砂と弁天島のご利益と夕日や神話が有名!【パワースポット!稲佐の浜】の名前の由来や場所を‥‥‥知りたぃ?

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出雲大社(IZUMO-OYASHIRO)・ 稲佐の浜(INASA-NO-HAMA)

出雲大社 稲佐の浜

出雲大社・稲佐の浜の読み方

出雲大社の境内には、難しい漢字の表記で読みにくい名前の御祭神や社殿がありますが、稲佐の浜は「いなさのはま」と読みます。

また別名で「伊耶佐(いざさ)の浜」とも呼称するようです。

稲佐の浜の「稲佐」の意味とは?

稲佐と聞いてこんな疑問がわきませんでしたか?

海なのになぜ「稲」の文字が付くのか?と言ったことです。

実は、稲佐は「伊那佐」と書くのが正式なようです。

このことは古事記に記載されています。(日本書紀では「五十田狭/いたさ」)

「伊那」の意味は諸説あるようですが、現在に伝わっている有力な説として「砂地」を意味するようです。

「佐」は接尾辞として、「美しい小さな砂丘」と言った意味合いを成すそうです。

そして余談とはなりますが、稲佐の浜の南方向の浜(島島根半島西部の浜)は「薗(園)の長浜」と呼称されています。

稲佐の浜が”稲佐”と付けられた理由

上述でも説明しましたが、他にも”稲佐”と言う呼び方にまつわる言い伝えがあります。

なんでも「建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」が「大国主大神」や「大国主大神の2柱の子神」に「国譲りの交渉」を持ちかけた際、「否(いな)か?、然か?(さ)」(国を譲るのか?譲らないのか?)と発したたことが由来になっていると云われています。

尚、国譲りの詳細に関しては後述しています。

出雲大社・稲佐の浜の歴史・由来

出雲大社へ参拝に訪れて、まず知らない方はいないと思われますが、稲佐の浜とは出雲大社に西門から出て、西方向へ徒歩で進むこと約15分ほどで見えてくる神秘的な光景の砂浜のことです。

明治時代

明治21年

この稲佐の浜は明治21年に島根県下で初めて開設された海水浴場です。

毎年、夏い暑になればたくさんの海水浴客が訪れる一大観光スポットでもありんす。

昭和時代

1926年昭和元年

昭和初年より運航が開始された「大社・日御碕定期観光船」は、この稲佐の浜から日御碕までの間を多くの観光客を乗せて1日3往復航行していました。航行時間は片道40分。さらに時代が下ると「杵築ー河下線」や、杵築ー久手線も臨時線として運航されるようになります。

1933年(昭和8年)

大社漁港の修築工事が実施されています。
大社漁港が創設されるまでは、主として、この稲佐の浜の弁天島から赤塚浜に至るまでの浜一面に漁船を船揚げしていたのです。

ところが昭和時代になると水産業が発展し、それに伴い発動機船が激増し、 漁船の収容場所が無くなってきます。このため港の建設の声が高まり、ついに昭和8年より五カ年計画にて漁港の建設工事が開始されています。

1936年昭和11年

稲佐の浜の弁財天宮社の遷宮が執り行われています。

宮、鳥居、架橋、いずれも地元・出雲市大社町宇龍に在住の「山根久三郎」氏の寄附奉納によるものです。

1951年(昭和26年)

昭和26年になると「砂防林」としての機能をもたせる目的で松が植林されまする。

1960年

現在も稲佐の浜にあるどデカイ岩「弁天島」はかつては海の中(浜の沖合)にあり、歩いて間近まで行くことできなかったのです。…間近だけにマジか?

その弁天島の斜め前には、長さ約40メートル、幅6~7メートルほどもある「クジラ島」と呼ばれるクジラの形をした大きな岩があり、昭和初期になるとこのクジラ島脇に「大社・日御碕定期観光船」の発着のための桟橋が組まれ、観光客で賑わいまする。

ところが、1950年代になると稲佐の浜の堆砂化(たいしゃ)が進み、徐々にクジラ島が砂で隠れて見えなくなり、1960年を迎える頃になると往時の影すら残さないほど砂中に完全に埋もれてしまいます。

平成時代

1996年(平成8年

稲佐の浜が「日本の渚百選」に選出されます。

2016年(平成28年)

4月28日、出雲市が文化庁に申請していた「日本遺産・日が沈む聖地出雲」が認定され、文科省にて認定証の交付が行われています。

県内では「津和野今昔」、「出雲國たたら風土記」に続く3件目の快挙であり、日本遺産認定により、日御碕と併せて周遊観光客の増加が期待されています。

12月3日、日本遺産「日が沈む聖地・出雲~神が創り出した地の夕日を巡る~」の観光ガイド養成講座が「うらら館」で開催されています。

観光ガイドとして働くことを希望する市民ら約100人が参加。日本遺産のことや出雲の歴史や魅力、そして、観光ガイドとしての注意点やコツなどを学んでいます。

5月26日、稲佐の浜で第13回「稲佐の浜夕刻篝火舞」が開催されています。約1200人が参加し、篝火に照らされながら、出雲、石見、安芸高田それぞれの地域に伝承される神楽を奉じてしています。

演じたのは大土地神楽保存会、石見神楽温泉津舞子連中、安芸高田市の青年神楽団の人たちです。

出雲八景の一角だった!?

