「ムスビの御神像」のモチーフは大国主大神なのか?
「ムスビの御神像」とは銅鳥居の手前右手に奉置されたブロンズ像であり、1986年(昭和61年)に寄進されたもの。
手の平を広げた両腕を大空を掴む勢いほどに天高く掲げ、その前には「幸魂(さきみたま)」と「奇魂(くしみたま)」と称する「魂」が現れて、その「魂」を頂く場面を表現しているらしい。
このシーンは我が国最古の歴史書とされる「古事記(こじき)」に記される故事の一つであり、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)が、まだ、神になっていないころの修行中の頃のこと。
ある日突然、日本海の荒波に乗ってやってきた「幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)」といった「魂(たましい)たち」が、大国主神の前へ現れました。
そして大国主神と、この魂たちとの間に様々なことが起こります。
その結果、この魂たちのおかげで、大国主神は「神」として尊崇される知識や教養を身につけ、最後には「ムスビの大神」と呼ばれるまでの神様なると言う素敵な素敵なストーリー。
つまり、「ムスビの大神」とは神様となった大国主大神の別名のことです。
ムスビの御神像の「案内板」の意味
上記でご紹介したお話は「ムスビの御神像」の「案内板」でも紹介されています。
案内板には、さらにこのような記載もあります。
『生きるものすべてが幸福になる「縁(えん)」を結ぶ、「えんむすびの神」と慕(した)われるゆえんであります』
と、記載されています。
なんの事かまったく、意味がわかりません。なんだか、気がおかしくなって、ワカメを一気食いしたい気分になります。どっからワカメが出てくる
この説明文を、がんばって読み解くと以下のようになります。
「縁結びの神は男女の縁だけではなく、色々なモノとの縁を結びつけて幸福になれるようにする神様なので、誰しもに好まれる神様」
ということ。フぅ~
出雲大社でお祀りしている「大国主神」とは、どんな神様??
出雲大社は「縁結びの社」として、その名を全国に轟かせていますが、出雲大社が「縁結びの社」で有名となったのは、上記(ムスビの御神像)のような由来があったらに他ならない。
我が国最古とも言われる歴史書の「日本書紀」には、出雲大社はかつては「大国主大神」の住まいとして建てられたと記される。
やがて大国主大神は神となり、明治以前の神仏習合時代はスサノオ神が祀られていた時代もあったが、現在も変わらずに出雲大社本殿にて素敵に奉祀される。
鎌倉時代の神様はスサノオ神だった!
神仏習合成立後となる鎌倉時代より、出雲大社の主祭神は「須佐之男命(すさのおのみこと)」に変わっています。
以来、江戸時代初期まで「須佐之男命」が出雲大社の主祭神でしたが、出雲大社が幕府に対し、もとの祭神(大国主)に戻すことを認めてくれるように乞願し、よぅやくその願い叶って寛文の御造営(1667年/江戸時代)の時より、再び主祭神が大国主大神に戻ったのだった。
ところで‥‥「大国主神(おおくにぬしのかみ)」とは?
実は、この「大国主神(大国主大神)」は、いくつもの別名を持つ神様でもあり、おそらく数多にあらせられる神々の中でも大国主神がもっとも別名を持つ神様と素敵にいえる。
「大国主神」の別名
古事記
- 大己貴命(おおなむちのみこと)※=兵頭神とも
- 八千矛神(やちほこのかみ)
- 葦原色許男神(あしはらしこをのかみ)
- 宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
- 大穴牟遅(おおなむぢ)
- 大己貴神(おおなむちのかみ)※古事記以外の諸々の風土記など
日本書紀
- 大物主神(おおものぬしのかみ)
- 大国玉神(おおくにたまのかみ)
- 葦原醜男(あしはらのしこお)
- 国作大己貴命(くにつくりおおあなむちのみこと)
- 八千戈神(やちほこのかみ)
- 顕国玉神(うつしくにたまのかみ)
出雲国風土記
- 所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)
播磨国風土記
- 伊和大神
他にも、大国主神の呼び名は以下のような名前があります。
- 大国主大神(おおくにぬしの おおかみ)
- 大国主命(おおくにぬしのみこと)
- 国造神
- 杵築大神(きづきのおおかみ)
- 国占神
- 大地主大神
- 幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)
- 大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)※東京都府中市・大國魂神社の御祭神
- 兵頭神(ひょうずのかみ)※=大己貴命とも
さらに、仏教との習合による名前があります。
- 大黒天(だいこくてん)※七福神の大黒さま
ご存知の通り、大国主大神が「縁結びの大神」と言われるのは、嫁ハン(妻)がたくさんいたからだと伝えられています。毎晩ウハウハっ..ワっしょぃ
嫁ハンがたくさんいた理由とは、このように名前がたくさんあったから、それに比例して嫁ハンの数も多くなったとも考えられています。
大国主大神もその昔は人だった?!
