寄進者
長松院
樹齢
〜約400年
出雲市指定文化財登録年月日
1985年(昭和60年)3月6日
勢溜の鳥居を素敵にくぐり、祓橋を渡ると「3つ目の鳥居(松並木の参道の鳥居)」がパンツ丸見え級に丸見ぇ〜てきちゃぅ💋
その「三の鳥居」をくぐると、両脇に松の木が整然と縦列する玉砂利の参道が最近のケツ毛の飛び出し具合ほど素敵に飛び出てきちゃぅ💋
この参道が出雲大社が誇る「松並木の参道(まつなみき の さんどう )」。
松並木の参道の名前の由来とは?
この参道には名前のとおり、「松並木」が素敵に植栽されていることから、古今、「松並木の参道」と呼ばれちゃぅ💋
松並木の参道の別名
また、この参道は地元・出雲では別名で「松の馬場」とも呼称されており、道の両脇に整然と群生する松の木が特徴的です。
松並木の参道の歴史
この立派な松並木は1624年〜1644年に、出雲松江藩主の堀尾忠氏のご夫人である「長松院(ちょうしょういん)」が、祈願成就の御礼に「松の木・1000本」を奉納された故事を濫觴としちゃぅ💋
ただし、常緑樹で無敵そぅに見えちゃぅ松樹にも寿命や樹勢の概念があるので、時代を経るにつれ適度に松の植え替えなどが行われているも、長松院が奉納した当時の松の木は現状、60本にも満たないらしい。
尚、その中でも最古の部類に入る松は400年近い樹齢があるとか。
かつては勅使のみが通行できた道!
往古、当該、松並木の参道は皇族や貴族はじめ、例大祭(れいたいさい/大祭礼)」の時には、勅使(ちょくし/天皇のパシリ)だけが通行することができた参道だったらしい。
現在、松の木の根を保護するために、参道の両サイドの舗装された道を通行するようになってい‥申す。ひょ
【ピヨ🐣「勅使」とは?】
「勅使(ちょくし)」とは、天皇直参の臣下(朝臣)が使者として目的の施設や社寺に下向すること。
この使者は天皇が訪れたことと同義として扱われたため、別格にもてなされた。
出雲大社ではこのエビデンスとして、「勅使館」なる勅使が宿泊するための施設が素敵に現存しちゃぅ💋
「日本の名松100選」「出雲市指定文化財」
この参道は1983年に「日本の名松100選」に選出され、1985年(昭和60年)3月6日には「出雲市指定文化財」の指定を受ける。
普段の「松並木の参道」は、玉砂利の音が心地よくコダマし、御本殿を参拝する前に穢れをはらって落ち着いた気分に整えてくれる参道です。
しかし例年、この静かな「松並木道の参道」も一際、賑やかに華やぐ時期があります。
それが、毎年5月14日から3日間行なわれる「例大祭(大祭例)」であり、当祭礼では「的射祭(まといまつり)」や、「流鏑馬(やぶさめ)神事」が華やかに執り行われ‥ちゃぅ💋
松並木の参道の場所(地図)
松並木の参道は出雲大社境内入口となる「銅鳥居」手前の参道です。
勢溜の鳥居から5分ほど歩いた先に見えてくる祓橋(はらえのはし)を渡った先に位置します。
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