出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・宝庫(HOUKO)【重要文化財】
創建年
- 1667年(寛文7年/江戸時代中期)
大きさ
- 梁間(正面)一間(約2m)
- 桁行(奥行)(約3.5m)
- 向拝(屋根が飛び出た部分の長さ)一間
建築様式(造り)
- 切妻造り
- 平入り
屋根の造り
- 檜皮葺
重要文化財指定年月日
- 2004年(平成16年)7月6日
出雲大社・宝庫の読み方
宝庫は「ほうこ」と読みます。
出雲大社・宝庫って何をする所?「宝庫の役割」
「宝庫」とは、その名前のとおり、宝物を収蔵する蔵です。
ただ、現在の宝庫内部には何があるのかは定かではなく、また、現在においても使用されているのも定かではありません。
現在、出雲大社に関連する宝物類のほとんどは境内の宝物殿(神祜殿)や、境内隣の古代出雲歴史博物館などに移されていることから、おそらく神在祭などの神事に用いる神具などが収蔵されているものだと思われます。
出雲大社・宝庫の建築様式(造り)
小さな建物ですが、屋根は切妻造で、正面階段の上に張り出した「庇(ひさし)」付きの「檜皮葺(ひわだぶき)」で造られています。
出雲大社境内の殿舎としては珍しく、平入りの殿舎で四辺にわたって壁面が段々になっていますが、これはわずかな隙間が開けられていて通気口の役割を果たしていると考えられます。
このようなわずかな隙間を開けることで、正倉院(奈良)や、神宮(伊勢)の神明造りの例からも理解できるように宝庫内部の気温や湿度などの状態を一定に保てるような工夫が凝らされていると言えます。まさにこの建造物が宝庫であることの所以だといえるでしょう。
「向拝」は、寺社建築によく見られる造りであり、これはよく出雲大社とよく対比される伊勢神宮の境内(神明造り)では見る機会のない社殿の特徴です。
知らない人がほとんど!「檜皮葺」という気の遠くなる作業
ちなみに、この檜皮葺という職人が行う屋根の造りの作業ですが、これがまた、気の遠くなるほどの作業で、薄いヒノキの板を地道にコツコツと一枚一枚、丁寧に屋根に、縫い付けるようにして重ねるようにして、張り合わせていきます。
こうして、重なりあったヒノキの皮を幾重にも重ねることで、あの分厚い屋根が完成しているのです。
ちなみに、この薄いヒノキの皮を紙一重で留めているのが、竹を削って作った「竹釘」です。
この竹釘を1ツボあたりの作業において、2400本から3000本も使用するといいますから、これは本当に頭が下がるというよりも、その前に頭がクラクラとしてきそうになります。
このようにして、ヒノキを薄く削った皮を屋根に張り合わす職人と、他にも、ヒノキの性質を見極めることに長けた職人、そして、竹を削って釘を作ることに長けた職人と、これら3職の職人の力や宮大工さんなどが合わさって、初めて美しく生まれ変わった社殿の姿を目にすることが叶います。
「三位一体」という言葉がまさにピッタリと当てハマるといえますね。
出雲大社・宝庫の歴史
尚、御本殿の神様が鎮座されたその時を再現するための「遷宮」に際して、境内や周辺に点在する摂社・末社なども修造されています。
たとえば「宝庫」は、1667年に行われた寛文の大造営に際に造営されたと考えられています。
2004年(平成16年)7月6日には、重要文化財に指定されていますおり、現在みることのできる社殿は、2014年7月に修造が開始された新しい姿に生まれ変わっています。
出雲大社に参拝して忘れてはならない!宝庫近くの”神座正面遥拝所”
話は少し逸れますが「宝庫」の近くには「御神座正面遥拝所」があります。
これは御本殿内の御神座(大国主大神)が正面となる南向きではなく、西向きに配置されているために、御祭神を正面から正対してお参りできるように設けられています。
出雲大社では拝殿でお参りしたら、ぜひ!こちらでも忘れずお参りしてください。
御神座正面遥拝所の場所(地図)
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出雲大社・宝庫の場所(地図)
宝庫の場所は御本殿の西側の荒垣内、2棟の氏社の後方になります。