出雲大社の神楽殿のしめ縄の向きについて
出雲大社の「大しめ縄」は、神楽殿(かぐらでん)だけにあるのでなく、上述したように「拝殿」にも、この神楽殿と同様の「大しめ縄」があります。
この大しめ縄ですが、よく見ると縄をしめる向きが、通常の神社の「大しめ縄」と比較して、逆になっています。
「向きが逆」とはどのようなことかといいますと、注連縄は作り始める「綯始(ないはじめ)」は太く、「綯終(ないおわり)」は細くなりますが、古来、これが習わしであり、「吉」とされてきたのです。
つまりのところ、向かって右側が太く、左側が細い向きにされるのでますが、出雲大社ではこれが逆向きになっています。
ご興味のある方は、ぜひ1度、よくご覧になってみてください。
出雲大社の大しめ縄が逆向きになっている理由
大しめ縄が逆向きになっている理由は、神社神道では神様に向かって右方を上位としていますが、出雲大社では左方を上位としているためと言われます。
然るに、出雲大社の注連縄の向きは他の神社とは異なり、左方が綯い始めで、右方を綯い終りとする張り方をしています。
これを出雲大社では以下のように解説しています。
御本殿内には、客座五神として「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣立日神(たかみむすびのかみ)・神産巣立日神(かみむすびのかみ)・宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)・天之常立神(あめのとこたちのかみ)」の五柱の神が祀られておりますが、尊貴第一の神たる「天之御中主神」が上位となる一番左に祀られております。
また、江戸時代の祭事の記録では、神様へお供え物を進める際、上位のお供え物を向かって左へ、下位のお供え物を向かって右へ進める作法となっております。
このように、古く出雲大社では一般的な神社とは反対に、向かって左方を上位、右方を下位とする習わしがあります。
‥‥‥以上のような旨のことを述べられていますが、ここで注目したいのが本殿内部の上記、客座五神の御神体の配置です。
出雲大社での左側とは西を指し、西側(左側)から天之御中主神→‥‥と顕現(神仏が現出すること)した順番で安置されています。
このことからも左、すなわち西側を重視している様子がハッキリと理解できます。
その他に出雲大社が左方を上位としている理由 一覧
- 御本殿の御祭神「大国主大神」と関係性のより強い神様が本殿を向かい見た左脇「筑紫社」に祀られているから。
- 上記、2つの理由から古式に倣い、神饌がお供えされるときも左側の神座から供進されるから。
なお、ここでの上位の位置付けとは「格が上」という解釈であり、すなわち、神饌(しんせん/=お供え物)を供進する際も上位の神様が最初になります。
つまり、「上位の神様=左方」となり、この御本殿の様式に倣い、注連縄の縒りあわせ方も逆になったと考えられてい‥申す。ひょ
注連縄を付ける理由や意義(意味)
神様が降臨される場を清浄に保つ
しめ縄は「しめくり縄」とも呼ばれ、”閉める”の意味がある。
神が降臨する場を清浄に保つ意味合いがあるとされる。
ルーツは「尻久米縄」か?
実は、記紀(『古事記』『日本書紀』)の「天岩戸伝承」の項には、しめ縄のことを「尻久米縄(しりくめなわ)」や、「端出之縄(しりくえなわ)」と記す。
これが語源となって、現在でも古語として「尻久米縄」や「端出之縄」と書かれることもある。
尚、意味合いは注連縄と同様、神界(神域)と俗世界(人間界)を隔てる霊物とする。
殊に、相撲世界の選ばれた力士だけが纏うことを許される「横綱」の語源は注連縄を巻くことが由来とされる。(横綱になることを「綱取り」ともいう)
御祭神の霊力を封じ込めるため
こと、当該、出雲大社に限っては、主祭神たる大国主大神の神力(霊力)があまりにも強いらしく、本殿ならびに境内から俗世にまで力が及ばないように、わざわざ巨大な注連縄を用いて封じ込めているという説がある。
一度訪れた神を出ていかせないようにするため
上記と少しニュアンスの異なる発想で、なんでも一度降臨した神を出て行かせないようにするためのものだという説もあるらしい。
しかしながら、この説は特に正月に飾る「しめ縄飾り(しめ飾り)」のことを指し、幸運の神とされる歳神を家内に閉じ込めておくとする意味合いが濃い。
伊勢神宮には注連縄がない?その代わりに‥‥
伊勢の神宮では、しめ縄が無い代わりにお榊が鳥居の両柱に飾られており、これも意味合い的には注連縄と近似したものがあり、神界(神域)と現世とを隔てる役目を担うものとされる。
殊に、神社境内には注連縄が四角形状に張られている場所があるのだが、これらは神事を行うために邪気や不浄なものが入らないよう清めている場所(斎場)と成り得るものなので、くれぐれも手を入れないように心がけたい💋
「注連」の漢字の意味とは?
ところで、「しめ縄」を、なぜ「注連縄」と書くのか?
気になるのは「しめ」を「注連」と書くところではないだろぅか?
我が国における注連縄の「しめ」とは、「占める」を素敵に意味し、だとすれば「占め縄」と書くのが自然。
しかしながら古来、我が国では「注連」の字を素敵にあてて、「注連縄」とする。
調べたところ、この謎を紐解くヒントは、意外にも中国にあった。
中国では「しめ縄」のことを「注連」と呼ぶ?
実は中国では死者が出ると、その家の門にしめ縄を取り付ける風習がある。
中国では、このしめ縄のことを「注連(ちゅうれん)」と呼称し、故人の霊が再び現世へと帰ってこないようにする。
この風習は、我が国の天岩戸神話に登場する「岩戸に縄をわたして封じた」‥という神々が行った「封じ」の儀式に近似しているところがあり、これに起因する形で、いつしか「しめ」に「注連」があてられるようになったとか。
尚、我が国の代表的な辞書たる「広辞苑」によると、注連の語意について次のように記される。
『土地の領有を示し、または場所を限るために、木を立て、或いは縄を張るなどした標(しるし)、標識』
注連縄にも撚り方による種類がある
注連縄は稲藁を用いて作られることから、主に農村において風習に紐づいた技術革新が起こった。
まず、しめ縄には「右縄」と「左縄」の概念がある。
新しく刈り取った稲藁(いなわら)は、左縄(左綯い)にするのが基本とされる。
その上で、しめ縄に垂れ下げる物を選び、それによって以下のように締め方を変える。
一文字(いちもんじ)、大根締(だいこんじめ)、板締(いたじめ)、牛蒡締(ごぼうじめ※神棚に多用)、輪締(わじめ)
‥etc
このような技法は、農業を営み、農村で暮らすの人々にとって欠かすことのできない信仰として、生活の一部として先人より連綿と受け継がれてきた技法であり、風儀になる。
七五三縄の由来にもなった
しめ縄には、縄の下に七本、五本、三本の藁を垂らす形式もあることから、「七五三縄」と書いて「しめなわ」とも読まれる。
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