奉納山・阿国の塔
出雲大社の近くには歌舞伎の創始者とされる「出雲阿国(おくに)」に由来した「阿国の墓(おくにのはか)」、「阿国の塔(おくにのとう)」と呼ばれるものが残されています。
また、少し離れますが「連歌庵(れんがあん)」と呼ばれる阿国が余生を過ごしたとされる庵も残されています。
本ページでは、出雲大社から徒歩でも行ける阿国と深い関わりのある「阿国の塔」をご紹介します。
⬆️阿国の塔
- 建立年:1936年(昭和11年)6月
「阿国の塔」は「於国塔」とも呼ばれ親しまれています。正面から見た塔の石に「於国塔」と大きく刻まれており、その右側面には阿国の肖像が描かれています。
1934年(昭和9年)に、かつて奉納山を所有していた千家男爵(千家 尊福/せんげ たかとみ)が大社町へ土地を寄進し、阿国塔の建設地が確保されます。これに端を発し、1936年(昭和11年)6月に歌舞伎で有名な中村一門と市川一門などの歌舞伎に関係した役者たちの寄進によって建てられました。同年7月に除幕式が執り行われています。
「阿国の塔」は奉納山の山頂へ向うまでの道中で見かけることができます。
現在、見ることのできる阿国の塔は、1968年(昭和43年)に再建されたものだそうです。
塔の土台となっている石段(石碑)には、坂東玉三郎や中村一門、市川一門の、有名どころの舞台俳優の名前を見かけることができます。
塔手前の石碑の刻銘(碑文)
この塔は昭和11年に劇祖・出雲お國を顕彰して故代議士・木村小左衛門氏らにゆおり創建されたが過ぐる大東亜戦争中、金属供出令によりお國舞姿の銅板と上部の九輪が供出に持ち出され、以来そのままになっていた。
しかし田部島根知事の尽力により復元期成同盟会を結成し当初の製作者、故内藤伸氏の高弟・西田明史が復元設計の労にあたられ昔日の姿に復し得たことは喜びと感謝にたえない
ここに記して構成に傳う
昭和43年9月 大社町長 蒲生傳治
「阿国の塔」の場所(地図)
グーグルマップで表示すると車道を通行する表示になりますので、遠回りで表示されますが、実際は階段があるのでもっと距離と所要時間は短縮されます。良かったわねぇウフ
出雲大社から「阿国の塔」までのアクセス(行き方)
徒歩
「出雲大社・観光センター」から431号線を稲佐の浜方向へ
※観光センターから稲佐の浜(日本海側)へと続く道は古来、「出雲阿国の道」とも呼ばれているようです。
↓(所要時間約21分)
「仮の宮四のT字路」を右折(一畑バスの奉納山入口バス停付近)
↓(所要時間約7分)
奉納山山頂へ(合計所要時間:約28分)
上記、阿国の墓から奉納山山頂までは徒歩約13分です。
一畑バスを利用する!
- 最寄りバス停:一畑バス日御碕・大社線「奉納山入口バス停」※時刻表
出雲大社観光センターから一畑バス「日御碕灯台行き」へ乗車して「奉納山入口バス停」で下車(運賃150円)。上記、仮の宮四のT字路へ向かって歩き、徒歩約7分ほどで到着できます。
なお、奉納山の入口は「仮の宮四のT字路」を右折してすぐのところにあります。入口は階段になっており、奉納山の山頂を目指して登っていく形になります。その途中に阿国の塔があります。
ちなみに山頂には「出雲手斧神社」と「奉納山展望台」があります。阿国の塔から山頂までは徒歩約10分。
なお、入口左には「八大荒神社」の鳥居が見えます。塔へ向かうときにでもぜひ!立ち寄ってご参拝ください。
- 関連記事:八大荒神社
阿国の塔からの見晴らしがサイコー!
この阿国の塔は奉納山の山頂付近にあることから、山頂まで登り切った時、稲佐の浜や出雲杵築町一帯が広がる様子を一望できます。
晴れ晴れとした晴天の日に訪れるのがベストかもしれません。
【補足】おすすめの観光モデルコース
阿国寺⇒阿国の墓⇒阿国の塔⇒出雲手斧神社⇒八大荒神社⇒大歳社(摂社)⇒上の宮(摂社)⇒下の宮(摂社)⇒稲佐の浜(御砂を採取)⇒屏風岩(大国主神の国譲り場所)⇒因佐神社⇒素鵞社(出雲大社境内/御砂をいただいて持ち帰る)
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