この稲佐の浜は往時は「出雲浦」という名称で数々の歌などにも詠まれた名勝でもあり、「出雲八景」の1つに数えられたほどの浜です。

確かに、抜けるような青々とした空、そして深青の大海原と、この美しい砂浜を見渡せば、真暑の夏さなど吹っ飛び爽快な気分になります。

以下ではこの美しい稲佐の浜についてご紹介しています。


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稲佐の浜の見どころ

神迎え祭(神在祭)

この稲佐の浜が一躍、全国的に有名になったキッカケとなったのが、誰が何と言っても「神迎え祭」です。神迎え祭は、出雲大社でもっとも大きな神事である「神在祭」の中の神事であり、旧暦10月10日になると、八百万の神々と龍蛇様が稲佐の浜に到着されるので、それをお迎えする神事がこの浜で斎行されます。

浜にある弁天島には古来、神が祀られていることからも分かるとおり、この浜は神が憑りつく神聖な場所でもあるのです。

弁天島

稲佐の浜 弁天島

一般的に我々が知る稲佐の浜の光景は、青々とした透き通るような美しい海と、ゴミ1つない地平線まで広がった美しい砂浜に小島だけポツンと1つだけある光景です。

この小島を「弁天島(べんてんじま)」と呼称し、地元では「べんてんさん」と親しみをもって呼ばれています。

えぇっ?!弁天島は流されてきた??

実はその昔、この弁天島はなんと!もっと沖合にあったことから、地元では別名で「沖ノ御前」や「沖ノ島」とも呼ばれています。

ちなみに昭和60年頃までは現在の弁天島の場所はすべて海だったようです。

つまり砂浜がもっと内側であったことになりますが、この理由は上述の通り、土砂の堆積により、徐々に砂浜の面積が増えていったものと考えることができます。

江戸時代の頃、「勢溜りの鳥居の周辺は砂丘であった」と云われていることに納得ができます。

おそらく勢溜りの鳥居の手前あたりまで浜辺の砂浜地帯が広がっていたのでしょう。

現在では弁天島まで歩いて間近で弁天島の景観を見学することができます。

弁天島の鳥居

弁天島をよ~くご覧ください。

小島の上に「鳥居」が立てられていることに気づきませんかぃ?

鳥居があると言うことは神様がお祀りされていると言うことになりますが、この弁天島でも神様がお祀りされています。

その神様は、出雲大社と強い関係のある神様かとイメージしてしまいますが、残念ながら出雲大社とは直接的な関連性の無い御祭神となります。

しかし、この御祭神、現在の皇室と深い関連のある御祭神でもあります。

誰だかお分かりでしょうか?

御祭神とは「豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)」と言う神様になります。

皇室とこの神様の繋がりですが、この神様の妹を「玉依姫(たまよりびめ)」と呼称し、この玉依姫が生んだ末っ子を「神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれびこのみこと)」と呼称します。

そしてこの「神倭伊波礼琵古命」こそが、日本の初代天皇・神武天皇のことだと云われております。

ただ、神仏習合の時代は「弁財天(弁才天)」が祭祀されていたようです。

弁天島には登れない!

この弁天島は登拝するものではなく、下から見上げる恰好で参拝する物です。

朝日や夕日に照らされた弁天島が何かこぅ、神々しいものが感じられます。

なお、この弁天島の社には賽銭箱も無ければ鈴もありんせん。

弁天島が出雲大社に所属する子社ではない!

弁天島は出雲大社の子社ではありません。単立の社です。

潮汲み神事

写真はhttps://www.sankei.com/より

出雲大社だけではなく、大社町すべての住民を対象とした神事があります。

その神事こそが「潮汲み神事」です。

この神事は、年に12回も執り行われる神事で毎月1日の早朝に、住民の代表者が数人集まって、竹で作った「潮汲み箍(たが)」と呼ばれる「竹筒」を用意して稲佐の浜で海水を汲みとります。

汲み取った海水は出雲大社と荒神社(稲佐の浜付近/大社町杵築北2951)に供進(お供え)します。

供進する際、笹の葉を1枚手に持って、汲んできた海水を自らの身体と神前に振りかけて祈願します。

そして祈願した後の海水は持ち帰って「玄関などの家の出入り口となる所」や神棚、家族にも振りかけます。

こうしてその月の邪気を祓い、家内を清浄にすることができ、つまりは厄災を退けることができるそうです。

日本の渚(なぎさ)百選

日本の渚百選」とは、「一般社団法人大日本水産会」が主催する、日本全国の渚(なぎさ)の中でも特に美しく印象に残る渚を100ヶ所選ぶ企画です。

そして、この稲佐の浜もこの1996年(平成8年)に見事!「日本の渚100選」に選出されています。

夕日が有名!日本遺産「日が沈む聖地出雲」

あまり知られていませんが、出雲市では文化庁が公募する「日本遺産」の指定登録を受けるために申請をしていたところ、なんとぉぅ!2017年4月28日に見事!指定を受けることに成功しています。