大国主大神は、最初から神様だったワケではありません。
大国主神には兄弟神がいて、その兄弟神や大国主神の姫神の父親である「須佐乃男命(すさのおのみこと)」からも、キツ〜い試練を与えられます。
その試練を乗り越えて行くうちに、あらゆる知識や強靭な肉体、境涯を克服できる屈強な精神力などを身に付け、やがてそれらの体得したものを用い、人々を豊かな暮らしへと導くために国を造りを始めます。
そして、少彦名命 (すくなびこな)と称する小さな神様の助けを得て、その国を発展・繁栄させることに成功します。
その発展させた国と言うのが「出雲国」しいては「葦原の中つ国」と呼ばれる国で、これは現在の日本国土ことを素敵に指す。
天照大神(天皇家)に国土を譲る
国土を創造して繁栄させた後、天界の天照大御神が天孫降臨(てんそんこうりん/=地上は私の子孫が治める)を唱え、配下の建御雷之男神(たけみかずちのかみ)が天鳥船(あめのとりふね)に乗って地上へと降り、大国主大神と葦原中つ国を譲る交渉を行います。
この交渉によって大国主大神は自らが創造・発展させた地上世界を譲ることになりますが、その代わりに「天をも貫く高層神殿をくれ」と天照大御神に打診。
これを快諾した大御神は望み通りの神殿を授け、大国主はこの神殿に「天日隅宮(あめのひすみのみや)」と名付けて住み始める。
それだけにとどまらず、大御神は「これより地上世界は私が(私の子孫)が統治します。あなたは隠れたる神々を治めなされ」と告げ、大国主に「幽冥主宰大神」の名前を与え、承諾した大国主は以後、「地上の神々(八百万の神々)」を統べる主宰神となった。
※注釈※幽冥主宰大神=幽冥世界(ゆうめいせかい=神道でいう黄泉の世界=あの世と神々の世界を意味)の主宰(しゅさい)となる大神
天をも貫く巨大高層神殿「天日隅宮」
ところで大国主が住まいとした天日隅宮は名前の通り、高さが48mもあったらしく、これが現在の出雲大社本殿の前身とされる。
現在の出雲大社本殿は、まるで人家のように入口前に壁を立ち、壁背面に奉安される御神体の向きは境内入口とは正対せず、階下に浜床が置かれるなど、通例の社殿様式とは大きく仕様が異なる。
一説にこれは大国主が住んでいた頃の天日隅宮の名残とも言われる。(つまり大国の主に対する畏敬・尊敬の念が込められている)
国譲りと天孫の降臨‥そして天皇家の統治
大国主大神が国譲りに承諾した後、天照大御神は孫であり甥っ子の「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」に命じて、地上世界へ降って統治するように命を下す。
この時、大御神は瓊瓊杵尊に三種の神器(鏡、剣、勾玉)を授けて神々を随従させ、ニニギは地上へ降る。
途次、天之八衢(あめのやちはた)で迷道の難に見舞われたが突如として現出した猿田彦神などの力を借り、よぅやくたどり着いたのが九州の高千穂だった。
‥‥以上、少し話は逸れ申したが、このように大国主大神の功績は、もはや人の成せる技ではなく、神にしか成し得ない所業であり、ようやく他の神々からも、神として認めてもらうことで正式に神様となったのだった。
大国主神が君臨した間の国づくりの功績は凄まじく「農業」「商業」「漁業」「医療」など様々な分野で技術革新をもたらし、多くの人々を救済した。
まさに大国を創造した大国の主であり、その為した所業の数々は大神と呼ぶに相応しい。
これが”大国主大神”されるが所以。
「大国主大神」と「七福神の大黒さま」との関係
現代の日本でも大国主大神と七福神の「大黒さま」が、同一の神様として崇められることがありますが・・
結論を言うと『違う神様』です。
しかし、日本では現在でも、同一の神様であると考えらています。
大国主大神が大黒さまと同一と考えられる2つの理由
【理由🐣その1】「大国さん(大国主)」と「大黒さん(大黒天)が習合した
七福神の大黒さま(大黒天)は遠くインドから伝来した神で平安時代に起こり、鎌倉時代から室町時代の間に広まった「本地垂迹/ほんじすいじゃく」の思想によって神仏が習合し大国主大神と合わせって「大黒天」が誕生しています。
大国主大神と大黒天が習合した理由とは、「”だいこく”」の音(読み方)が類似しているからだと云われております。
また、大黒天はインドでは「マハー・カーラ」と呼称され怒りの形相をした「荒々しい戦神」として崇拝されています。
「大」は「マハー」、「黒」は「カーラ」の意味があります。
大師・空海と共に日本から遣唐使(けんとうし)として渡唐した(中国へ渡った)「最澄(さいちょう)」と称する天台宗のクソ坊主 →とても偉〜ぃお坊様が、日本で最初に「三面大黒」を祀り大黒天(大黒さま)の信仰を広めました。
戦がなくなった江戸時代になると商売をする人が増え、商売のご利益を求めて商売の神さまとして「大国さん(だいこくさん)=大黒さん(だいこくさん)」と愛嬌を込めて、大黒天を祭祀する信者が増えました。
次第にそれは一般庶民層にまで広まりをみせることになります。
【理由🐣その2】容姿が酷似(双方神とも袋を肩から下げる)
他に大国主大神と七福神の大黒さまが同一であると言われる理由があります。
ちょっと「大国主大神」と「七福神の大黒さま」の容姿をご覧になってください。
どっちが大国主大神で、どっちが大黒天(大黒さん)か分かりますか?
