出雲(IZUMO)・手斧神社(TEONO-JINJA)
創建年
1973年(昭和48年)
建築様式
入母屋造り
妻入り
屋根の造り
銅葺き
御祭神
手置帆負命
彦狭知命
ご利益
建築安全
土木安全
家内安全
工業業界興盛
商業業界興盛
農業業界興盛
漁業業界興盛
勝負業界興盛
例祭
9月18日
出雲手斧神社の読み方
出雲手斧神社の読み方は「いずもておのじんじゃ」と読みます。
出雲手斧神社の別名
地元では「いずもちょうなじんじゃ」や「ちょうなやさん」と呼ばれています。
出雲手斧神社の御祭神
手置帆負命
手置帆負命と書いて「たおきほおいのみこと」と読みます。珍しい名前の神様ですが、「手置」とは「手を置いて物を測量する」という意味合いがあるようです。
「日本書紀」や「古語拾遺」という古書物によれば、この神は天照大御神が天岩戸にお隠れになった際、下記の彦狭知命と「天御量(あまつみはかり)」と呼ばれる道具を用いて、材木を切り、瑞殿(みずのみあらか)という宮殿を造営したとされています。
その後、天児屋命(あめのこやねのみこと)が祈りを捧げて、天宇受売尊(あめのうずめのみこと)が舞を奉奏したところ、外の騒がしい様子が気になって仕方ない天照大御神は、天岩戸をわずかに開けて外の様子を見ようとします。
しかしその瞬間、天手力男神(あめのたじからお)が、そのわずかな隙間を見逃さず、天照大御神の手を握り取り、力いっぱい引き寄せて天照大御神を天岩戸から連れ出します。
連れ出された大御神は瑞殿へ移り、太陽の光が降り注ぐことを忘れた暗黒の世界に再びシャインスコールを与えたとされています。
なお、この後、手置帆負命と彦狭知命は宮殿(天日隅宮/あめのひすみのみや)を造営中の大国主大神に雨をしのぐための笠を作ったり、建築の材木を切ったりするなどの手助けを行った功が認められ、後世では「工匠(工作の職人)の守護神」として語り継がれることになります。
ちなみに、手置帆負命は紀伊国(和歌山)の出身である忌部氏(いんべ)の祖先神としても知られています。
彦狭知命
彦狭知命と書いて「ひこさしりのみこと」と読みます。
この神様は大国主大神が地上と交換する形で天照大御神より下賜された宮殿(天日隅宮/あめのひすみのみや)を建てる時に大国主大神に力を貸した神様です。
上記、手置帆負命とともに「天御量(あまつみはかり)」という道具を用い、見事、宮殿を完成させたことから、建築・工匠の祖神として古来、篤い崇敬が寄せられています。
なお、上述した宮殿(天日隅宮)は、現在では出雲大社(いずもたいしゃ/正式名=”いずもおおやしろ”)と呼ばれていますが、過去には様々な名前で呼ばれていました。
出雲大社の過去の名前
天日隅宮(あめのひすみのみや)
天日栖宮(あめのひすのみや)
厳神之宮(いつかしのかみのみや)
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)
杵築大社(きづきたいしゃ)
..etc
橿原神宮(奈良)造営にも尽力!
