出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・ 稲佐の浜(INASA-NO-HAMA)

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出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・ 稲佐の浜(INASA-NO-HAMA)

出雲大社 稲佐の浜

出雲大社・稲佐の浜の読み方

出雲大社の境内には、難しい漢字の表記で読みにくい名前の御祭神や社殿がありますが、稲佐の浜は「いなさのはま」と読みます。

また別名で「伊耶佐(いざさの浜」とも呼称するようです。

稲佐の浜の「稲佐」の意味とは?

稲佐と聞いてこんな疑問がわきませんでしたか?

海なのになぜ「稲」の文字が付くのか?と言ったことです。

実は、稲佐は「伊那佐」と書くのが正式なようです。

このことは古事記に記載されています。(日本書紀では「五十田狭/いたさ」)

「伊那」の意味は諸説あるようですが、現在に伝わっている有力な説として「砂地」を意味するようです。

「佐」は接尾辞として、「美しい小さな砂丘」と言った意味合いを成すそうです。

そして余談とはなりますが、稲佐の浜の南方向の浜(島島根半島西部の浜)は「薗(園)の長浜」と呼称されています。

稲佐の浜が”稲佐”と付けられた理由

上述でも説明しましたが、他にも”稲佐”と言う呼び方にまつわる言い伝えがあります。

なんでも「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」が「大国主大神」や「大国主大神の2柱の子神」に「国譲りの交渉」を持ちかけた際、「否(いな)か?、然か?(さ)」(国を譲るのか?譲らないのか?)と発したたことが由来になっていると云われています。

尚、国譲りの詳細に関しては後述しています。

出雲大社・稲佐の浜の歴史・由来

出雲大社へ参拝に訪れて、まず知らない方はいないと思われますが、稲佐の浜とは出雲大社に西門から出て、西方向へ徒歩で進むこと約15分ほどで見えてくる神秘的な光景の砂浜のことです。

その他、出雲大社でもっとも大きな神事である「神在祭」で、旧暦の10月10日に八百万の神々と龍蛇様をお迎えする神聖な場所でもあります。

神聖な場所である一方、暑にはたくさんの海水浴客が訪れる一大スポットでもあります。

抜けるような青々とした空、そして深青の大海原と、この美しい砂浜を見渡せば、真暑の夏さなど吹っ飛び爽快な気分になります。

以下ではこの美しい稲佐の浜についてご紹介しています。

稲佐の浜の見どころ

「屏風岩」

稲佐の浜 屏風岩稲佐の浜から少し北へ約5分ほど歩いた先に「屏風岩(びょうぶいわ)」と呼称される岩があります。(稲佐の浜から50メートルほど内陸の山手)

そしてなんと!この岩の前で「国譲り」の交渉が行われたと云われております。

ところで・・「国譲り」とは?

国譲り(くにゆずり)」とは一般的には天孫降臨の際、天照大御神が「私の子孫が葦原の中つ国(日本大陸)を治める」と宣言され、配下の神々を地上へ(葦原中つ国へ)遣わして、葦原中つ国を譲るように交渉に向かわせたことに端を発するものです。

この当時、地上(日本の国土)を繁栄させ、日本国の主として君臨していたのが現在、出雲大社で鎮座される大国主大神です。

天照大御神は配下の神々を遣わして大国主大神に交渉を持ちかけますが、数回、断られることになります。

しかし最終的に交渉は成功し、大国主大神から葦原の中つ国を譲り受けることになり、これを後世では「国譲り」と呼んでいます。

その国譲りの話し合いが行われたのが、この稲佐の浜の屏風岩の前と云われ、最後に天界(高天原)から遣わされた神様こそが「建御雷之男神(たけみかずちのおのかみ)」です。

建御雷之男神は「天鳥船(あめのとりふね)」と言う船を用意して、伊耶佐(いざさの浜(稲佐の浜)へ降り立ちます。

そして、自らの愛剣である「十拳剣(とつかのけん)」を荒々しく突き立てて、大国主大神とこの屏風岩の前で対峙して地上を譲るように交渉を試みるのです。

しかし大国主大神は、こう答えます。

「1つ返事はできない。そのためまず、息子神の”事代主神(ことしろのぬしのかみ)”」に聞いてくれ」

そして建御雷之男神は事代主神のもとへと行って交渉し、何とか了承を得ました。

そして再び大国主大神のもとへ戻って了承を得たことを告げると・・大国主大神はこう告げます。

「すまないが、実は私にはもう1人息子神がいるから、その息子神とも交渉して欲しい」

仕方なく、建御雷之男神は大国主大神のもう1人の子神のもとへ行くことにしました。

そして息子神のもとへたどり着いた建御雷之男神は、国譲りの話をしますが・・なんと!その息子神は激怒して建御雷之男神に決闘を申し込んできました。

「私に腕比べで勝てば国を譲ってやる」

そういって試合のゴングが鳴る前に、なんと!その息子神は建御雷之男神の腕に掴みかかりました。

ところがなんと!建御雷之男神の腕は氷のように冷たくなり、やがて氷の刃に変化しました。

その様子を見て息子神は腰を抜かしてしまい、その隙に腕を掴まれて天高く投げ飛ばされました。

ちなみに大国主大神の息子神、名前を「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と言います。

力の差を思い知った建御名方神は大慌てで逃げますが、現在の長野県の諏訪湖の畔(ほとり)で捕まってしまい、負けを認めて国を譲ることに同意します。

以降、建御名方神はこの諏訪で鎮まる(暮らす)ことになります。

これは余談ですが、後に建御名方神が暮らしたこの場所は、「諏訪大社(すわたいしゃ)」と言う社が造営され、後世において戦神として崇められることになります。

また、この建御雷之男神と建御名方神の戦いこそが「本当の相撲の起源」と云われております。
※通説での相撲の起源は垂仁天皇の命で執り行われた野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の力比べだと云われています。