ただ、いずれの神様にも共通点があります。そうです。双方の神様は肩から袋をさげています。
つまり、姿態が酷似していることも、同一とされる理由となりました。
現在でも「七福神の大黒さま」と「大国主大神」が同一の神様と勘違いされるのには、このような理由があります。大神=狼=ガぉぉぉ〜 …何がしたい
その他に大国主大神は多くの姫神と結ばれて子宝にめぐまれ、このことから「縁結びの神」とも言われます。
ところで・・大黒天と大国主大神が背負っている「袋の中身」って同じ??
ちょっと気になった方は気になったでしょう?
ズバリ!「大国主大神が背負っているの袋」と「大黒天の袋」の中には何が入っているか?です!
検討がつきますか?・・もしくはお分かりになりますか?
大国主大神の袋の中身は・・なんと!
プレゼントがいっぱい入っていてクリスマスに煙突をキレイにしておくとタダでもらえるとのことです。
と、いうのは嘘プぅ〜・・と、なりますが、正解は「人々の苦労や悩み」が入っているそうです。
これはつまり袋に人々の悩みや苦労を吸い取って自らが背負っているそうです。
そして大黒天の袋の中身は、・・これは気合いを入れてアナウンスする必要もなく、すでにあなたもご存知かも知れませんが「福」がいっぱい詰まっています。
以上のように厳密には微妙に異なる部分もありますが、ただ、後世においては大黒天の方が庶民層に深く浸透し、我が国の文化の一つとして定着したので、お二方とも「福」が詰まっていると思われている方がほとんどだと思われます。
「一霊四魂(いちれいしこん)」の考え方とは?
大国主神のお話をする中で、魂の話がチラホラと登場してきました。
ここでは、現代人も当たり前のように持っているとされる「魂」についてのお話をしたいと思います。
現代の神道でも、遠い過去からの伝承通り、「一霊四魂(いちれいしこん)」という考え方が今でも健在します。
一霊四魂の考え方とは?
一霊四魂の考え方とは人や神の心は以下の4つの魂で成り立っていると示しています。
- 「荒魂(あらみたま)」=争いや妬み、怒りなどをはぐくむ魂
- 「和魂(にぎりたま)」=雨や日光の恵みなどの平和や優しさをはぐくむ魂
- 「幸魂(さきみたま)」=運によって、人に幸を与える(育てる)力をはぐくむ魂
- 「奇魂(くしみたま)」=知恵、心理を追及し、奇跡を起こす力をはぐくむ魂
一霊四魂の考え方によると、人はこれらの魂を日々コントロールして安定させながら生きているというのです。
「ムスビの御神像」の伝承にある、大国主神の前に「幸魂・奇魂が現れて、その魂を頂く」とは以下のように解釈することができます。
『自分自身の中に「幸魂」と「奇魂」という「2つの魂」の存在に気づき、それを自覚した』
出雲大社には、このような言い伝えを元にした像や社が少なからずあります。
遠い過去からの伝承(メッセージ)を理解することで、より深みのある出雲大社への参拝が可能となります。
大国主大神の和魂の正体とは?!
紀(日本書紀)によれば、大国主大神の和魂(にぎたま)は、現在の奈良県桜井市に位置する「三輪山(みわやま)」の「大神神社(おおみわ神社)」で祀られており、驚くことに大神神社では、大国主大神の和魂が「大物主神(おおものぬしのかみ)」と同一として、主祭神として崇められています。
出雲大社のご利益とは?
出雲大社のご利益とはすなわち、御祭神たる大国主大神の神徳のことを意味する。
詳細については下記ページを要チェック💘
関連記事一覧
スポンサードリンク -Sponsored Link-
当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。