出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・御向社(MIMUKAI-NO-YASHIRO)【重要文化財】
創建年
- 1744年(延享元年/江戸時代中頃)
建築様式(造り)
- 切妻造
- 妻入
※大社造り
大きさ
- 桁行(奥行)二間(約3.5m)
- 梁間(正面/横幅)一間(約2m)
階隠(はしかくし/階段上の屋根)の大きさ
- 桁行(奥行)一間(約2m)
- 梁間(正面/横幅)一間(約2m)
階隠の建築様式(造り)
- 切妻造
- 妻入
屋根の造り
- 檜皮葺(ヒノキ)
重要文化財指定年月日
- 2004年(平成16年)7月6日
御祭神
- 須勢理比売命
社格
- 出雲大社・摂社
別名(延喜式神名帳)
- 大神大后神社
格式(社格)は「本社>摂社>末社」となります。
出雲大社・御向社の読み方
神祜殿では「みむかいのやしろ」と読みます。
出雲大社・御向社の別名
この御向社は、「延喜式神名帳(9巻/10巻)」によると、「大神大后神社(おおかみおおきさきのかみのやしろ)」として位置づけられており、これがこのお社の正式名になります。
出雲大社・御向社と「脇宮3社」
「御向社」は瑞垣内の東側に位置する「天前社」と並んで建っている殿舎であり、「天前社」と「筑紫社」と並んで「脇宮3社(わきのみや さんしゃ)」と呼称されます。
脇宮3社の中でも「筑紫社」は特に別格扱いであったとされており、これは殿舎の造りや礎石の造りなどが他の殿舎と違うことに起因するようです。
出雲大社・御向社の建築様式(造り)
「御向社」の造りは、「天前社」と「筑紫社」と同じく、正面の「宇豆柱(うずばしら)」や「心御柱」のない殿舎の造りです。
屋根上には御本殿や他の2社と同様に置き千木が据えられ、棟の両脇には「鬼板(鬼瓦)」が据えられています。
3社とも御本殿や素鵞社と比べて殿舎が小さく分かりにくいのですが建築様式は大社造りになります。
また、「御向社」「天前社」「筑紫社」の3社とも社格も同じであり、建築様式も造りも同じであるにも関わらず、筑紫社だけが別格の扱いを得ているのですが、この理由に関しては現在に至っても謎とされています。
2004年(平成16年)7月6日には、この御向社を含めた2社あわせて国の重要文化財の指定を受けています。
知る人は少ない!祭神・須勢理比売命と大国主大神から生まれた「縁結び」の語源
御向社の祭神である「須勢理比売命(すせりひめのみこと)」は、本殿に鎮座される大国主大神の奥方にあたり、2人は出会った瞬間に恋に落ち、すぐさま結婚に至ったそうです。
この2人の出会いが記されている「出雲国風土記」及び「日本書紀」においては、御向社の祭神である「須勢理比売命」が「大国主大神の正妻である」とされています。
※「出雲国風土記」によると「須勢理比売命」は「和加須世理比売命」という名前で記されています。
須勢理比売命は、父神である「スサノオ」と根の国に住んでいましたが、ある時、大国主大神が目の前に現れて上述したように結婚に至りました。
「須勢理比売命」と「大国主大神」に関しては有名な話があり、後にその話が「縁結び」の由来(語源)となった伝承が残されています。
その伝承とは、「大国主大神」が妻を幾人ももったことから、「須勢理比売命」が嫉妬し、激怒するのですが、最後には夫の前でこのような歌を唄ったといいます。
八千戈の神の命や 我が大国主
汝こそは男にいませ うち廻る島の崎崎
かき廻る磯の崎落ちず 若草の嬬持たせらめ
ちなみに、この歌を訳すと以下のようになります。
あなた(大国主)は男だから、他の女性に見とれて浮気をするのも理解できるわ。
でも、私は女なの。
女である私にとっての夫は、あなたしかいないの。