「屏風岩」の名前の由来と意味

尚、屏風岩の「屏風」とは、我々がよく知る「アコーディオン状の移動ができる仕切り板」のような物のことで、格式ある和風の家や寺社の茶室などに飾られていることが多いです。

この屏風を広げた時のような形をしていることから、「屏風」と呼称されています。

屏風岩の場所(稲佐の浜から屏風岩への行き方)

屏風岩は少し分かりにくい場所にあります。

詳しくは民家の真隣にあります。

稲佐の浜を北へ進むと「民宿・白砂」と言う民宿が見えてきますので、これを右折して直進すれば正面に見えてきます。(看板が立っています)

稲佐の浜から屏風岩行き方

  • 稲佐の浜から屏風岩までの徒歩での所要時間:約5分
  • 距離:約300m

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弁天島

稲佐の浜 弁天島一般的に我々が知る稲佐の浜の光景は、青々とした透き通るような美しい海と、ゴミ1つない地平線まで広がった美しい砂浜に小島だけポツンと1つだけある光景です。

この小島を「弁天島(べんてんじま)」と呼称し、地元では「べんてんさん」と親しみをもって呼ばれています。

えぇっ?!弁天島は流されてきた??

実はその昔、この弁天島はなんと!もっと沖合にあったそうです。

そんなことから地元では別名で「沖ノ御前」や「沖ノ島」とも呼称されています。

ちなみに昭和60年頃までは現在の弁天島の場所はすべて海だったようです。

つまり砂浜がもっと内側であったことになります。

江戸時代の頃、「勢溜りの鳥居の周辺は砂丘であった」と云われていることに納得ができます。

おそらく勢溜りの鳥居の手前あたりまで浜辺の砂浜地帯が広がっていたのでしょう。

現在では弁天島まで歩いて間近で弁天島の景観を見学することができます。

弁天島の鳥居

弁天島をよ~くご覧ください。

小島の上に「鳥居」が立てられていることに気づきませんか?

鳥居があると言うことは神様がお祀りされていると言うことになりますが、この弁天島でも神様がお祀りされています。

その神様は、出雲大社と強い関係のある神様かとイメージしてしまいますが、残念ながら出雲大社とは直接的な関連性の無い御祭神となります。

しかし、この御祭神、現在の皇室と深い関連のある御祭神でもあります。

誰だかお分かりでしょうか?

御祭神とは「豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)」と言う神様になります。

皇室とこの神様の繋がりですが、この神様の妹を「玉依姫(たまよりびめ)」と呼称し、この玉依姫が生んだ末っ子を「神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれびこのみこと)」と呼称します。

そしてこの「神倭伊波礼琵古命」こそが、日本の初代天皇・神武天皇のことだと云われております。

ただ、神仏習合の時代は「弁財天(弁才天)」が祭祀されていたようです。

塩汲み神事

出雲大社だけではなく、大社町すべての住民を対象とした神事があります。

その神事こそが「塩汲み神事」です。

この神事は、年に12回も執り行われる神事で毎月1日の早朝に、住民の代表者が数人集まって、竹で作った「竹筒」を用意して稲佐の浜で海水を汲みとります。

汲み取った海水は出雲大社と荒神社(稲佐の浜付近/大社町杵築北2951)に供進(お供え)します。

供進する際、笹の葉を1枚手に持って、汲んできた海水を自らの身体と神前に振りかけて祈願します。

そして祈願した後の海水は持ち帰って「玄関などの家の出入り口となる所」や神棚、家族にも振りかけます。

こうしてその月の邪気を祓い、家内を清浄にすることができ、つまりは厄災を退けることができるそうです。

日本の渚(なぎさ)百選

日本の渚百選日本の渚百選」とは、「一般社団法人大日本水産会」が主催する、日本全国の渚(なぎさ)の中でも特に美しく印象に残る渚を100ヶ所選ぶ企画です。

そして、この稲佐の浜もこの1996年(平成8年)に見事!「日本の渚100選」に選出されています。

  • 日本の渚100選の一覧:http://www.mori-taki-nagisa.jp/
稲佐の浜の場所(出雲大社から稲佐の浜への行き方)

出雲大社から稲佐の浜へは単純に出雲大社の境内の西門から西方向(海の方向)へひたすら歩くだけです。

詳しくは「観光センター出雲」の前の交差点から国道431号線へ入り、西方向(海の方向)へひたすら直進します。
途中に「出雲阿国の墓」や「阿国の塔」、神謀りが行われる「出雲大社・境外摂社・上宮」などがあります。

出雲大社から稲佐の浜アクセス

  • 出雲大社から稲佐の浜までの徒歩での所要時間:約15分
  • 距離:約1.5Km

稲佐の浜に関してのお問い合わせ先「出雲観光協会」

住所:島根県出雲市大社町修理免735−5
電話番号:0853-53-2112
営業時間(電話受付可能時間):8時30分~17時15分
定休日:月曜日

【補足】おすすめの観光モデルコース

阿国寺出雲阿国の墓八大荒神社大歳社(摂社)上の宮(摂社)下の宮(摂社)稲佐の浜(御砂を採取)因佐神社素鵞社(出雲大社境内/御砂をいただいて持ち帰る)

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