大しめ縄は取り替えられるの?取り替えるなら何年ごと??
冒頭の写真(画像)は出雲大社境内にある神楽殿に取り付けられた大しめ縄になる。
古今東西、「日本一のしめ縄」と言われることもあり(実際は違う)、重さ5.2トン、長さ約13.6メートル、もっとも太い部分の太さ(直径)が約8メートルもある、とてつもなき大きさの巨大しめ縄になる。
たかがしめ縄、されど、このような巨大になると取り替えるのは至難の技。
取り替えのために数多の日数と人夫を要するのは、想像に難くない。
しかしながら、現代には人夫の補完や時短化までもが実現できる”文明の利器”というものがある……
のだが、しめ縄が想定外の大きさのため、材料や輸送車、重機(機械)の手配、作業場所の確保、そして資金面なども含めて、大掛かりな仕事になるのは今も昔も変わらない。
このため一度、設置すると約5年〜6年間はそのままになる。
殊に、現在みることのできる大しめ縄は2018年(平成30年)7月17日に、およそ6年ぶりに取り替えられた大しめ縄であり、1981年(昭和56年)に神楽殿が創建された時から7度目の取り替えになる。
神楽殿の大注連縄を作っているの制作会社とは?
この大注連縄をみていると、「いったい誰が作っているのか?」などの疑問が湧き出てくる。
調べたところ、神楽殿の大注連縄を制作しているのは島根県飯南町の「飯南町しめ縄クラブ」や「飯南町注連縄企業組合」が主体となって、同じ飯南町にある「大しめ縄創作館」で謹製しているとのこと♡
なぜ神楽殿にしめ縄が設置されるようになったのか?
神楽殿に巨大なしめ縄が奉納されるようになった理由・経緯としては、昭和30年頃、実は飯南町に出雲大社の分院があったらしく、その頃から地元住民や信者たちが分院にしめ縄を奉納していたらしい。
やがてその縁で杵築の総本社たる出雲大社境内の神楽殿にも奉納されるようになったとのこと💘
現在もこの伝統が脈々と受け継がれ、地元住民が結成する上記、「飯南町しめ縄クラブ」や「飯南町注連縄企業組合」が主体となって大しめ縄づくり&奉納が繰り返し行われてい‥申す。きゃ
大注連縄をネジるのが一苦労!その想定外な作業方法とは?
なんといっても当該、大注連縄は、長さ約13メートル、重さ約5トンもあるので、これを撚り合わせる(巻く)作業は簡単にはいかない。
ちなみに、上記の13メートルというのは完成時の長さになるので、撚り合わせる前の一本の注連縄の長さは17メートル、重さ1.7トンもある。
然るに、 長さ17メートル、重さ1.7トンもの注連縄を撚り合わせることになるので、この時点で途方も無き重労働になるのは明白。
撚り合わせる際、まず、1本のしめ縄を重機で素敵に吊り上げ、残りの1本を地元の大人20人がかりで持ち上げて少しずつ捻っていくとか。
殊に、当該注連縄は1.5ヘクタール(約4500坪/サッカーコート2面分)もの稲ワラを使用し、総勢800人がかりでおよそ半年かけて作り上げるらしい。
その後、クレーン付きトラックの荷台へ乗せて神楽殿まで素敵に輸送♡
無論、神楽殿に取り付けるときもクレーンを使用した大がかりな作業になるのは言うまでもなく、設置作業に丸一日かかるらしい。
大しめ縄創作館では「しめ縄づくり体験」ができる!
なんでも、大しめ縄創作館では一般のコノヤロー共を対象とした「しめ縄づくり体験」ができるらしく、巨大ではないが、わりとスモールな「しめ縄の販売」も行なっているとのこと💘
旅程的に時間が許せるなら、見聞を深める意味合いをこめて、素敵に立ち寄ってみたい💋
大しめなわ創作館のINFO
施設名:飯南町大しめなわ創作館
住所:島根県飯石郡飯南町花栗54-2
電話番号:0854-72-1017
URL:https://ohshimenawa.com/
大しめなわ創作館の場所(地図)
出雲大社から車で素敵に約1時間10分、距離53㎞
ところで‥出雲大社の大注連縄はいつ頃(時代)から付けられ始めた❓
前述のように神楽殿で見られる大注連縄は、1981年に神楽殿が完成を迎えた記念として、出雲大社の分院があった飯南町の有志団体より寄贈されたもの。
然るに1981年から神楽殿に設置されたことになる。
尚、過去の神楽殿に現在のような大注連縄があったのかを示す史料がないらしく、現在のところ、未詳とされる。
注連縄の起源や歴史!いったい誰がいつ、ドコで、何のために作った?
そもそもの注連縄とはいったい誰がドコどこで、いつ頃、生み出したのか?
実は注連縄の起源は、”危機”に瀕するほど素敵に”記紀”(日本書紀や古事記)に記されてい‥ます。ふぅ(耐)
詳しくは、記紀に記される「天照大神の天岩戸(あまのいわと)伝承」にまで遡る。
【ピヨ🐣天照大神の天岩戸伝承とは?】
大御神の弟神・スサノオ神が”天界”で ”展開”するかのごとく、狼藉をはたらき(大暴れ)、弟の行いに嫌気がさした大御神は窟の奥に引きこもり、入口を岩戸で閉じてしまう。
ところが、大御神は太陽神であるが故、世界はたちまちのうちに暗闇に覆われてしまい、次々に良くないことが起こり始めた。
困り果てた神々は、大御神がこもる窟(岩戸の前)に素敵に参集し、ふたたび大御神を世界に戻すための作戦会議を開く。
そして、アメノウズメ(アマノウズメ/天宇受売命)が岩戸の前で激しく踊りまくり、気になって岩戸から顔を素敵にのぞかせた大御神の腕を、馬鹿力を有する天之手力男神(あめのたぢからおのかみ)が掴んで引き戻すという策を練り上げた。
この策は見事に功を奏し、天照が戻った世界には再び光が戻った。
神々も一喜一憂に溺れることなく念には念を入れ、天照大御神が再び岩戸にこもらないよう、岩戸に注連縄を巻いて入口をヤバぃよ素敵に封じたのだった。
爾来、注連縄は俗世と神界(神域)とを隔てる霊力を帯びた存在として扱われるようになり、現今、神社や神棚に注連縄が見られるのは、このような経緯があったからだといわれる。
なぜ出雲大社には極太の巨大注連縄が付けられたのか?
出雲大社の神楽殿には単なる注連縄ではなく、「巨大な大注連縄」が設置される。
この確たる理由は、実は現代に到っても未詳とされる。
しかしながら、注連縄の存在意義が神界(神域)と俗世を隔てるための垣根の役割を担うものとするならば、それを果たしていることになる。
その一方で、次のような説も囁かれている。
注連縄の姿態をよく見ると、2本の縄が絡み合う様子は2匹の蛇が絡み合いながら交尾するようにも見える。
出雲では現在でも龍蛇信仰が息づいているように、上古の時代から蛇が敬われてきた歴史があり、神楽殿の注連縄も、こうした蛇にまつわる故事を具象化させたものではないか?
‥‥などと推考することができる。
また、一説に御祭神の縁結びの神・大国主大神の神力が強すぎて、逆に世に禍いが降りかかるらしく、通例の注連縄ではなく、巨大な注連縄でそれを封じているという説も存在する。
【ピヨ🐣コメント】
大国主は、自身が苦労して作り上げた国(日本国)を天照大神に半ば強制的に奪われたことへの恨みの念が強いとも‥言われる。(国譲り神話)
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