【重要文化財】出雲大社の「玉垣」と「瑞垣」とは?
造営年
不明
推定:1661年〜1672年頃(江戸時代寛文年間)
大きさ(長さ)
160m
材質
ヒノキ
重要文化財登録指定年月日
2004年(平成16年)7月6日
出雲大社・玉垣の読み方
「玉垣」は「たまがき」
「瑞垣」は「みずがき」
‥‥と素敵に読む。
「玉垣」とは?
玉垣とは、神社の本殿や社殿群と取り囲む壁のことですが、これといった概念がなく「瑞垣」や「斎垣」とも呼ばれる。
出雲大社の境内は外側から「荒垣(あらがき)」→「玉垣」→「瑞垣(みずがき)」の3つの垣(かきね=壁)に囲まれています。
もっとも外側の垣根となる「荒垣」には東西南にわたり、それぞれ門が設けられています。これらの3つの門は古来、「七口門」とも呼ばれています。
なお、「南側の門」とは、重要文化財の「銅鳥居」のことを指します。
そしてこの中でも「瑞垣」は御本殿にもっとも近い垣根であり、「楼門」と「神饌所」に連接されて御本殿を囲んでいます。
出雲大社の垣根の順番と場所
瑞垣:楼門から延びて御本殿を囲む垣根
玉垣:八足門から延びて楼門や脇宮3社を囲む垣根
荒垣:銅の鳥居から延びる垣根
なお、出雲大社では銅の鳥居より内側(荒垣より内側)が一応の「境内」と定めているようです。
神社の境内や本殿を垣根で囲む理由
当サイトの別ページにて、すでに出雲大社の鳥居のことはご紹介していますが、鳥居をクグるとは神域へ足を踏み入れることであり、つまり、鳥居の向こう側(内側)は、神様の住む世界と相成ります。
神域は神様がお宿りになる世界として、御神力を濃く保つためにも、現世との区切りが必要になります。
そのために現世との区切り(世界の境界線)を付ける目的で、垣根が設けられています。
また一説では、泥棒に入られにくくする役割があり、垣根の足元に小石を敷き詰めることによって侵入者の足音が分かり、防犯効果を高めているとも云われます。
出雲大社の瑞垣と玉垣の大きさ(長さ)と歴史
瑞垣
玉垣の外側を廻る「瑞垣」は一周延長229mもあり、「1808年(文化五年)」の墨書が検出された。
玉垣は修理の際に主にスギ材で造営されていることが明らかとなっていますが、接続する廻廊の柱と瑞垣とでは建材表面の風化の度合いが大きく異なり、玉垣の方が樹皮の面影を濃く残す。
このような状況から調査が実施され、瑞垣は1808年(文化五年)に営まれたものであることが明らかとなった。
玉垣
玉垣は、1661年〜1672年頃(寛文年間/江戸時代中期)に造営されたもので木製(ヒノキ材)で一周延長160mある。
また、この玉垣は「2段の石積みの礎石」の上に造られており、屋根付きの塀のような構造をしています。
塀の部分は、檜(ヒノキ)材を複雑に加工した構造を採り、中央より上部は風が通るように隙間があるデザインをしています。
ただし、通常の参拝では玉垣が張り巡らされた八足門の内側ヘは入れないため、その内側にある瑞垣の見学はできない。
一般参拝で八足門の内側へ入る方法
八足門の内側に入るためにはご祈祷を受けるか、特別参拝ができるツアーなどに申し込んでおく必要があります。
ただし、出雲大社でご祈祷を受けて八足門の内側へ行くためには服装を正す必要があります。
男性は基本スーツに革靴かそれに準ずる格好、女性も同じくそれに準ずる格好が必要で、オフショルなどの肩見せ的な服は厳禁。
度を越した派手な服装やカジュアルすぎる服装の場合は入場を断られることがあります。
出雲大社・玉垣の場所(地図)
出雲大社の玉垣は銅鳥居から境内へ入って正面の拝殿(御仮殿/おかりでん)の後方の御本殿の周囲に張り巡らされています。
関連記事:島根県・出雲大社の境内の詳細「案内図(地図・マップ)」(ダウンロード可能)
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