最近、出雲大社のことを知る人が多くなったのか、出雲大社の御本殿の向きが通常の神社の南向きとは異なり、西側を向いているという話をよく耳にします。
実はこれは誤った回答であり、正式には御本殿の向きは南向きなのですが、御本殿の内部に奉斎される御神体が西を向いているのです。
このページでは御神体が西向きの理由について述べています。
御本殿向きが”南向き”という意味
冒頭の述べた御本殿向きが”南向き”という意味は、御本殿の出入口が南向きに造られているということです。
詳しくは下掲の御本殿内部の図面をご覧くださいな。
⬆️御本殿内部の写真。「御神座」が西向きで表記されているのがお分かりいただけるだろうか?
御神体が西を向いている理由
この御神体の向きの理由に関してですが、これには諸説あって定かなことは未だに判明していませんが、主に以下のような理由が述べられています。
理由その1.横側からの方が神に奉仕しやすいから
神様に奉仕する際は真正面から正対するのではなく、横側から奉仕する方が神に近いという考え方もあるようです。
出雲では神である大国主大神の神霊が出雲国造その者に寄り依くと言われることからも察するとおり、現人神(あらひとがみ)としての側面も併せ持ち、これすなわち人と神との関係が極めて近いことを意味します。
実際、出雲大社では「古伝新嘗祭」という神事が例年11月23日執り行われるのですが、この神事では現・出雲国造の長寿を願います。
しかしながら、本旨は出雲国造自らの身体に祖神とされる天穂日命(あめのほひ)の依り代として霊力を継承し、現人神(あらひとがみ)として現世を見護るということにあると云われます。
とりわけ、このような西向きの由来は出雲大社特有のものではなく、住吉大社(大阪)の社殿も海の神だけにやはり、本殿が海の方角へ向けた西向きで造営されています。
住吉大社も211年(神功皇后摂政11年)に創建された古社とだけあって、このように海に面して造営された古代の社には海との深い関係性のもとに造られたのかもしれません。
理由その2.海と正対するようにしたので西向きになった
出雲国造家の千家尊統が著した「出雲大社」という書籍には、大国主大神が海から渡来した神霊だと捉えられていたことが記されています。
ここで気がつくのが出雲大社の西側にある稲佐の浜では毎年、神在祭の頃になると龍蛇神と呼ばれるウミヘビが無数に浜に流れ着き、このウミヘビの先導のもとに八百万の神々が浜から出雲へ参集するという伝承があります。
この時、出雲大社の神職たちは八百万の神々を出迎えるために「神迎の儀式」を稲佐の浜にて執り行い、神々をもてなし、御本殿まで送り届けます。
一説にはこの到来する龍蛇神こそが大国主大神そのものだという説もあり、驚くことになんとぉぅ!御本殿にて奉斎される御神体が蛇だという説もあることから、これらの事柄が西側を向いている理由に紐づくものとも考えられます。
理由その3.大社造の「男造(おづくり)」「女造(めづくり)」に拠るもの
出雲大社本殿の建築様式は大社造(たいしゃづくり)と呼ばれる造りをしていますが、実は大社造には下記の2種類の内部構造を有した造りがあります。
出雲大社御本殿のように御神座が社殿の右奥に配置され御神体は正面から左方向を向いて鎮座したものが男造(おづくり)と呼ばれるものです。
一方、御神座が社殿の左奥に配置され御神体は正面から右方向を向いて鎮座するものを女造(めづくり)と呼びます。
文章だけでは伝わりきらないので、ちょっと下掲、図面をご覧ください。
画像引用先:https://ja.wikipedia.org/
この図面の左側が出雲大社の御本殿に見られる造りです。つまり男造(おづくり)。右側が女造(めづくり)と呼ばれるものですが、女造(めづくり)では社殿の出入口こそ同じものの御神体を安置する御神座はまったく逆を向いているのが分かります。
この大社造の様式により、西側を向いてしまっているとも考えることができまする。
その他の西側を向いている理由
- 大国主大神は天孫降臨の際、国譲りによってこの日本の地を放棄したことになるので、天皇と同様に南向きで祭祀されるのを控えた。
- もともと太古から伝わる殿舎の造りが、現在の西側を向くような形だった。
- 太古の住居が原型=大国主大神の住居=住居の様式で母屋部分が西向き仕様だった
- 地形的に西側から見る景色が特に美しいため
- 西側大陸(朝鮮半島など)からの脅威から日本を守護するため
出雲大社の注連縄の向きも西向き?
出雲大社の注連縄の向きは他の神社とは異なり、左方が綯い始めで、右方を綯い終りとする張り方をしています。
これを出雲大社では以下のように解説しています。
御本殿内には、客座五神として「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣立日神(たかみむすびのかみ)・神産巣立日神(かみむすびのかみ)・宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)・天之常立神(あめのとこたちのかみ)」の五柱の神が祀られておりますが、尊貴第一の神たる「天之御中主神」が上位となる一番左に祀られております。
また、江戸時代の祭事の記録では、神様へお供え物を進める際、上位のお供え物を向かって左へ、下位のお供え物を向かって右へ進める作法となっております。
このように、古く出雲大社では一般的な神社とは反対に、向かって左方を上位、右方を下位とする習わしがあります。
‥‥‥以上のような旨のことを述べられていますが、ここで注目したいのが本殿内部の上記、客座五神の御神体の配置です。
出雲大社での左側とは西を指し、西側から天之御中主神→‥‥と顕現(神仏が現出すること)した順番で安置されています。
このことからも左、すなわち西側を重視している様子がハッキリと理解できます。
西側からも参拝できる!
出雲大社では西側、つまり御本殿の安置される御神体と正対しながら参拝ができるように西側に遥拝所を設けています。
お賽銭箱もありますので、大国主大神と正対して参拝したい方はぜひ!西側へまわって参拝してみてくださいな。
関連記事一覧
関連記事:出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・御本殿(HONDEN)【国宝】
関連記事:日本一?出雲大社の”大しめ縄”いつから今の場所にあるのか?取り替え(交換)時期はいつ?意味やお金を挟むジンクスの謎とは?
スポンサードリンク -Sponsored Link-
当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。