「日本遺産」とは、主に次のような内容が日本遺産審査委員会に審議され、指定登録の可否が判定されるものです。

  1. その地方の伝統的なストーリー(民話など)に基づく、建造物・遺跡・名勝地・祭りなどがある。
  2. 古くから地域に根ざして継承・保存がされている文化財があり、その文化財にまつわる建造物・遺跡・名勝地・祭りがある。

他にも条件ありますが、以上の内容が必須条件となります。

出雲市の場合は、稲佐の浜がこれに該当し、夕日にまつわるストーリーのロケーションとして「日が沈む聖地出雲 -稲佐の浜の夕焼け空と弁天島- 」として、見事!登録指定されています。

画像引用先:出雲市

⬆️弁天島向こうから見える夕日と弁天島と水平線との夕焼けの構図

朝日も忘れずに!

稲佐の浜‥‥‥、特に弁天島の向こう側から昇る朝日は一見の価値ありです。

⬆️朝焼けに照らされた弁天島

出雲大社周辺の旅館or民宿に宿泊された際はぜひ!早朝参拝をしてみてください。よく晴れた日には弁天島の向こう側から昇る朝日を拝むことができるでしょう。

⬆️弁天島の向こうに広がる水平線から朝日が昇り始めた構図。元旦にはぜひ訪れたい!

ちょうど写真のような朝日が昇りきる少し前に漁船が港へ到着し、当日の釣果を笑顔で分かち合いながら、朝一でさらに賑わいます。こうして出雲の一日が始まります。

かつては稲佐の浜だった?屏風岩と国譲り

稲佐の浜から徒歩5分くらい陸側を東へ向かって進んだ先に「屏風岩(びょうぶいわ)」と称する、名前の通りの屏風形の岩がありまする。

現在は稲佐の浜から徒歩3分ほどの内陸部分にあるのですが、往時はこの岩の前は海だっとされ、つまりは稲佐の浜だったのです。

記紀神話によればこの屏風岩の手前で当時、葦原の中つ国(日本)の王であった大国主大神が高天原に座す天照大神により、国譲りの交渉をもちかけられたとされています。

幾度かの交渉の末、大国主大神は日本の支配権を天照大神へ譲ることを約束し、自らは幽(かく)れたる神々を統べるべく、幽界の主宰神として幽界へ退きます。

なお、ここでの幽れたる神々とは、人の目には見えない八百万の神々を指し、今でも年に一度、神々たちを自らの宮殿へ参集させ、「神議(かむばかり)」と称される縁結びの会議を行っています。

屏風岩についての詳細は下記ページにてご紹介しています。

素鵞社の御砂奉納と稲佐の浜

出雲大社境内にある素鵞社では御砂奉納と呼ばれる風習があります。

この風習は地元に古来、伝わる風習の1つであり、素鵞社の下にこの稲佐の浜の砂を奉納し、すでに奉納されている砂をいただいて帰るというものです。

素鵞社の詳細については下記ページをご覧になってみてください。


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稲佐の浜の場所(出雲大社から稲佐の浜への行き方)

徒歩

出雲大社から稲佐の浜へは単純に出雲大社の境内の西門から西方向(海の方向)へひたすら歩くだけです。

詳しくは「観光センター出雲」の前の交差点から国道431号線へ入り、西方向(海の方向)へひたすら直進します。
途中に「出雲阿国の墓」や「阿国の塔」、神謀りが行われる「出雲大社・境外摂社・上宮」などがあります。

出雲大社から稲佐の浜アクセス

  • 出雲大社から稲佐の浜までの徒歩での所要時間:約15分
  • 距離:約1.5Km

バス(一畑バス)

乗車するバス停
  • 出雲大社の西門の最寄りバス停:出雲大社連絡所(時刻表
  • 出雲大社の勢溜の鳥居の最寄りバス停:正門前バス停(時刻表
下車するバス停

「稲佐の浜」というバス停もありますが、このバス停は稲佐の浜入口よりも遠い場所にあり、下車すると帰る際に時間がかかります。

砂を取るor弁天島へも行かれる場合は稲佐の浜入り口というバス停がオススメです。

稲佐の浜バス停の前の浜辺は海水浴スポットなので、夏時期になると海水浴客がよく当バス停を利用します。

稲佐の浜に関してのお問い合わせ先「出雲観光協会」

住所:島根県出雲市大社町修理免735−5
電話番号:0853-53-2112
営業時間(電話受付可能時間):8時30分~17時15分
定休日:月曜日

【補足】おすすめの観光モデルコース

阿国寺阿国の墓阿国の塔出雲手斧神社八大荒神社大歳社(摂社)上の宮(摂社)⇒下の宮(摂社)稲佐の浜御砂を採取)⇒屏風岩(びょうぶいわ)-神話の国譲りの場所に今もある屏風形の奇石-因佐神社素鵞社出雲大社境内/御砂をいただいて持ち帰る

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