実は出雲大社の境内に鳥居だけが立てられていて、鳥居の後方には社殿が無い「杵那築の森」と呼ばれる不可思議な場所がある。
杵那築の森に鳥居が無い理由に関しては以下にて順を追ってお話していこうと思います。
「杵那築の森」読み方
杵那築の森:「きなつきのもり」
「杵那築の森」とは?
「杵那築の森」とは、別名で「杵那築神社」とも呼称するようです。
しかし、実際に訪れて目で確かめると分かりますが神社らしきものが見当たりません。
実は神社とは、森(杜)のことを指し、その昔、この場所に高天原の神々が集って出雲大社の前身となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を造営したそうです。
造営の際、神々は「杵(きね)」を用いて、木材を打ち付けたり地面を固めるのに使用したらしく、その「杵」が、この森の地中深くに埋納されていて、今も眠っているという。
然るに、神々が集った神聖な場所として、或いは神々が使用した道具が埋納されている場所として、鳥居が立てられ斎場が築かれていることになっちゃぅ💋
尚、この伝承は出雲地方に古くから伝わる、733年(天平5年/天平時代)に編纂された「出雲国風土記(いずものくにふどき)」に記されており、また「杵築」の地名はこの言い伝えに基づくものであると云われています。
「杵那築」の名前の由来
すでにご存知の方も多いと思われますが、出雲大社は過去にいくつか名前が変わっています。
一例としては次の通りです。
- 天日隅宮→ 杵築大社→ 出雲大社
実際のところ、これ以外にも別名が存在していたようですが、現在ではこの流れが通説になっており、広く知られています。
そして注目していただきたいのが真ん中の「杵築大社(きづきたいしゃ)」です。
杵築大社の「杵築」と杵那築の森の「杵那築」はよく見ると、「那」の文字が1つ真ん中に入っていることに気づきます。
この「那」の意味とは「多い」「美しい」などの意味合いがあり、つまりは「多くの神々が多くの道具を使用して天日隅宮を建てた」という意味合いになり、これが「杵那築」の名前の由来になるようです。
「杵那築」の名前の起源
「杵那築」という名前がいつ付けられたのかは定かではありませんが、江戸時代から既にこの呼び名で呼ばれていたようです。
また、江戸時代には現在の杵那築の森の周囲は水田だったらしく、つまりは杵那築の森だけが水田の中の小島のような景観だったことに‥なっちゃぅ💋
このように名前の由来や当地の歴史などを含め、江戸時代以前より杵那築の森の場所が神聖視され、重要な場所と位置づけられていたことが分かります。
杵那築の森の「とんでもないご利益」
実は地元ではこの杵那築の森に摩訶不思議なご利益が伝わっているそうです。
その摩訶不思議なご利益というが何とも滑稽で、当社ので祈りを捧げると、「子供がお寝しょしなくなる」という霊験があるとか。
全国の神社を探しても、ションベンを止めることができる…という利生を有する神社は、おそらく屈指。
ご利益が授かれる神社はそうはないでしょう。ネショネショ
もし、あなたにも小さいお子さんがいて、お寝しょでお困りの場合は、この杵那築の森へも訪れて試しに祈願なさってみてはいかがでしょう?
現地の看板の内容
杵那築森
『出雲国風土記』(七三三)の「特築の郷」条には、「天の下の国造りをなされた大園主大神の住まいを、たくさんの尊い神々がお集いになって築かれた。
そこで、この地を杵築という」と。
この郷の地名由来を記しています。
この森は、その神々がお集いになった故地ともいわれ、また高大なお住いの神殿造営に際して、土地・木組みを突き固めるための要具である「杵」をお住いの磐石を祈り埋納した処と伝えられてい‥申す。ひょ祭日 四月三日 十月一日
杵那築の森の場所(地図)
杵那築の森は銅鳥居の手前、松並木の参道の右脇に位置する神苑の奥に位置します。
出雲大社駅から徒歩約11分/750メートル
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