出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・北島国造家四脚門(SIKYAKU-MON)【島根県有形登録文化財】
創建年
- 1667年(寛文7年)※江戸時代前期
再建年
- 1970年(昭和45年)
- 1994年(平成6年)
- 2015年(平成27年)
建築様式(造り)
- 切妻造り
- 平入
※四脚門
大きさ
- 高さ:約6m
- 横幅:約6.5m
- 屋根の長さ:約6m
屋根の造り
- こけら葺き(サワラ材)
島根県指定文化財登録年月日
- 1968年(昭和43年)6月7日
出雲大社・北島国造家四脚門の読み方
「北島国造家四脚門」は「きたじまこくそうしきゃくもん」または「よつあしもん」と読みます。
北島国造家四脚門の建築様式(造り)
まず・・「四脚門」とは?
門の造りとして、門上の大屋根を支える主柱(おもばしら)を主として控え柱が付く格好になります。
従って、4脚門の場合は2本の主柱+前2本後2本の合計4本の控え柱がある門です。
画像引用先:http://www.kyoto-be.ne.jp/
ちなみに8脚の場合は2本の主柱+8本の控え柱(前4本、後4本)がある門になります。
この北島国造四脚門は名前の通り4脚門になります。
四脚門は時代によって造営できた家柄が定められていました。
平安時代:官位三位以上の者や大臣格の者の邸宅に設置することが許された門
鎌倉時代以降:由緒ある格式の家柄の門(将軍家の門、勅使が通る門)に設置することが許された
屋根の湾曲の角度は35度あります。
現在の屋根は2015年(平成27年)7月に執り行われた修造の際に葺き替えられており、12月17日に修理を終え、屋根の色が元に戻り、往時の威容を取り戻しています。
門の冠木(かぶき/門上の太い横木)の奥には「欄間(らんま)」が据えられており、この欄間には龍の彫刻と鯉(恋!♥)の彫刻が施されていますが、龍の彫刻の方は出雲大社最古の彫刻と伝えられています。 また冠木の上には「蟇股(かえるまた)」が据えられており、出雲大社の神紋である「二重亀甲に剣花菱」の紋が彫られています。
2015年に執り行われた修造の際、なんと!かつてはこの蟇股が極彩色であったことが判明しています。
江戸期の建築ですので、ひょっとすると日光東照宮の境内でみることのできるような煌びやかな極彩色の蟇股であったかもしれましぇん。
ちなみにこの門は、20年から30年おきに修理が施されているようです。
次回の修理(2025年から2035年)では分解修理が行われる予定で、この時にかつての極彩色が復刻されるかも知れましぇん。
また、この分解修理によって江戸期の出雲大社のことが分かるような新たな発見も期待されていましゅ。
サワラ材について
サワラはヒノキ科の針葉樹であり、容姿はヒノキに類似しています。
しかし通常、社寺建築においてサワラ材を建造物の構造部に用いるのは極稀であり、主としてヒノキ材の方が多く用いられます。
これはヒノキ材の方が固さと耐久性があり、長年使用できるからです。
ただ、サワラ材もヒノキと大変似ていることから用材として使用されることがあるようですが、性質が柔らかいために構造部ではなく、主に長押や天井板、装飾板、そしてこの北島四脚門のように屋根などに使用されます。
サワラ材の大きな特徴はヒノキのような匂いがなく、水に強いと言うことです。
そんなことから、木製の風呂場を施工する時にサワラ材が用いられることが多いです。
北島国造家四脚門の歴史・由来
かつて出雲大社御本殿の裏側には、北島国造家の屋敷と屋敷への出入り口となる門が2つありました。
しかし1667年(寛文期/江戸時代前期)に執り行われた大造営の際に、北島国造家の他の建物と一緒に片方の門のみ(1つの門のみ)が、現在の北島国造家がある場所まで移築されています。(四脚門自体は1665年/寛文5年に移築)
そして、なんと!出雲大社の境内にある門の中でも最古の門と伝えられ島根県の文化財に指定されています。
1667年に造営された門になりますので約340年前の門と言うことになります。
北島国造家四脚門の場所(地図)
北島国造家四脚門は、銅鳥居から瑞垣内へ入り右手み見える「神古殿(しんこでん)」の奥に位置する「北島国造家」の入口の門になります。
門の前に「吉野川」が流れおり、橋を渡った先に位置します。
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