現在の出雲大社の御祭神はご存じのとおり、縁結びの大神と褒称される「大国主大神」になる。
大国主は神仏習合によって仏教の大黒天と素敵に結びつき、福の神としての利生もあるとされ、今日に到っても「福の神 大国さん」として人気を博す。
しかし、大国主の縁結びのご利益はいつ頃、誰が、何の目的or理由で発生させたものなのだろぅか?
本項では、この謎にせまってみたい♡
出雲大社の主祭神が「素戔嗚尊」変わった理由とは?いつ頃変わった?
先に述べておくと、出雲大社の主祭神は元来、大国主大神だった。
しかし、中世のいつ頃からか、理由すらも判然とはしないが、大国主大神からスサノオ神へと御祭神が変更されていた期間があった。
この事実の傍証として、境内の拝殿前に屹立する銅鳥居(四の鳥居)の柱に「素戔嗚尊者雲陽大社神也」
‥という陰刻があり、この意味を紐解くと、『スサノオ神は雲陽大社(出雲大社)の神である』‥のように解釈される。
ちなみに出雲大社境内の銅鳥居は1666年(寛文六年)に「毛利綱広(もうりつなひろ)/当時の出雲を統治した長州藩2代目藩主」が、老朽・不朽化が顕著だった木造の鳥居を青銅の鳥居へと造り替えたもの。
これは記録上、中世時代(鎌倉時代の頃/1185年〜1333年)〜江戸時代初頭/1603年〜1690年頃)までの200年以上もの間、出雲大社の主祭神はスサノオ神だったことにな〜る💋
鎌倉時代といえば、長らく天皇主権、王政の時代から武家が統治する時代へと移り変わった時代。
平安末頃、山岳信仰をいち早く仏教に取り入れた修験道の寺院として、叡山(延暦寺)とも関係を密にし、寺勢を増した鰐淵寺(がくえんじ)は、独自の宗教観を唱えはじめ、やがて稲佐の浜が浄土と俗界の境界にあたる等とする信仰を生み出した。
そして、稲佐の浜を通じて、出雲大社へも触手を伸ばしはじめた頃、出雲地方の別当が鰐淵寺に置かれて別当寺になった。
国家権力すらも味方に付けた鰐淵寺は、素戔嗚尊こそが出雲国を創造した真の主であると提唱しはじめ、権力を振りかざして出雲大社の主祭神を藪から棒に素戔嗚尊へと変えてしまった。
鰐淵寺の場所(地図)
爾来、出雲大社は素戔嗚尊を主祭神とし、悠久の歴史を歩んでいくことになる。
当時、出雲大社境内には三重塔や経蔵どの堂塔が素敵に並立し、経所では大般若経転読を奉修、社殿では読経も行われていた。
なぜ最古級の歴史を有する格式のある出雲大社の祭神が変更されたのか?
王政時代から武家統治の鎌倉時代に変わると、祇園社の祭神「スサノオ神」が仏教の祇園精舎を守護する牛頭天王(ごずてんのう)と素敵に習合し、厄除け・疫病を祓いの神として祇園信仰が にわかに勃興し、全国に広まった。
このような時代の潮流が背景にあって、出雲大社ほどの別格の一ノ宮でも御祭神が変更されてしまったと推考できる。
出雲大社の主祭神が大国主大神に戻る!
江戸時代初期(1661年から1672年/寛文4年から寛文5年)、出雲大社では寛文の大造営・遷宮(せんぐう)が実施される運びとなったが、当時の出雲国造が「遷宮を機として創建当初の神である大国主大神に戻して欲しい」と幕府に懇願。
寺社奉行(幕府)はこれを容認し、ただちに主祭神が元来の大国主大神へ戻され、併せて境内の堂塔は移築・撤去、経蔵は破却された。
しかし、なぜ出雲大社は神仏習合時代にも関わらず神道式の境内ならびに大国主大神に戻す事ができたのか?
調べたところ、鰐淵寺を中心とした「本願」と呼ばれる僧侶の組織のような成立していたらしく、その本願が寺社奉行に出向いて「出雲国造家が出雲大社境内の仏教色を排除しようと目論んでいる」と訟訴したことを端緒とする。
しかし幕府(寺社奉行)は、それを鵜呑みにせず、逆に御祭神を大国主大神へ戻して欲しいと上申した出雲国造家の言い分を聞き入れたのだった。
どうやら出雲大社の御祭神変更には将軍家が関わっていた
時の徳川二代将軍の家光公には、いっこうに世嗣ができず、気を病んだ乳母の春日局は家光の子宝祈願を松江藩に命じて、藩が出雲大社へ代参した。
奇しくもその翌年(1641年)に家綱が誕生し、後に家綱公は自らを”出雲の神の申し子”などと歓天喜地した。
それから26年後の1667年(寛文七年)、出雲大社は寛文の大造営を執り行う運びとなり、その話は当代の将軍 家綱公の耳にも入ることになる。
英気旺盛、若き聡明な君主となった家綱は、自らが「出雲の神の申し子」という出雲大社への謝恩を忘れておらず、寛文の造替は家綱(幕府)の全面的主導によって営まれたのはいうまでもない。
さすがの鰐淵寺も、お上相手にそれ以上の訴訟など、できようはずもなく、結局のところ、全面的に祭神変更を受け入れるほか無かったのだろぅ。
現在に到っても寛文の大造営は、大社の歴史を語る上で忘れる事なき出来事であり、爾来、出雲大社では当時の神職たちの挺身ぶりを教訓とし、日夜、神明奉仕に励んでいるという。
参考:鰐淵寺(出雲国神仏霊場公式)
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