上記、2柱の神はなんと!神武天皇が橿原遷都された際、清浄化された斎斧(いつきおの)と斎鉋(いつきがんな)を手に取り、橿原神宮の造営にも尽力されています。
これらの歴史があいまって、後世ではより一層、建築建設業界の興隆、はたまた、家宅を守護する建物の神として篤い崇敬が寄せられることになるのです。
出雲手斧神社の歴史
手斧神社は、もとは奉納山ふもとの八大荒神社の後方でお祀りされていたようですが、1973年(昭和48年)頃に起きた土砂災害によって社殿が押し流されてしまい、現在の場所に移されたとのことです。
当初は小さな祠(ほこら)だったのでいとも簡単に土砂で押し流されてしまったようですが、地元の椿屋さん(大工さん)が現在の場所に大社造に似せた社殿を新たに造営されています。
出雲手斧神社の建築様式(造り)
出雲手斧神社は小さな覆屋(おおいや)風の社殿になりますが、建築様式は国宝の出雲大社本殿になぞらえた大社造りを基本としています。
社殿が小さいので手前に向拝部分が据えられなかったのか、一見すると大社造に似せているように見えませんが、妻側に社殿入口とその前方に登り高欄が設けられていることや、大棟両はしに据えられた鬼板、軒下の軒桁の据え方などは大社造りの典型といえるでしょう。
このように本殿と同じ大社造の社殿が造営されている事実からしても、2柱の御祭神が過去、どれだけ功績を残した神であるのかがうかがい知ることができ、併せて、それ相応の霊験あらたかなご利益をたまわることができるといったことを物語っています。
まさに大国主大神の縁の神徳のなせる技でありましょう。オホホ
白龍大神
社殿の後方には「白龍大神」という神様が祀られています。
祭祀された年は不明ですが、現在の手斧神社が建つ以前からすでに祭祀されていたようです。地元の椿屋さん(大工さん)の先祖が祀るようになった神様のようです。
- 例祭:10月5日
ご利益
- 病気平癒
- 厄災消除
- 所願成就
この神様は社殿後方の御神木にお宿りなっているとのことで、大木にしめ縄が巻かれています。
なお、白龍大神とは龍神であり、白蛇の神であると云われます。龍神の発祥は古代中国ですが、日本に流入してからは蛇神と結びつき、日本独自となる龍神信仰へと移り変わっていきます。
龍神信仰は自然の産物をも崇拝しますので、このように木が祀られているのが必然と考えられます。
話は逸れますが、蛇はトグロを巻くことから、家宅などの建物をトグロを巻くよう守護すると信じらていましたが、そういえばこの奉納山の形状も遠望すれば、蛇がトグロを巻いて何かを守っているような印象を受けます。
そもそもこの奉納山の名前の由来は、鎌倉時代末〜室町時代にかけて興盛を極めた「六十六部廻国聖(ろくじゅうろくぶ かいこくひじり)」たちが、日本全国66箇所の聖地を巡礼した際に授かった経文を入れた経筒が埋経されていることから「奉納山」と呼ばれているそうです。
なにが言いたいかと言いますと、この奉納山すべてがかつては御神体として龍神信仰もしくは、龍神信仰と山岳信仰が結びついて祀られていた可能性が示唆されるということです。
出雲手斧神社の場所
住所:島根県出雲市大社町杵築北2843-13
出雲手斧神社へのアクセス
出雲大社本殿から神楽殿前を通過して阿国寺、阿国の塔などを経由して徒歩約25分
阿国の塔から山頂を目指して徒歩約10分
最寄りバス停:奉納山入口バス停下車
グーグルマップで表示すると車道を通行する表示になりますので遠回りで表示されますが、実際は階段があるのでもっと距離と所要時間は短縮されます。良かったわねぇウフ
徒歩の場合
「出雲大社・観光センター」から431号線を稲佐の浜方向へ
↓(所要時間約21分)
「仮の宮四のT字路」を右折(一畑バスの奉納山入口バス停付近)
↓(所要時間約7分)
奉納山山頂へ(合計所要時間:約28分)
上記、阿国の墓から奉納山山頂までは徒歩約13分です。
一畑バスを利用する!
- 最寄りバス停:一畑バス日御碕・大社線「奉納山入口バス停」※時刻表
出雲大社観光センターから一畑バス「日御碕灯台行き」へ乗車して「奉納山入口バス停」で下車(運賃150円)。上記、仮の宮四のT字路へ向かって歩き、徒歩約7分ほどで到着できます。
なお、奉納山の入口は「仮の宮四のT字路」を右折してすぐのところにあります。入口は階段になっており、奉納山の山頂を目指して登っていく形になります。
ちなみに入口左には「八大荒神社」の鳥居が見えます。塔へ向かうときにでもぜひ!立ち寄ってご参拝ください。
- 関連記事:八大荒神社
出雲手斧神社のINFO
出雲手斧神社社務所
電話番号:0853-53-3356
【補足】おすすめの観光モデルコース
阿国寺⇒阿国の墓⇒阿国の塔⇒出雲手斧神社⇒八大荒神社⇒大歳社(摂社)⇒上の宮(摂社)⇒下の宮(摂社)⇒稲佐の浜(御砂を採取)⇒屏風岩(大国主神の国譲り場所)⇒因佐神社⇒素鵞社(出雲大社境内/御砂をいただいて持ち帰る)
奉納山展望台からの眺望は一見の価値アリ!
この手斧神社のすぐ側には奉納山展望台があり、山頂まで来られるなら誰でも無料で入ることができます。
晴れた日には日本海が一望できます。肝心の夜景が綺麗かというと・・はてさて、あなた自身の目でぜひ!確かめてみてください。ウフ
なお、山頂に訪れる途中、木々が生い茂る山道を通ってくることになりますが、この山道には紅葉がたくさん自生しており、秋口になると恋した君の右頬のように真っ赤な色づきを見せてくれます。ウフん♥