だから私のそばで、ずっと一緒にいて。離さないで。
後に、この歌を快く聞き入れた大国主大神は、須勢理比売命をいっそう大事にして、末永く一緒に暮らしたそうです。
そして、この時の2人の仲睦まじい「おしどり夫婦」な暮らしぶりというのが、「縁結び」の由来(語源)にもなったそうです。
また、この歌は夫婦円満の秘訣を説いているとも云われており、女性なら少々、耳の痛い話となりますが『男性は浮気するものと理解して、うまく接していくことが夫婦円満の秘訣の1つである』ということを強く説いています。
出雲大社へ参拝に訪れた際は、ぜひ、「御向社」へも訪れて、縁結びのパワーを高めてください。
「脇宮三社」
この「筑紫社」と御本殿を挟んで向こう側に位置する「御向社」「天前社」は社殿の形状が非常に類似していますが、これら3社は「脇宮三社」と呼ばれており、摂社でありながら式内社(しきだいしゃ)にも列せられていますが、殿舎の形状から大きさも全て同じ様式で造営されています。
この理由は察しがつくとおり、御本殿に座す「大国主大神」と非常に関連の深い神様が祀られているからです。
しかし、脇宮三社と呼ばれているだけではなく驚くことになんと!この三社の中には古来、「格」が存在するようなのです。この事実は出雲大社に伝わる古文書「杵築大社御正殿日記目録」などに記述が見つかっており、「格」とは現代風で言えば「誰が一番エラいの?」ということです。
脇宮三社の格付け
- 筑紫社
- 御向社
- 天前社
下記の写真を見れば理解できますが、筑紫社は御本殿を向かい見て”左側”、残る2社「御向社」「天前社」が御本殿の”右側”に位置します。
実は出雲大社は通常の神社と異なり、注連縄の向きが逆であるという話は有名ですが、この理由となっているのが、この脇宮三社の格付けの様相がそのままダイレクトに反映されているからなんだだそうです。
すなわち「左方が上位」ということです。
出雲大社の大注連縄は拝殿と神楽殿に飾られていますが、日本最大の大きさとして有名なのは神楽殿の大注連縄です。そしてこの2殿ともに注連縄の向きが逆になっています。
注連縄に関しての詳細については、神楽殿のページをご覧ください。
脇宮3社(天前社・御向社・天前社)は常時見れない!
下掲の写真が示す通り、これら脇宮3社は八足門の奥にありますので、一般参拝客が入れるのは残念ながら八足門の前までだということは通常拝観では見れないというワケです。
ただし、正月三が日、祭典(60年に1度の遷宮の時など)の特別な日や、ご祈祷を受けた人のみ八足門の内側へ入れることがあります。
門内は通常、一般客は立ち入りができないエリアになりますので、神職の方の先導により、より本殿に近い位置での参拝が可能になります。
楼門の奥は神職であっても入れない!
出雲大社は八足門の奥には楼門が立ち、その奥に本殿が控えるような配置になっていますが、出雲大社の本殿に入ることが許されているのは、代々の出雲国造のみです。
つまり、出雲大社の最高責任者である神主(宮司)のみです。天皇陛下ですら入れないというから驚きです。
脇宮3社(天前社・御向社・天前社)と素鵞社の御祭神の不思議な配置
この三社の御祭神と本殿背後の素鵞社の配置を見ると、まるで本殿を守っているようにも見えます。
素鵞社は本殿の背後に位置し、脇宮3社は本殿の前方に本殿を守護するかのように並立しています。
これらの社殿に祀られている御祭神から考えていくと御本殿に安置される大国主大神を中心にその前方に妻神と自らの命を助けた神、そして後方の素鵞社は自らの父神でもあります。
これら御祭神の配置を鑑みても何かしらの意図があってのことのように思えてなりません。
出雲大社・御向社の場所(地図)
出雲大社の御向社(みむかいのやしろ)は、本殿の向かって右脇の「玉垣」の隣になります。