出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・祖霊社(SOREISYA)

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出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・祖霊社(SOREISYA)

出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・祖霊社(SOREISYA)

創建年

  • 1875年(明治8年)

出雲大社祖霊社の読み方

祖霊社は「それいしゃ」と読みます。

祖霊社は正式には「出雲大社教祖霊社(いずもたいしゃきょう それいしゃ)」という名称です。

その他、「祖霊舎」とも書くことがありますが、これは祖先の御霊を祀る神棚を指します。祖霊社は施設になりますので、祖霊舎(御霊舎)とは別の意味合いになります。

出雲大社・祖霊社って何をしている所?「祖霊社の役割」

明治時代に神仏分離が行われたときに、それまで仏教が管理していた「葬送」を神社が行う場所として設けられた施設です。

 葬送とは?

葬送とは、墓地(火葬場)へ死者を送り出す儀式のことです。

そのため、ここでは葬祭(葬式)や、亡くなった方の御魂が永久に安らかに眠って頂くための追遠(ついえん)のお祀り(仏教の法事)を行います。




祖霊社が建てられた経緯(理由)

祖霊社が建てられた理由は「幽れたる神々(=八百万の神々)」を治める大国主大神の神徳やお力をお借りして、人々の死後の御霊を鎮めて一家安泰を祈願するためです。

「幽れたる神々の事」とは「人の目には見えない世界の神々を治めるということ」で、これがまさに神在祭に代表される「人々の縁を結ぶ会議(神議り)」に相当するものです。

大国主大神は国津神の代表格でありながら、別名で「幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)」とも呼ばれますが、これは神道でいう2つ世界観「現世(うつしよ)」と「幽冥(ゆうめい)」もしくは「幽世(かくりよ)」のうちの「幽冥世界を主宰する神」を指す名前になります。

神道では、人の目に見える世界を「現世」、人の目に見えない世界を「幽冥(幽世)」と位置付けており、俗に言われる「あの世」や「黄泉の国」も、言うなれば「幽冥(幽世)」になります。

故人の霊魂がさまようことのないように、また、故人を偲ぶ家族がこれからも一家安泰で繁栄していけるよう、幽冥主宰大神たる大国主大神のご助力を賜れるように御祈願します。

以上、祖霊社とは単なる神道式の葬式を執り行う場所ではなく、大国主大神と深い関連性の上に成り立っているものです。

【補足】大国主大神が幽冥主宰大神と呼ばれる理由

すでにご存知かもしれませんが、御本殿に鎮座される大国主大神は現在の地上(日本の国土)を創造して発展させ、現在の人間世界の礎を創った神です。

しかしある時、天界(高天原)から天照大御神の使者が訪れて大国主大神にこう告げられます。

『あなたが創った地上は私の子孫に治めさせたい。代わりにあなたには天まで届く大神殿を授けましょう。そして、あなたは幽れたる(隠れたる)神々の事を治めなさい』

これに対して大国主大神は、当初、拒み続けていましたが、これを最終的に承諾することなります。

すなわち、大国主大神が幽冥主宰大神と呼ばれる理由は、天照大御神が『幽れたる神々の事を治めなさい=”幽冥世界にいる神々を治めなさい”』と告げたことに端を発するものです。




祖霊社の「祖霊」の意味とは?

祖霊社の祖霊とは「霊璽(れいじ)」「先祖の御霊」「御霊代」のことを指します。霊璽とは、神道における位牌のことです。

この位牌とは、単なる位牌ではなく、鏡などを神棚に奉安する場合もあります。こうして祖先の御霊の依り代とします。

現代では神仏分離が成立していますので、仏教と神道とは別の物として考えられていますが、明治時代以前は仏教式が庶民層まで浸透しており、現代においても仏教式が通例となっています。

なお、祖霊社には出雲地方に2000軒も檀家(だんか)がいるとのことで、変わらず篤い崇敬が寄せられていることが分かります。

えぇっ?!神道式の葬式があったの?!

