんもん)」とは、神社で用いられる固有の紋のことです。社紋(しゃもん)とも呼称します。
家紋と区別するため、神紋と呼ばれています。
神紋も家紋と同様に平安時代に使われ始め、鎌倉時代に多 くの神社で用いられるようになったようです。
当時は、家紋を神紋として取り入れることや、又、その逆もありました。
現在の出雲大社の神紋は、亀の甲羅(こうら)をかたどった、六角形の枠の「亀甲紋(きっこうもん)」を二重にし、その中に「剣花菱(けんはなびし)」を入れたデザインです。
「剣花菱」は武家を意味する「剣紋」と4枚の花びらの「花菱紋」を組み合わせたものです。
家紋とは?
家紋は平安時代、貴族の目印としての証として、紋様を用いられたことに始まりました。
その後、貴族家の紋章(家紋)として定着していくことになります。
当時は高貴な人を象徴(しょうちょう)する目印として、牛車や持ち物などにつけたようです。
戦国時代には戦場での敵味方の区別として、江戸時代には権威(けんい)の象徴として用いられ、儀礼的な役割も重視されるようになっていきます。
そして明治になると庶民階級にも使用が許されたため、各家庭で家紋を持つようになりました。
現在では、2万近くの家紋が確認されているそうです。
出雲大社の神紋の名前
出雲大社の神紋の名前は「二重亀甲に剣花菱(にじゅう きっこう に けんはなびし)」と言います。
ちなみにこの出雲大社の神紋を3つにしたものが、宮島厳島神社の神紋(三つ盛り二重亀甲に剣花菱(みつもり きっこう に けんはなびし))です。
この厳島神社と出雲大社は、海に面して建てられており、その上、同様の家紋を使用していることから、2社の関係性が問われていますが、あいにくと2社を結びつける確かな資料は今のところありんせん。
「亀甲紋(きっこうもん)」とは?
亀は古くから長寿であることから神の使いとされ、縁起の良いものと言われてきました。
そのため、昔は縁起の良い亀の「甲羅(こうら)」を焼いて、その割れ方によって神の意向を知り、その意向によって、これから歩むべき道を決めていたそうです。
その縁起が良い亀の幸福を「四方」と言わず、「六方に亀の恵みが降り注ぐようにと願をかけ、6つの方向に角を尖らせた形の紋」ができました。
ちなみにこれを出雲大社に当てハメると、「大国主大神のご神徳を6方へ行き渡らせる」といった意味合いになります。
なお、このような亀甲紋は、およそ平安時代末頃から吉兆をもたらす文様と位置づけられ、書物の中にも頻繁に見られるほど盛んに使用されてきましたが、実際に「家紋」や「神紋」に用いられ始めたのは室町時代(南北朝時代)に入ってからになります。
出雲大社の「神紋」に「亀甲紋(きっこうもん)」を使う理由と由来・歴史
あなたは、北の守り神として、有名な神様がいるのをご存知ですか?
そうです。
その神様の名前を「玄武(げんぶ)」と言います。
「玄武」は、中国の神様で、方角を司る「四神(しじん)」と呼ばれる4人の神様の内の1神です。
玄武の容姿は、亀の姿ですが、通常の亀と違うのは、尻尾が大蛇の身体になっています。
玄武は、その四神の中でも「北の守り神」とされ、敬われてきました。
そして当時、日本にも北の方角を治め、敬われていた神様がいました。
あなたには、この神様がお分かりになりますか?
・・・
・・・
残念ながら、違います。
答えをいいますと、その神様こそが・・なんと!
出雲大社でお祀りしている神様である「大国主大神」だったのです。
では、なぜ大国主神が北を治める神様と言われてきたのか?
古来から、日本の中心の地として、または、日本に首都としてと栄えた都がありました。
そうです。
あなたもよくご存知の「京都」です。
京都には、神々の直系の子孫である天皇の御所があります。
その天皇が御座する京都から、出雲を見た場合、出雲は北の方角に位置します。
そんな理由から、当時の人々は、「玄武」と「大国主大神」を重なり合わせて「北方の守護神」としたものだと考えられています。
つまり双方の神様とも「北を治める神様」であることから、玄武を象徴する「亀甲紋(きっこうもん)」を取り入れたのだと考えられています。
ちなみに、出雲地方にある神社の多くは、この「亀甲紋(きっこうもん)」を「神紋」に用いています。
出雲大社の神紋に「剣花菱(けんはなびし)」を使う理由
その昔、出雲地方を治めていた一族(出雲氏)は、「大国主大神」が、この世に示すお姿と言われていました。
確かに、実際、出雲一族は大国主神の子孫でもあります。
そして古来から、「剣花菱」の形は、神が宿る依代(よりしろ)を意味するものと言われてきました。
そんな由来もあってか、家紋と言う発想ができたころ、出雲地方を支配して治めてきた一族は、必ずこの紋章(もんしょう)を入れた衣服を着用して、祭りなどの行事に出席するのが習わしとなりました。
ではなぜ、「剣花菱(けんはなびし)」の紋と「亀甲紋(きっこうもん)」が合わさったのか?
これにも理由があります。
その前に、下↓の写真の紋は、どこの紋か、お分かりになりますか?
そうです。
出雲大社に行けば、見ることのできる剣花菱と亀甲紋が合わさった「出雲大社の神紋(家紋)」です。
実は、出雲大社の神紋ができたのには以下のような由来や理由があったのです。
「剣花菱」の紋の中央の丸は「鏡」を意味する。
「花房」は「勾玉(まがたま)」を意味する。
「剣」は中央にある「剣紋」を意味する。
このような「剣・鏡・勾玉」は、現在では歴代の天皇が皇位継承の印として受け継ぐ「三種の神器(剣・鏡・勾玉)」をイメージしますが、過去を例に持ち出せば「剣・鏡・勾玉」に加えて「榊(さかき)の枝」を用いることで、神々の降臨を促し、主に祭祀に用いられていたとされています。
これはすなわち、出雲国造が大国主大神の御杖代(みつえしろ/=神の杖として日々のお世話をしながら、神の声を聞き、神の意志を人々に伝える者)であるという存在を位置づけているとも考えらます。
えぇ?!出雲大社には古来「有」の文字の神紋も存在した?!
実は、昔の出雲大社では「有」の文字が使用されていたこともあったようです。
これは出雲大社にとっての神聖な月である「十一月(旧暦の十月)」や「神有月」を示していると云われています。
神有月を示している理由は単純に真ん中の「有」の字を取って神有月を指しています。
次に旧暦の十月を示している意味合いですが、もう1度「有」言う文字をよ~く目を凝らして見てみてください。
・・どうですか?ここでお分かりになった方はなかな鋭い方です。
・・そうです。有の字を縦から読んで「十月」と言う漢字に見えてきませんか?
つまり「十」+「月」=「有」です。
「旧暦の十月」の意味合いは既にご存知の方も多いと思われますが、出雲大社における一大行事「神在祭」はかつては「旧暦の十月」に執り行われていました。
現在の神在祭は「新暦(西暦)の十一月(もしくは12月初旬)」ですが、「旧暦で数えると十月」になります。
これが「十月」を指す意味合いとなります。
終わりに・・
以上、ここまでの流れから、出雲大社では、この「剣花菱」を「亀甲紋」と組み合わせた神紋を掲げることによって、より一層、大国主大神を敬うことができることになります。
また、その分、大国主大神から多くの御神徳を授かることができ、その御神徳をより多くの人々に分け与えることも可能となります。
そして、上記で述べた一連の内容が、出雲大社が現在の神門を用いる理由となります。
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