出雲大社の近くには歌舞伎の創始者とされる「出雲阿国(おくに)」に由来した「阿国の墓(おくにのはか)」、「阿国の塔(おくにのとう)」と呼ばれるものが残されています。
また、少し離れますが「連歌庵(れんがあん)」と呼ばれる阿国が余生を過ごしたとされる庵も残されています。
本ページでは、出雲大社から徒歩でも行ける阿国と深い関わりのある「阿国の墓」をご紹介します。
阿国のお墓の歴史や由緒
⬆️阿国の墓
- 墓石の材質:天然石
- 住所:島根県出雲市大社町杵築北2529
- 整備された年(完工):1927年(昭和2年)
阿国のお墓は「出雲大社の観光センター」から少し431号線を稲佐の浜へ進んだ道路の脇にあります。
墓石には「元祖 歌舞伎 お國墓」と刻まれており、これが歌舞伎の創始者「阿国」のお墓であることが分かります。
昭和時代
昭和2年
杵築協会によって出雲阿国の墓が整備されます。
1932年(昭和7年)
女優の水谷八重子が、阿国の墓に参詣に訪れます。墓の荒廃した様子を松竹社長の大谷氏に告げ、同氏の出資により墓の修復をしています。
この一件が後に阿国塔の建設につながっています。
平成時代
さらに星霜を経て、平成14年になると再び修繕されます。これが現在の阿国の墓の姿です。
現在では、著名な歌舞伎役者をはじめ、日本全国から歌舞伎のファンや芸能人も多数、訪れることから、駐車場も設置されたそうです。
出雲大社へお越しの際は、ぜひ、足を運んでみてはいかかでしょうか。
ところで‥‥‥阿国墓はいつ頃だれが建てた?阿国の没年齢は何歳?
伝承によると阿国の没年や没した土地に関しても様々な説があるようです。
- 1607年(慶長12年)小田原(神奈川県)で没した
- 1613年(慶長18年)に67歳で没した
- 出雲の地へ再び戻って尼になり「智月尼(ちげつに)」と名乗り、当時では長寿といわれた87歳でこの世を去った
- 1617年(元和3年)地名は定かではないが72歳で没した
出雲地方に伝わる伝承では、旅を終えた阿国は出雲へ戻り、尼僧となって実家近くに「草庵(そうあん)」を建て、毎日、お経や歌詠みを続け87歳で生涯を終えたと伝わっているようです。
ただ、阿国の墓を建てたのが誰でいつ頃建てられたのかは判然とはしないようです。
阿国の墓は1つだけではなかった?
実は京都大徳寺の高桐院にも同様に阿国のものと伝わる墓があり、なんとぉぅ!夫とされた「名古屋山三」の墓と共に並ぶ形で供養されているとのことです。
当山では、旧暦4月15日に法要が営まれ、これを「阿国忌」と呼び習わしているそうです。(現在では新暦4月15日)
阿国の墓に訪れたら「阿国の塔」「阿国寺」へもぜひ!
現在、出雲大社近くにある「阿国の塔」には、歌舞伎で有名な中村一門や市川一門の有名どころ俳優の名前が書かれた石碑があり、これに名前が刻まれています。
阿国塔や阿国の草庵(現・阿国寺)についての詳細は最下記にリンクを貼っていますのでそちらをご参考にしてください。
阿国の墓の場所(地図)と行き方
出雲大社から阿国の墓までの徒歩でのアクセス(行き方)
出雲大社拝殿から観光センターの方へ「徒歩4分」
※観光センターから稲佐の浜(日本海側)へと続く道は古来、「出雲阿国の道」とも呼ばれているようです。
↓
観光センターから「阿国の墓」まで「徒歩4分」(合計所要時間:8分ほど)
阿国の墓に駐車場はあるのか?
- 駐車場:有り
- 収容台数:6台
阿国墓は431号線沿いに面した場所に出入口があるので便利なのですが、駐車場は収容できる台数が6台分のスペースしかなく、ハイシーズンになると満車になっていることがあります。
駐車場はちょうど阿国の墓の入口の真横にあるので便利なのですが、阿国の墓は「阿国の道」と呼ばれる道を通って小山を登った山頂にあります。車椅子の方は乗ったままで行くのは困難です。