日本で一般的に執り行われている葬式のほとんどは僧侶が来訪して執り行われる「仏式(仏教式)」です。しかし実は神道にも葬式があって神道式の葬式を「神葬祭(しんそうさい)」と呼ばれます。

神葬祭と葬式の違い

神道式の葬式である「神葬祭」と、仏教式の葬式の決定的な違いは「死者」と「死後」の認識の違いです。

仏教式においての死者の捉え方は、あの世(極楽浄土)にいって輪廻転生して再び現世に蘇るとされています。(地獄もあり。…ヒっヒっヒっヒっ

すなわち、まずは極楽浄土へ送るための儀式として葬式を執り行います。

一方、神道式においての死者の捉え方は、死は生命の枯渇、つまり「穢れ(けがれ)」と捉えられますが、死後は自身の産土神に幽界(ゆうかい/=神がいる世界)へと導かれて、祖先神たちと肩を並べて子孫を見守ってくれるという考え方があります。

このように両者の死者に対しての捉え方が大きく異なることから、仏式と神道式では葬式の方法も異なります。

仏教式の葬式の進行

仏式では通夜→葬儀の後、

出棺→火葬(精進落とし)→初七日法要→二十七日法要(14日目)→三十七日法要(21日目)→四十七日法要(28日目)→五十七日法要(35日目)→六十七日法要(42日目)→四十九日法要(七十七日法要)(49日目)→百か日法要(100日目)→1周期法要

・・と続きます。

神道式の葬式の進行

神道式では通夜祭→葬場祭→出棺祭→火葬祭→翌日祭→10日祭→以降10日ごとに10日祭→50日祭→100日祭→1年祭・・と続きます。

神道では50日が「忌明け(いみあけ)」期間とされますので、通例では50日(仏式では主に”忌服明け”や”忌中”と呼ばれる。期間は49日)に埋葬するための埋葬祭を執り行います。これによって死者の霊は家族を見守る御霊となります。

また、忌明けまでの霊祭を「霊前祭(れいぜんさい)」と呼称する場合もあります。

なお、神道式では仏壇ではなく、「御霊舎(みたまや)」もしくは「祖霊舎(それいしゃ)」と呼ばれる神道式の仏壇になります。

【補足】祖霊祭

1年際以降は祖霊祭に移行します。祖霊祭は「恒例祭」と「臨時祭」の2つに分けれらます。
恒例祭

春季霊祭:三月春分の日
秋季霊祭:九月秋分の日

正辰祭(せいしんさい):祥月命日(しょうつきめいにち/故人の命日に行うおまつり)

月次祭:毎月1日および15日

日供祭:毎日

臨時祭

合祀祭:新霊合祀の当日(霊璽を仮霊舎から祖霊舎もしくは祖霊殿に移す儀式

式年祭:一年、三年、五年、十年、十五年、二十年、三十年、四十年、五十年、百年・・以降毎百年(式年の祥月命日)

出雲大社・祖霊社の歴史

祖霊社は、1875年(明治8年)に出雲大社宮司の「千家尊福(せんげたかとみ)」氏によって建てられました。

創建当初の祖霊社は手水舎付近にありましたが、1886年(明治19年)に現在の地に移され、規模を拡張しています。

1927年(昭和2年)にも工事が行われています。

手水舎の場所

画像引用先:http://www.izumooyashiro.or.jp/

なお、「祖霊社」も他のお社と同様に自由に参拝できます。

出雲大社・祖霊社の場所(地図)

  • 住所:島根県 出雲市 大社町杵築東宮内254

祖霊社は、観光センターの付近、神楽殿の西南の方向にある、大きな瓦屋根の建物です。寺院のような建物に注連縄がかかっていて少し特徴的な雰囲気を持つ建物です。

関連記事: 島根県・出雲大社の境内の詳細「案内図(地図・マップ)」(ダウンロード可能)

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