| 創建年 | 1921年(大正10年) |
|---|---|
| 建築様式(造り) | 入口唐破風付 |
| 屋根の造り | 銅葺 |
| 施工者 | 伊東忠太 |
「勅使館」の読み方
勅使館:「ちょくしかん」
勅使館は何をする所なのか?「勅使館の役割」
出雲大社の勅使館は5月14日の「例祭」時に、勅使の方の宿泊などに使われる「貴賓室」としての建物です。
尚、「勅使館」は出雲大社のみならず、全国の勅使が幣帛を携えて参向してするような社格の高い神社であれば、境内で見かけることが‥できちゃぅ💋
【ピヨ🐣「勅使」って何?】
勅使(ちょくし)とは、皇族(主に天皇)の使者のことを「勅使」といいます。
勅使に任命される者は、それなりの高い位を持った者(主に公家)が務めた。勅使は天皇が直接、足を運んで訪れたことと同義として扱われるために、勅使を丁重に迎え入れるための施設が必要でした。
特に王政時代(平安時代)においては関白や将軍が勅使よりも「下座」に立っていたほど。
江戸時代でこそ将軍だけが勅使に対して上座で接していたが、関白はあくまで「下座」で勅使と対面しました。
すなわち、勅使を迎え入れることが、どれほど重要なことであるのかが理解できます。
勅使館の作者(設計者)「伊東忠太」
出雲大社の勅使館は、東京駅の設計で有名な「辰野金吾(たつの きんご)」の愛弟子といわれる「伊東忠太(いとう ちゅうた)」によって、1921年(大正10年)に創建されました。
伊東忠太は、平安神宮や明治神宮などの国家規模のプロジェクトを手掛け、はたまた、築地本願寺(東京都中央区築地)、東大(東京大学)正門、一ツ橋大学兼松講堂(東京都国立市中)、湯島聖堂(東京都文京区湯島)など、数多くの馴染みのある建築物の設計も担当しています。
また、帝国芸術院会員として1943年(昭和18年)4月29日には建築業界で初めて文化勲章を受賞。
あまつさえ、日本の近代建築に神社仏閣を巻き込んで、新風を吹き込んだ設計者とも言われています。
勅使館の歴史
出雲大社の勅使館は、大正建築の名残りを今に伝える貴重な建造物の一つ。
1995年(平成7年)11月6日・7日には、将棋の第8期 竜王戦(第3局)が、当該、勅使館で催された。
殊に、この時の対局者は「前竜王(佐藤康光)」と「名人・竜王(羽生善治)」で、後世に残るような伝説的な一戦が展開した。
出雲大社 勅使館の場所(地図)
勅使館は、銅鳥居の近くの社務所隣にあります。
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